−日記帳(N0.1440)2008年11月12日−
箱根路をドライブし美術館巡り(1)
−日記帳(N0.1441)2008年11月13日−
箱根路をドライブし美術館巡り(1)


十国峠から望む、雲で遮られた富士山

昨日の伊東温泉で同窓会は現地解散となり、同窓生たちは岡山、大阪、名古屋、横浜、東京、千葉へと帰っていきましたが、東京から車で来ていたM君が箱根路をドライブしながら美術館巡りをするというので、Y君とともに同乗させて頂いくことにしました。宿を9時半頃、出発して冷川ICから伊豆スカイラインに入りました。

伊豆スカイラインは、熱海峠を起点とし、玄岳、韮山峠、山伏峠、亀石峠、冷川を経て天城高原を終点とし、伊豆半島の尾根を縦走する延長40.6kmの観光道路で、富士・箱根・伊豆国立公園地帯を走るため大変人気が有ります。普段は相当混み合うのですが、今日は週日だったため空いておりました。

やがて、終点の熱海峠ICを出て、静岡県道20号熱海箱根峠線に入り、十ケ国が見渡せることでその名が付けられた十国峠の駐車場に着き、お互いのデジカメで記念撮影しました。冒頭の画像はその際に撮った富士山の風景ですが、残念ながら雲に隠れて裾野しか見えませんでした。天気のいい日なら、このように美しい富士山が見られることで知られております。

M君が「大涌谷で黒玉子を食べて寿命を延ばそう」というので、大涌谷に向かいました。約3100年前に箱根火山で水蒸気爆発による山崩れが起り、その後火砕流が発生して下の画像に見られる冠ヶ岳ができ、火山砕屑物と山崩れによる堆積物の間に出来た谷が大涌谷と呼ばれるようになりました。かつて「地獄谷」と呼ばれておりましたが明治天皇・皇后の行幸啓に際し改称されております。

湯煙を上げる大涌谷の冠ヶ岳

大涌谷の駐車場から直ぐの売店で黒玉子を売っておりましたので、ここで買うものとばかり思っていたら、Y君はここではなくて、400mほど冠ヶ岳の麓を登ったところにある玉子茶屋で買うと、その直ぐ近くで玉子を温泉で蒸しているためホッカホッカで美味しいというので、細い道を登って行きました。黒玉子は1個食べると7年寿命が延びるというふれこみで人気があるので、6個食べたら42年も寿命が延びてしまいますので、下の売店まで降りてから、コーヒーを飲みながら1個だけ食べ、残りはお土産にしました。

6個500円で売られている黒玉子

案内板には、温泉に含まれる硫化水素と鉄分が結合し硫化鉄となって玉子の殻に付着するため黒くなるとしておりましたが、この説明は正しくないように思われます。温泉中の鉄分は褐鉄鉱(Fe00H)や鉄イオンの状態で、硫化水素はヘンリーの法則に従って温泉中に溶存しそれぞれに平衡状態にありますので、殻の表面で化学反応するとは考えられないからです。多分、温泉水中にしばらく玉子を浸けておくと、殻表面の細孔に褐鉄鉱が析出し、これを引き揚げて硫化水素の湯煙に曝すと、ここで始めて褐鉄鉱と硫化水素が反応して黒い硫化鉄が生成するものと推測してみました。

成川美術館の展望ラウンジから望む芦ノ湖

次に、芦ノ湖畔の小高い山の上にある成川美術館に向かいました。ここは、個人の美術館ですが、平山郁夫の 「ガンジスの夕:1970」、 山本丘人の「満月夜:1963 」堀文子の「トスカーナの花野:1990」、東山魁夷の「泉」など巨匠の名作が展示されていることで知られております。 展望ラウンジから望む芦ノ湖の眺望が素晴らしいことで知られております。

MOA美術館前の美しい花壇

次いで、熱海まで戻り、熱海駅の前を通り鋭いヘピンカーブの道を登ってからMOA美術館に立ち寄りました。折りよく、黄金の国ジパング展が開かれておりましたので、何億もする金塊や珍しいろ露金など金に纏わる珍しい展示品を鑑賞して、館内のレストランでゆっくり昼食をとってから、熱海駅でM君と別れ、Y君は「ひかり」、私は「こだま」でそれぞれに帰路につきました。


MOA美術館の正面玄関

昨日は、箱根路をドライブしながら箱根の成川美術館、熱海のMOA美術館に入館して数々の美術作品を鑑賞しました。そこで、その記憶を留めておくために敢えて今日の日記のスペースを利用して、鑑賞した中で審美眼に欠ける私でも素晴らしいと感じ取った作品が有りましたので、その幾つかを取上げておこうと思います。


この日訪れた成川美術館では、卓越した精緻な描写で繊細優美な日本の四季を描きつづけている牧進の作品が美術館始まって以来の規模で展示しておりました。多くの作品はメートルサイズの大作で、花鳥風月が見事に描写されており、特に精緻に描かれた花びらが浮き上がって見える手法には感嘆すいました。上の画像は、彼の代表作のひとつで師事していた川端康成に絶賛されたことでも有名な「里山」で下の画像は「たけなわ」です。


この日、牧進以外に、平山郁夫の「ガンジスの夕」、山本丘人の「満月夜」等と東山魁夷、堀文子の代表作も展示されておりました。下の画像は「ガンジスの夕」です。


MOA美術館は、世界救世教の教祖・岡田茂吉(1882-1955)が蒐集した日本・東洋の古美術品を中心に、生誕100周年にあたる1982年(昭和57年)に、Mokichi Okada Associationの頭文字をとって開館しました。当日は特別展 金GOLD黄金の国ジパング展が開かれており、下の画像はこれを記念して2Fに復元された太閤の黄金の茶室です。

復元された太閤の黄金の茶室

この美術館には国宝3点が所蔵されており、当日はその中のひとつ、京焼色絵陶器の大家、野々村仁清の「色絵藤花文茶壷」が展示されておりました。滅多に見られない茶壷の最高の名品を目の当たりに見ることが出来て感激でした。下の画像は、その「色絵藤花文茶壷」です。

、野々村仁清の国宝「色絵藤花文茶壷」

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