−日記帳(N0.1511)2008年01月25日−
深夜に鳴る訃報の電話に驚愕
−日記帳(N0.1512)2009年01月26日−
娘の義父の葬儀に参列して


昨日の午前1時過ぎの深夜のことでした。何時ものように炬燵に入ってパソコンに向かってサイトの更新をしていた時、すぐ横の手の届くところにある電話から受信音が聞こえました。深夜のこと故、周囲を憚かりベル音が鳴り響く前に素早く受話器を取りました。時間が時間ですから、故郷の実家で兄夫婦の介護をうけている母、名古屋近郊の病院で脳梗塞の後遺症と戦っている義母、いずれも95歳を越えている二人の母のことが一瞬脳裏をよぎりました。

しかし、声の主は娘でした。それは彼女の義父の死を告げる電話でした。彼女は、小声で手短かに通夜と葬儀の日時だけ告げ、直接義父宅に見舞いいくよう指示して電話を切りました。 昨日と今日は、娘の長女、つまり私の孫娘の私立中学の試験日のため、今日の通夜の直前まで祖父の死を隠し通すための配慮からでした。

ただ、娘の家と義父宅は庭を隔てて廊下で繋がっており、孫娘も日頃から行き来している上、死亡診断の医師や見舞い客の来訪で家の周囲が騒がしくなることから、孫娘に気付かれる確率が高く、隠し通すことは至難のわざと思われましたが、娘の我が子を気遣う思いの深さは電話での口調から充分読み取れたことから、我々もその配慮に協力することにしました。

義父には数年前から痴呆の兆候が出始め、最近になってその症状が重くなり、要介護の状態にありました。昨晩10時過ぎに義父は1人で風呂に入ったものの、なかなか浴室から出てこないので、奥さんが不安を感じて見に行ったところ、浴槽に浸かったまま既に死亡していたとのことでした。死因は直ぐに駆けつけた医師の診断の結果、心筋梗塞とのことでしたが、奥さんは、もう少し早く見に行ってたら助かったのではと泣きはらしていたとのことでした。

義父がまだ78歳で痴呆症を患うようになったのには、それなりの理由が有ったように思えます。若い時は、みんなでドンチャン騒ぎをすることも有ったようですが、息子が家業を引き継いでからは、家に閉じこもり勝ちになり、数少ない趣味のゴルフと麻雀の回数も減ったようです。時折、義父宅に招待され、ともに食事する機会も有りましたが、席上で言葉を掛けても口数少なく話題が繋がらずお互いに沈黙の状態が続くことが殆どでした。

物静かで、寡黙、そしてこれといった趣味を持ち合せていない方でした。そんな性格が痴呆を早めたのかもしえません。私も麻雀は好きなのに相手が居ないためこのところプレーしておりませんが、こんなことになるなら義父を誘っていればよかったのにと悔やんでおります。あとは、孫娘に知られないことと、例え知られてもが気落ちすることなく試験に立ち向かって欲しいと願うばかりです。そんな思いを抱きながら、通夜会場の刈谷市にあるセレモニーホール刈谷に車を進めていきました。


本葬が営まれた祭壇

昨晩の通夜に引き続いて同じ会場のセレモニーホール刈谷で本葬が営まれました。この会場本館の駐車場は地下立体駐車場で、入出車口が1ケ所しかない上に入出庫に5分程度かかるため昨晩の通夜の帰りは40分も待たされた苦い思いをしたのに、懲りずに屋外駐車場を避けてこの地下駐車場を利用しました。帰りに、使用済みの供花を持ち帰る場合、道を隔てて離れにある屋外駐車場では不便との配慮が有ったからです。

葬式は、浄土真宗・大谷派(東本願寺)の流儀で営まれました。浄土真宗は、浄土系3宗派(浄土宗、浄土真宗、時宗)の中の最大宗派で、鎌倉時代初期に法然の弟子の親鸞が、法然の教え(浄土宗)を継承発展させ、現在は宗徒1,500万の日本最大の宗派でもあります。

浄土真宗では、阿弥陀仏(如来様)が西方にある極楽浄土に居られてそのお力(本願=他力)によってのみ死者が往生を遂げて成仏できると説いております。これは、阿弥陀仏が「われを信じ、わが名をとなえるものを必ず仏にするぞ」と誓われたことに基づいており、この「わが名」が「南無阿弥陀仏」とされております。 「南無」は「帰依する」と言う意味ですから、「南無阿弥陀仏」と唱えることは「阿弥陀仏さまに帰依します」と言っていることになります。

一方で、浄土真宗系僧侶は「死んだ者は、これでおしまい、ほっとけ。生きている人の悟りと信仰が大事だ」と説くからでしょうか、浄土真宗の葬儀の営みは至って簡単なように思えます。司会者は開式を告げ、僧侶二人が数分程度、お経を唱え終わると、喪主から焼香するようにと案内されました。家族、親族、一般参列者の順で焼香が行われ15分ほどで終わりました。一般参列者は凡そ150人程度で、中には市長をはじめ名の有る方々も散見さえました。

焼香が終わると、「正信念仏偈」を印刷した小冊子が司会者から、本葬参席者50名ほどに配られました。 浄土真宗の経典は『浄土三部経』ですが、葬儀の席では僧侶は、親鸞の著書『教行信証』の「行巻」に由来する60行120句の偈文「正信念仏偈」を読経します。参席者も僧侶と一緒に読経するようとの配慮から配られたのですが、僧侶の発音が不鮮明の上、読経の途中から小冊子を開いたため何処を読んでいるのかさっぱり判らず断念しました。しかし、参席者の何人かが僧侶に合わせて読経していたのには感心しました。

読経が終わり、参列者を代表して義父の友人が送辞を述べ、喪主が挨拶を済ませて葬儀の式次第は全て終了しました。この間、40分ほどでした。セレモニーホールですから、ゆったりとした椅子に座っての40分ですから、苦痛や倦怠を感ずることは全くありません。以前は、お寺の座敷に正座して長ったらしいお経を聞かされるため、足が痺れ、退屈そのものでしたから雲泥の差です。葬儀は、浄土真宗の「ほっとけ流」に限ると思いました。

葬儀終了後、出棺を終えて市内の斎場に、親族36人がマイクロバスで出向き火葬に立会いましたが、釘打ちの儀式が無いのに少々驚きました。焼却ま2時間ほどかかるため、バスでいったんセレモニーホールに戻って小休止した後、再びバスで斎場に出向き、骨上げの儀式を行いました。ここでも、驚いたことに、木と竹で組み合わせた箸を使って行なう喪主と喪主の母による、橋渡しの儀式は行なわれませんでした。これまた、ほっとけ流だからなのでしょうか。

こうして、一連の葬儀は全て終了し、バスで再びセレモニーホールに戻りここで初七日の法要が営まれ、その後で会議室で会食が行なわれました。車の運転のことがあり、ビールが飲めないのが残念でした。くして全ての行事を終えて帰宅したのは午後8時過ぎでした。


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