−日記帳(N0.1226)2012年11月02日−
ロシア旅行第6日(サンクトペテルブルク)
−日記帳(N0.1227) 2012年11月03日−
ロシア旅行第7日(空路帰国の途に)


サンクトペテルブルクのピョートル大帝の夏の宮殿

ヘルシンキ国際空港で待機中のフィンランド航空機


いよいよ今日がロシアでの観光の最終日となりました。明日以降は帰国への移動となります。ホテルを9時に出発して、サンクトペテルブルク郊外にあるエカテリーナ宮殿とピョートル大帝の夏の宮殿を見学しました。エカテリーナ宮殿はサンクトペテルブルクから南に30qのプーシキン、夏の宮殿は西に20qのバルト海沿いのペテルゴフに在ります。

エカテリーナ宮殿とピョートル大帝の夏の宮殿の位置関係

エカテリーナはロシア軍の捕虜の身から一躍ピョートル大帝の愛人となり、大帝が妻の皇后を修道院に幽閉するや1712年に正式に結婚し皇后となりました。その5年後の1717年、エカテリーナ皇后はドイツの建築家を雇って夏の避暑用の離宮としてこの地に宮殿を作らせ、これがエカテリーナ宮殿の原点となりました。

ピョートル大帝の死後エカテリーナ皇后が即位したものの2年後の1727年に崩御し大帝の孫ピョートル2世も若くして崩御、大帝の姪アンナが即位するとロシア人建築家に命じてこの宮殿を増築させ、アンナ女帝が崩御してピョートル大帝の娘、エリザヴェータが女帝として即位すると母のエカテリーナ1世が建築させた宮殿が時代遅れで不便であるとして抜本的に作り直させたのが現在のエカテリーナ宮殿です。

一方、ピョートル大帝は1714年から、バルト海のフィンランド湾を臨む高台に在るペテルゴフの地で、フィンランド湾からだんだん高くなるテラス状の地形を利用して庭園および宮殿の建設工事を命じ1723年年に完成させました。大帝が避暑のために夏、ここで過ごしたことから「ピョートル大帝の夏の宮殿」と言われるようになりました。

宮殿を中心軸に崖を利用して造られた大滝は世界でも有数の噴水施設で、144ある噴水はモーターなどの機械を使わず土地の高低差を利用して水が出るようになっております。階段状に造られた噴水の様子を撮影したのが冒頭の写真です。

大宮殿を中心に下の公園と上の庭園から成っており、エリザヴェータ女帝は大宮殿を三階建てのバロック様式に改築し、エカテリーナ2世の時代になると大宮殿の外観はそのままにして内部が古典様式に改装されております。現在の姿になるまでには、その後も歴代の皇帝たちが手を加えて凡そ200念の歳月を費やしております。宮殿には公の場が多かったのでピョートル大帝とエカテリーナ2世がここで過ごすことが多かったようです。

両宮殿とも宮殿内でフラッシュ撮影が許可されなかったため綺麗には撮れませんでしたが、それでもその豪華な雰囲気を留め置くべく以下に掲載っせて頂きました。但し、エカテリーナ宮殿で最も有名で美しい琥珀の間だけはネットから借用させて頂きました。実は、この日は何故か、琥珀の間には入室禁止となっておりましたので隣の部屋から覗き見するしかありませんでした。

琥珀の間は、第二次世界大戦でドイツ軍に破壊され琥珀も持ち去られれてしまいましたが、1979年よりロシア各地から琥珀が寄せ集められ当時の写真や記憶を基にして復元が行われ、2003年に24年の歳月をかけた完了し、フランスのエヴィアンサミットに先立って世界の首脳に披露されたました。エルミタージュ美術館での「ダナエ」を13年かけて修復されるなど、ロシア人の美術品にかける思いを感じました。

エカテリーナ宮殿

エカテリーナ宮殿内の食卓

エカテリーナ宮殿内の舞踏の間

エカテリーナ宮殿内の琥珀の間

ピョートル大帝の夏の宮殿

ピョートル大帝の夏の宮殿の尖塔

ピョートル大帝の夏の宮殿の大噴水

ピョートル大帝の格好をして記念写真に誘う人

ピョートル大帝の夏の宮殿の見学を終え、今回の観光の全ての日程を消化しました。最後の夕食をホテルのレストランの別室でとりました。食事を終えるとフォークロアディナーショーが開かれました。民族衣装を纏った女性ダンサー2人とアコーディオン等の楽器を奏でる男性3人が歌い踊ってから、我々の中から何人かを参加させて一緒に踊るスタイルのショーでした。

フォークロアディナーショーの様子

ショーの途中で添乗員さんが突然私の名を挙げて、この旅行期間中に私の誕生日があることを紹介し、全員でハッピーバースデーを唱和することを提案されました。そして、記念品としてサンクトペテルブルグのロゴマーク入りのシャツをプレゼントして頂きました。そして、下の写真にあるようなケーキを頂きました。こうして旅行最後の夜を楽しく過ごすことができました。br>

プレゼントされたケーキとシャツ

サンクトペテルスブルグのホテルを朝9時半に出発して、プルコボ国際空港に出掛けました。この空港は第二次大戦中にはナチス・ドイツ軍とのレニングラード包囲戦の最前線になった場所ですが、現在は人口100万以上の都市の中で世界最北の空港として発展を続けております。ヘルシンキ・ダンヴァー国際空港はプルコボ国際空港からは名古屋と反対方向の西側にバルトを海を越えて約300qの位置に在ります。

我々は、この空港で出国手続きを済ませ、ヘルシンキ国際空港で乗り継いで同じフィンランド航空機で名古屋に向かいますのでスーツケースは名古屋まで運び継がれるので便利ですが、ヘルシンキ国際空港での乗り継ぎの待ち時間が4時間に及ぶの閉口します。買い物をするには、一旦出国した方が店が多くて便利とのことでしたので出国しました。下の写真は昼食を摂ったレストランです。


ほぼ定刻の17:15に中部国際空港に向けてフィンランド航空AY-0079便は出発しました。約10時間の旅は退屈で疲れますが、座席前のディスプレーで映画を4本を観て何とか時を過ごすことが出来ました。こうして今日がロシア旅行最後の日となりました。いろいろ有りましたが、何とか無事に帰国の途に着けることに感謝の思いが過りました。


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