−日記帳(N0.1228)2012年11月04日−
ロシア旅行第8日(中部空港に帰国)
−日記帳(N0.1229) 2012年11月05日−
ロシア旅行より帰って思うこと


中部国際空港に着陸寸前の様子(座席のディスプレーから)

エカテリ−ナ宮殿の琥珀の間(撮禁のため隣室より覗き見)


サンクトペテルブルグ国際空港で出国手続きを済ませて搭乗した、当地時間11月3日13:35発のフィンランド航空AY-0166便は、50分後ほぼ定刻にフィンランドのヘルシンキ国際委空港に着きました。ここで乗り継いでフィンランド航空AY-0079便で名古屋に向かうことになりますが出発時刻の17:15まで4時間以上有ります。この間を利用して食事、買い物をするのですが時間が充分有ることから全員、添乗員さんに付いて店舗の多い国内側に出るべく一旦出国しました。

ここで、ホットドッグとコーラの軽食を摂りましたが、代金は9.5ユーロ(約1,000円)でした。ユーロ安の103円/ユーロでもこの値段ですから、やはり欧州は日本に較べて物価が高いようです。しばし買い物をしてから再入国し、午後3時で既に夕暮れで強い西日の射す待合室で待つこと1時間、約30分遅れのフィンランド航空AY-0079便に搭乗しました。往路と同様の下図のコースで名古屋に向けて飛び立ちました。

Airbus A340-300

9時間40分後の日本時間の今日、11月4日の午前9時55分に中部国際空港に着陸しました。搭乗機のAirbus A340-300機(下の画像)の機首に取り付けられているモニターカメラからの映像が座席のディスプレーに映し出されていましたのでデジカメで撮影してみました。(冒頭の画像)

Airbus A340-300

乱気流による揺れが時折有りましたがほぼ順調な空の旅でした。満席で空席を利用出来ないエコノミー席での10時間は高齢の身には厳しかったですが、映画を4本観て退屈を凌ぎ、3回のトイレで身をほぐし、夕食のドリンクで喉を潤し、何とか無事に空の旅を終えることができました。

シベリアから日本海にかけて飛行中、隣座席の女房殿がトイレに行こうとしたところ、乱気流発生によりFAさんから制止されることが有りました。この乱気流はシベリア高気圧から北海道の北東沖に在る低気圧に向けて吹く強い西風と偏西風が重なったことによるものと思われます。下に、乱気流による揺れの酷かった4日午前6時頃の天気図を示しております。低気圧と高気圧の気圧の谷間を飛行(赤線部分)していることが乱気流を招いたものと思われます。



一方、北京付近にも低気圧が発生しており、この低気圧に向けて東シナ海から入り込んだ湿った暖気がシベリアからの寒気で冷やされて雪雲が発生し北京付近に52年ぶりの大雪をもたらしました。この大雪によって、北京郊外の万里の長城界隈の山岳地帯を観光していた日本人ツアー客4人、中国人ガイド2人からなる6人のパーティーが遭難し日本人ツアー客3人が死亡したことが後に判明しました。

この山岳ツアーは、万里の長城界隈の風光明媚な山岳地帯を1週間かけて約100qを毎日6時間前後で走破するもので、4人の日本人ツアー客は登山経験豊富な方とのことですので天候が良ければ、また悪くても装備が完全なら遭難には至らなかったと思わますが雪に対する装備をしてなかったことが遭難に繋がったと言われております。

このところ高齢者の登山での遭難が相次いでおります。遭難した4人の平均年齢は60代後半で生き残ったのは最も若い59歳の女性でした。高齢者の体力不足が旅先でトラブルを招くことはよくあることで、私にもスイス、中国の3,000m級の山道をハイキングしただけで体力不足で途中離脱した苦い経験を持っております。ツアーの最高齢者として同行の方々だけには迷惑を掛けたくないとの思いで、血圧計、カロリメーター持参し体調管理に万全を尽くしました。

幸いも体調を崩すことなく13,000歩に及ぶ観光にも充分に耐えて無事に日程を予定通り消化して帰国することが出来ました。改めて添乗員さん、ガイドさん、同行のツアーのみなさん、そして同伴の女房殿に深く感謝する次第です。入国手続き、荷物受取、荷物検査、駐車料金支払いを終えて空港内駐車場に着いたのが午前10時20分、その40分後には自宅の風呂に浸かって旅の疲れをほぐし、無事に家に帰ることが出来たことに感謝し自然に手を合わせておりました。


昨年の米国東部旅行以来、1年半ぶりの今回の6泊8日のロシア旅行は、忘れられない数々の思い出が詰まった素敵な旅行となりました。何よりも、私を含めツアー同行者全員が全日程を予定通り終えて無事帰国出来たことに尽きますが、同行者の中で最高齢者の私が体力不足を露呈させることなく迷惑を掛けずに体調を維持出来たことが私にとって最高の喜びでした。

ロシアの印象を一言で言えば明暗がはっきりとしていることでした。明るいのはサンクトペテスブルグの欧風の街並み、エルミタージュ美術館、エカテリーナ宮殿に代表されるロマノフ王朝の残した絢爛豪華な建築、美術品です。暗いのはロシアの風土は別にして社会の後進性です。都市高速環状線未整備によるモスクワの渋滞、街燈、ネオンが少なくて暗いモスクワの夜景、デジタル化されてないテレビ画面等でした。以下、今回の旅行に対する私の思いをとりとめもなく書き連ねてみます。

1.意外だったこと
  ・モスクワの街路で自転車、バイクを一度も見掛けなかったこと
   ガイドさんに聞いたら、ロシア人は自転車には乗らないとのツレない返事
   これは説明不十分、ロシアでは自転車は散策、観光用で通勤用に利用されることが
   少ないのが実態のようです。またバイクも見られませんでした。
  ・野菜がとても美味しかったこと
   モスクワで食べたキュウリとパプリカは日本で食べたことがない程に美味しかった
   その後の料理ではそれほどではなかったので、たまたまだったかも知れません
  ・モスクワのドライバーは雪道に弱かった?
   モスクワに着いた日、10月29日がモスクワでの発雪の日でした。
   モスクワの街をバスで移動中、スリップ事故が数多く見られました。
   スノータイヤ装着が間に合わなかったのが理由のようです。
2.困ったこと
  ・モスクワ空港での搭乗時のパスポートチェックで別室に連れて行かれたこと
   新パスポートに変わって1年目で渡航履歴も昨年の米国往復1回のみで疑惑の余地
   は全く無いので釈然としないまま係の女性に誘導されて別室に入ると制服を着た男
   性が3人座っており笑顔で私の名を呼んでOKサインを出したので何の尋問も受けず
   に部屋を出ました。ロシア語が判らないので理由は聞けませんでしたが不快でした
   みんなからテロリストの手配写真に似ていたのではとからかわれましたが真相は?
  ・レストランのトイレで閉じ込められたこと
   サンクトペテルブルグで昼食を摂ったレストランのトイレに入り、扉のノブを水平に
   して施錠し、用足し後ノブを縦にして開錠しようとしたものの扉が開きません。
   ノブの位置を4方向に変えも全く開く気配がないので扉を足蹴りして無理やり開け
   ようとしてもビクともしません。大声で叫んだら漸く同行の方が気づいて店の人を
   呼んでくれました。
  ・ホテルの部屋の暖房が効き過ぎて窓を開けて就眠したこと
   モスクワ郊外のスズダリは小さな町ですので大きなホテルは有りません。
   唯一大きなホテルは我々が宿泊したGKTツアーセンターリザリトはモスクワ
   五輪の選手村宿泊施設改造したホテルで二人部屋の狭い部屋でした。暖房を
   OFFにしても外窓の下に在るエロフィン型暖房が熱いままで室温が下がらず、
   止むなく外窓を少し開けて就眠するなど苦労しました。

    3.嬉しかったこと
  ・エルミタージュ美術館で思う存分ダビンチの絵を観賞できたこと
   この日、11月1日は週日のサマータイム明けとあって入場者が少なく、ガイド
   さんが驚くほど空いていましたので、この美術館の売り物でもあるレオナルド
   ダビンチ、ラファエロの名画を誰に邪魔されることなく思う存分観賞すること
   が出来たのはラッキーでした。

レオナルド・ダ・ヴィンチ 聖母ブノワ 1478年 ダ・ヴィンチ リッタの聖母 1490 - 1491年

ラファエロ コネスタビレの聖母 1504年  ラファエロ 聖家族 1506年

  ・ツアー最後のディナーで同行のみなさんから誕生祝いして頂けたこと
   ツアー期間内に私の誕生日が入っていたことから主催旅行社の計らいでバース
   デープレゼントをして頂きました。みなさんよりやや大きめのアイスとサンク
   トペテルブルグの英名とロシア名の文字が描かれたシャツでした。

やや大きめのアイス サンクトペテルブルグ文字入りのシャツ

  ・ヘルシンキ空港で満月を観ることができたこと
   10月28日の私の誕生日に、ヘルシンキ空港でモスクワ行きのフィンランド機から
   満月が観ることができました。低緯度のため月の明かるさが減光されるため日本
   では観ることが出来ないクレーターの輪郭が見えるのは驚きでした

ヘルシンキ空港で観た見事な満月

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