−日記帳(N0.1539)2008年03月19日−
メバルの季節到来に寄せて(3)
(メバルの分類に関する100年論争に思うこと)
−日記帳(N0.1540)2009年03月20日−
メバルの季節到来に寄せて(4)
(メバル100年論争に終止符が打たれて)


3種のメバルの体色とその標準和名と学名
  標準和名     学名(2008年8月の日本魚類学会の論文による)     
上:アカメバル(Sebastes inermis Cuvier,1829)
中:クロメバル(Sebastes ventricosus Temminck and Schlegel,1843)
下:シロメバル(Sebastes cheni Barsukov,1988)

メバルは、その体色から上の画像に示すように、アカ、クロ、シロの3型が有ることが知られており、私のメバル釣りでは、アカを主に小浜湾で、クロを主に伊勢湾で、シロを主に三河湾で釣っております。
ところが、メバルの季節到来に寄せて(2)で取上げておりますように、貝原益軒は「大和本草」でメバルを「黒赤二色アリ」として、シロメバルの存在を無視しております。これは私見ですが、シロメバルもクロメバルも生きている時は黒っぽい体色をしていることから貝原益軒はこれらを同種と見做したものと考えております。

一方、世界に目を移してみると、貝原益軒がメバルを2種に分類してから約200年後、若くして華々しく学会で活躍し、1802年には33歳でパリ自然史博物館の名誉教授となり、解剖学的見地から動物を相容れない構造によって脊椎動物、軟体動物、関節動物、放射動物の4部門に分類しリンネ以来の大博物学者と云われているフランスの動物比較解剖学の創始者、Georges Cuvier(1769-1832)が1829年にアカメバルのことを「尊敬する武装してない魚」と記述したと言われております。

彼ほどの大学者が、数ある魚の中から、何故アカメバルだけを取上げて、このような表現をしたのかについていろいろ調べてみたのですが判りませんでした。「武装してない」の意味は「棘が無い」ことを意味しますから、彼にとってアカメバルは棘が無い魚に思えたのでしょうか。これは私にはよく理解できません。よくメバルを釣り上げた時、誤って棘に触れて刺され痛い思いをすることがよくあるからです。確かにアカメバルのこの魚体とクロメバルのこの魚体を比較すると、何となく背鰭に見られるように鰭に柔らかさを感ずるのは私だけでしょうか。メバル愛好家の私としてそのように理解しておきましょう。

ヒラメに代表されるように、白身の魚を好むフランス人の彼は、アカメバルを好んで料理して食べたに違いありません。彼が「尊敬する」と言ったのを、元日魯漁業の社員だったこともあって魚に詳しくテレビでお馴染みの変なオジサン学者の荒俣宏さんは、食用魚として重視されていたからではないかと記述されております。これは私にも何となく理解でき、欧州でもメバルが美味しい魚と位置付けられているならメバル愛好家の私としては嬉しい限りです。

ところで、大学者の Cuvier がアカメバルを記述したことを受けて「Sebastes inermis Cuvier,1829」が動物命名法国際審議会で承認され、アカメバルの学名として、メバルとして初めて国際的に公認されております。魚類の名前には学名以外に日本魚類学会が認定する標準和名が有り、アカメバルがこれに該当します。同様に米国の当該機関が認定する英名が有り、「Rockfish」 がこれに該当します。

ここで「Sebastes」は「尊敬される」という意味のギリシャ語のセバストスに由来し、「inermis」は「武装していないと」いう意味のラテン語のイルミネスに由来しております。もし、貝原益軒が、アカメバルを「Sebastes kaibara,1709」と命名して申請していたら承認されたかも知れませんが、当時、国際動物命名規約がまだ制定されておりませんので叶うべくもありませんでした。

尚、学名は、国際動物命名規約に基づいて命名することが義務付けられており、魚類の場合は、リンネ二名法に基づき、(属名+(記載年号)+記載者名(2名まで),記載年号)となっております。
属名と種名はラテン語またはギリシャ語、属名は大文字、種名は小文字で書くことに決まっております。アカメバルの場合は、属名がSebastes、種名がinermis、記載者がCuvier、記載年号が1829年であることを示しております。

学名には先取権が認められており、同じ学名でも早く申請した方に優先権が与えられます。一度受理されて記載された学名は、変更は一切効きません。例え誤記が有ってもそのまま使用されます。変更は分類学上の変更が有った場合に限られ、別種であったものが纏められた場合、新しい方の学名は消滅します。属が纏められたり、または新しい属が立てられた場合は、その部分が書き換えられて新学名として有効になります。従ってこの原則が有効である限り、Cuvierの名前も含めてこの学名は永久に残ることになります。

Cuvier がアカメバルに関して記述してから14年後、TemminckとSchlegelという二人のオランダ人が1843年にクロメバルを記述したことから、二人は連名でシロメバルを「Sebastes ventricosus Temminck and Schlegel,1843」と命名して申請し承認された結果、これがクロメバルの学名として公認されております。その経緯に以下に記述するように日本そして貝原益軒も関係していたと思われ興味を覚えました。
その折にTemminckとSchlegelが参考にした資料が、シーボルトが日本で調べて持ち帰った資料だったからです。

ドイツの名門出身で医学者だったシーボルトは1823年に、オランダ人になりすまして来日し長崎・出島のオランダ商館医を勤めるかたわら、プロイセン政府から日本の内情探索を命じらていたのではとの風評が立ったほどに、日本の地理や植生、気候や天文などを詳しく調査して記録に残しておりました。その中に、クロメバルの記載が有りましたが、貝原益軒の「黒メハル」の記述も当然、承知していたものと思われます。シーボルトは「シ−ボルト事件」により1828年に日本から追放され帰国後、持ち帰ったその記録をオランダのライデン市国立自然史博物館に売却し、たまたまここに勤務していたTemminckとSchlegelがこれを基に『FAUNA JAPONICA』(日本動物誌)を刊行、その中にクロメバルの記事が有ったことがその経緯です。

ただ、この命名の中に「ventricosus」という言葉が含まれておりますので、調べてみたところ、「大きな腹」と言う意味のラテン語であることが判りました。この表現に対して、メバル愛好家の私としては異論を唱えたいと思います。この愛らしいクロメバルの魚体のどこから「大きな腹」を連想するのでしょうか。確かに子を胎生している時のメバルは、よく「デンバラ」と言いますが、何もメバルに限らず、産卵期や胎生期の魚はみなそのように見えます。クロメバルだけをそのように表現するのに私は抵抗を覚えます。

こうして時は過ぎ、20世紀になって1904年、アメリカの高名な魚類学者で初代スタンフォード大学長で、1900年に来日して日本近海の魚類調査をした David Starr Jordanらは、それまで3種とされていたメバルを2種との学説を提唱したことを契機に、メバルの分類に関する100年論争が勃発しました。何故、2種の根拠は定かではありませんが、貝原益軒と同じ観方をしていたのかも知れません。

そして、我が国の魚類学の基礎を作った、京都大学農学部水産学科水産生物学講座の初代教授の故松原喜代松氏が1935年、このJordan説に反論し1種に統合することで、メバルの分類に関する100年論争が続けられていきました。この1種の根拠は体色の異なる種は同種の変異と見なしたものと思われます。

1985年になって台湾の陳楽才(cheni)が松原説に反論し、メバルは単一種でなくいくつかの別種に分かれると主張し、これを受けてロシアのBarsukovは、メバルの胸鰭の軟条数に着目しました。メバルには下の画像に示すように鰭が有り、その鰭は先端が尖った棘(トゲ)と先端が丸っこく弾力性のある軟条(スジ)から成り立っております。ところが、メバルの場合、胸鰭が体色がアカ、クロ、シロと異なるにつれて15本、16本、17本と異なっていることから、メバルは3種であると主張しました。この画像はシロメバルの胸鰭の17本の軟条です。

メバルの鰭の図解

この結果、メバル100年論争は一気に熱を帯びてきました。その3年後の1988年に、Barsukovは陳楽才と連名で、シロメバルを「Sebastes cheni Barsukov,1988」と命名して申請し承認された結果、これがシロメバルの学名として公認されることになりました。この二人の名前は、メバル以外の魚類の学名に多く見られることから、命名マニアでもあったのでしょうか。第四のメバルの新種が出現しない限り、日本人の名前が付記されたメバルの学名を見ることが出来ないのは、メバルが日本に縁の深い魚であるだけに寂しい限りです。

松原喜代松氏がシロメバルを「Sebastes Matsubara ,1934」と命名して申請していたら学名として承認されたかも知れません。メバル愛好家で、特にシロメバルを好む私としては残念でなりません。さて、21世紀に入って、このメバル100年論争は、松原喜代松氏の流れを継ぐ京都大学農学部水産学科の中坊徹次教授をリーダーとする学者たちの研究成果によって漸く終止符が打たれることになるのですが、このことは、「メバルの季節到来に寄せて(4)」で取上げてみたいと思います。

尚、メバル100年論争については、随筆家で魚類図鑑の専門家、そして今年の1月7日、心不全により82歳で亡くなられたお父上の小西和人さんとともに「週刊釣りサンデー」を立ち上げられた小西英人さんが、「釣り曜日」の特集記事、「眼張「100年の謎」の中で詳しく解説されており参考にさせて頂いたことを付記させて頂きます。お父上のご逝去を悼むとともに、私がかって愛読させて頂いた「週刊釣りサンデー」の復刊を願う次第です。

ただ、メバル愛好家で、特にシロメバルを最も美味しい磯魚と信じて止まない私としては、小西英人さんが主宰されている「WEB魚図鑑」の中の「食味一覧の中で、メバルの中で「アカメバル」だけをリストアップし、しかも最上位の五つ星からワンランク下の四つ星にランクしていることに大いに不満を抱く次第です。次回の「メバルの季節到来に寄せて(4)」で取上げますように、メバル100年論争に終止符が打たれて、アカメバル、クロメバル、シロメバルが別種であることが確定した現在、少なくともクロメバル、シロメバルもリストアップするのは当然と思うからです。この件についても宜しくお願いする次第です。

メバルの分類に関する画期的な甲斐嘉晃さん等の論文のタイトル
(日本魚類学会の英文誌 Ichthyological Researchより)

生物は、リンネ二名法をベースに、界→門→亜門→綱→亜綱→上目→目→科→属→種→亜種 のように多階層による体系で分類されております。例えば、メバルの場合は次のように分類されて「族」まで辿り着きます。

界=動物界(Animalia)
門=脊索動物門(Chordata)
亜門=脊椎動物亜門(Vertebrata)
綱=条鰭綱(Actinopterygii)
上目=棘鰭上目(Acanthopterygii)
目=カサゴ目(Scorpaeniformes)
科=フサカサゴ科(Scorpaenoidei)
亜科=メバル亜科(Sabastinae)
族=メバル族(Sabastes)

問題は、族の次の「種」であり、メバル100年論争では、これが1種(松原説)なのか? 2種(Jordan説)なのか? 3種(陳-Barsukov説)なのか? で争われてきたわけです。ここで、問題となるのは「種」の定義です。「種」は互いに[同種]である個体からなる最大の集合と定義されますが[同種]の定義が哲学的、数学的で難しく、とても私には理解できませんので「相互に交配する自然個体群のグループで、他のこのようなグループと生殖に関して隔離されたもの(Mayr, 1969)」と定義する「生物学的種概念」を考えてみたいと思います。

この定義に従うならば、例えば、ヒョウとライオンが交雑することによってレオポンと呼ばれる雑種が生まれますが、レオポンはほとんど繁殖力を持たないのでヒョウとライオンは同一の種ではなく別種と定義されます。従って、クロメバルとシロメバルが交雑しないか、交雑しても生まれた雑種が子供を生むことが出来ないのなら、クロメバルとシロメバルは生殖的に隔離されていることから別種と結論されます。逆に交雑して生まれた子供に生殖能力が有れば同種と結論されます。

しかし、これを立証するには、アカメバルをa クロメバルをb シロメバルc として、a(♂)+b(♀)、 b(♂)+c(♀)、 a(♂)+c(♀) a(♂)+b(♀)、 b(♂)+c(♀)、 a(♂)+c(♀) のように、体色の異なる3彩色型を2型づつ、オス、メスを同居させた計6種を水槽で飼育して、交雑により雑種が生まれてくるかどうかを観察しする必要が有ります。そして、この実験結果を統計的に有意の有無を立証するには標本数Nが多く要求されるため実験規模が膨大となり、かつ標本には生殖能力のある生きのいい成魚(一本釣りで捕獲)が要ることから、この方法での立証には大変な手間と時間が掛かることになります。

中坊徹次教授をリーダーとする、京都大学農学部水産学科の学者たちは、メバル100年戦争に終止符を打つべく、3彩色型のメバルが同種なのか、別種なのかを突き止めるべく研究を進めておりましたので、当然その手段としてこの生物学的種概念を採用されるものと思われました。ところが、実際は、DNAを利用する方法を採用されました。生物学的種概念では上述のように、手間と時間が掛かることから敬遠されたのか、このあたりの事情は私には判りません。

DNAに関する知識が乏しい私には、彼らのDNA利用によるメバルの分類に関する研究論文は難しくてよく理解できませんでした。そこで、改めてDNAに関して勉強し直し、凡そ次のような理解を得た結果、なんとか彼らの論文を理解することができました。

地球上の生物の皮膚、筋肉、内臓、骨等を構成する細胞内の核には、その細胞の組織を作るための設計図(=遺伝子)の情報が含まれているタンパク質が含まれております。このタンパク質は、デオキシリボ核酸(Deoxyribonucleic acid=DNA)と呼ばれる螺旋状の高分子で、4種類の塩基と呼ばれる化学基がある規則性を持って繰り返されて配列されております。

この同じ塩基配列が何度も繰り返され、その繰り返し回数が人によって異なることから、この繰り返し回数を目に見える形にすれば人を特定できるデータが得られることになります。しかし、DNA分子は大きいと言っても分子レベルで、電子顕微鏡でも観察することは容易でないのでこのままでは目に見える形にはなり得ません。ところが、この塩基配列が並ぶ部分だけを繰り返しコピーしながら数億倍に増幅させる技術(ポリメラーゼ連鎖反応=PCR)が開発されたことから可能になりました。

毛髪や唾液等の中から試薬によりDNA分子を抽出し、上述の=PCR技術により特定のDNA部分を断片として増幅し電気泳動にかけると繰り返し回数が(バンド)状のパターンとして得られます。例えば、ある親子(父=F 子=C 母=M)3人について下図のようなバンドパターンが得られたたとします。左図では子に父母と共通のバンドが有りますが、右図では共通のバンドが有りません。従って左図では親子関係は有るが、右図では親子関係は無いと鑑定されます。

親子鑑定でのDNAのバンドパターン

しかし、この方法では親子などの単体の識別には有効ですが、アカメバル、クロメバルなどの団体(種など)の識別には有効ではありません。何故なら、このバンドパターンではその団体に特有のバンドを見付けることはまず不可能と考えられるからです。例え、団体に特有の共通のバンドが有ったとしても、無数の固有のバンドに隠れて見付け出すことは不可能に近いからです。

ところが1955年、AFLP(=Amplified Fragment Length Polymorphism):増幅制限酵素断片長多型)法が開発され、クラスター分析を繰り返していくと、この無数の固有のバンドが消去されてその団体に特有のバンドが最終的に残る、DNAマーカーと呼ばれるバンドパターンが得られますので、これによって団体を識別出来るようになりました。 これは、動植物の種類を特定するのに有効で、例えば豪州産牛の国産牛偽装事件では、豪州産牛と国産牛では、DNAマーカー が異なることから偽装を立証することに成功しております。京都大学が利用したのは、このDNAマーカーでした。

しかし、このDNAマーカーを利用するのにも、相当量のアカ、クロ、シロの3色彩型のメバル、それも胸鰭を明確に識別できる生きのいい成魚が必要となります。中坊徹次教授の研究室に甲斐嘉晃さんという大学院博士課程で学ぶ学生さんが居られました。彼は、DNAマーカーを利用して3色彩型のメバルの種別解明に取り組むことを博士論文のテーマとしました。彼は、私と同様にメールアドレスのアカウントに「mebaru」を付けるほどにメバル釣りが好きでしたので、この研究に必要なメバルの標本を自ら釣りに出掛けて採取し、必要量の半分を確保したとプロフィルで述べておられます。

甲斐嘉晃さんたちは当初、メバルのミトコンドリアDNAを利用することにしました。ミトコンドリアは、殆どの全てのの生物の細胞に広く含まれている細胞内構造物の一つで、人間の体の中に寄生し、酸素を消費し、細胞にエネルギーを供給する重要な役目を果たしながら人間と共存している「素晴らしい寄生虫」とも云われております。通常、DNAは細胞の核の中に1個しか存在しておりませんが、細胞内にはミトコンドリアDNAのコピーが数千コピーが存在しますので、DNAを採取するにはミトコンドリアDNAを利用する方が楽だからです。

しかし、個々のメバルのDNAバンドパターンには、上述のように、無数の固有のバンドに邪魔されて明確な違いを見出せなかったことから、AFLP法を採用し、DNAマーカーから3色彩型のそれぞれを識別できる塩基配列を見出すことに成功し、見事に 博士論文の研究目的を達成したのでした。この間の経緯を「能登の海中林2003年9月号」で次のように記述されておりますので引用させて頂きます。

(前略)
メバルから取り出したミトコンドリアDNAの塩基配列を赤、黒、茶色型のそれぞれで比較してみたところ、3型を明らかに区別できるような配列の違いは全く見つかりませんでした。(中略)そこで今度は一度に多くの遺伝子を解析できる新しい手法を使うことにしました。この手法はAFLP法といって、1955年に開発された比較的新しい手法で、膨大な情報量を持つ核DNAを効率よく調べることができます。AFLP法が開発されたことでこれまで困難であった核DNAの解析が可能となりました。

AFLP法では、さきほどのミトコンドリアDNAの配列を直接決定するのではなく、ある特定の塩基配列があるか、ないか、を調べます。まだ、魚類への適用例は少なかったのですが、この方法をメバルにためして見ることにしました。(中略)すると、メバルの赤にはあるが、黒にはない、というような、3型を識別できるような塩基配列がいくつも存在することが判りました。また3型で明瞭でないものの少し違いのある遺伝子も数多くみつかりました。

このように、遺伝子に明瞭な違いがある、ということは3色彩型は互いに交雑していない別種の関係にある ということです。今まで、同種内の変異と思われていた3色彩型は互いに別種の関係にある、ということを最新の遺伝子研究によりはっきりさせることができたのです。
(後略)


甲斐嘉晃さんは、この成果を日本魚類学会の英文誌「Ichthyological Research の2002年8月号(Vol.49:p260-266)に「Morphological differences among three color morphotypes of Sebastes inermis 」
のタイトルで、中坊徹次教授と連名で投稿し受理されて掲載されました。冒頭の画像は、その見出しです。そして、この論文の成果を踏まえ、それから5年後の2008年8月に日本魚類学会の学会誌
「Ichthyological Research Vol.55 No.3 2008」に「メバル複合群の分類学的再検討」と題する論文を発表し、メバルを以下に示す標準和名と学名の3種と正式に決定し、100年に渡ったメバルの分類に関する100年戦争に終止符を打ったのでした。

(標準和名) (型名)  (  学                     名 )
アカメバル A型 Sebastes inermis Cuvier,1829
クロメバル B型 Sebastes ventricosus Temminck and Schlegel,1843
シロメバル C型 Sebastes cheni Barsukov,1988

メバル複合群は、涙骨に2棘持つこと、頭部に鼻棘、眼前棘、頭頂棘を持つこと、尾鰭は明確には二叉しないこと特徴とし、3種については次のように付記しtおります。

A赤色型 胸鰭軟条15本 生時は背面と側面暗赤色か明茶色
B黒色型 胸鰭軟条16本 生時は緑黒色 側面銀色
C茶色型 胸鰭軟条17本 生時は背面と側面は黄色がかった茶色

以上の経過により、この世から「メバル」と言う言葉は消え去ることになり、「mebaru」をハンドルネームとともにメールアドレスのアカウントにしている私としては大変困っております。本来なら、私が最も愛する「シロメバル」に基づいて、「shiromebaru」に変更すべきでしょうが、「mebaru」への愛着が捨てきれず、従来どおり「mebaru」を継続使用させて頂くことにしました。


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