王朝時代名(年代) | 王 朝 名 | 代表的ファラオ | 歴 史 概 略 (白字は今回の旅行で見学予定) |
初期王朝時代 (BC3000〜BC2668) | 第1王朝
第2王朝 第2王朝
| ナルメル
ペルイブセン
カセケムイ | 3100年頃 上下エジプトを始めて統一し首都をメンフィスに定める ナルメル王のパレットがカイロの考古学博物館正面に陳列 神話「ホルスとセトの争い」さながらに神を巡る王族の紛争が絶えず
2700年頃 ヒエログリフでセレクにホルス神に代わってセト神を記載→セト神の勝利 2686年頃 ホルス、セト双方の神を記載→神を巡る紛争和解、反乱鎮圧、国土再統一
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古王国時代 (BC2686〜BC2181) (ピラミッド時代) | 第3王朝 第4王朝
第4王朝 第4王朝 第4王朝 第6王朝
| ジェセル スネフェル
クフ カフラー メンカウラー ペピ2世
| BC2668 サッカラに最初のピラミッドの階段ピラミッドを建設→画像
BC2613 父フニ王を継ぎ、メイドゥムに崩れピラミッドを建設、→画像
BC2600 ダハシュールに屈折ピラミッ→画像
と赤のピラミッド→画像
BC2589 ギザにクフ王のピラミッド建設 BC2558 その横にカフラー王のピラミッド建設 BC2532 またその横にメンカウラー王のピラミッド建設 BC2278 6才から90年間も在位して政治腐敗を招き飢饉と相俟って王国衰退
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第一中間期 (BC2181〜BC2040) (暗黒の時代) | 第7〜8王朝 第9〜10王朝
| ウアジカラー
〜 メリィブラー 〜
| BC2180 泡沫のごとくファラオが現れるも全土を掌握出来ず無政府状態
BC2160 ヘラクレオポリス候が王朝を興し、ウアセト(テーベ)の勢力と対抗
ウアセトの勢力増大しその守護神のアメン神の権威増大
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中王国時代 (BC2041〜BC1785) (テーベの時代) | 第11王朝 第11王朝 第12王朝 第12王朝
| アンテフ1世 メンチュヘテプ2世 アメンエムハト3世 セペクネフェル女王
| BC2060
ヘラクレオポリス王朝を倒し地方都市テーベの知事から王になり首都をテーベに
BC2134 治世39年目でエジプト全土を支配してエジプト再統一した
BC1824 スネフェル王以後はじめてピラミッド(ハワラ)を建設 BC1785 王になる人材不足の故か短期間ながら女王として在位 |
第二中間期 (BC1785〜BC1565) (異民族支配) | 第13王朝 第14王朝 第15王朝 第16王朝 第17王朝 第17王朝
| ケンジェル ネヘシ
シェシ アナテル ター2世 カメス
| BC1786 第14王朝と並立した王国、異民族のヒクソス侵入
BC1786 弱小のまま47年後に滅亡(地方の豪族か異民族の可能性も有り)
BC1663 最初の外国人のヒクソス王朝樹立、デルタ地帯のアヴァリスに首都を築く
BC1680 他のヒクソスが下エジプトに朝を築くもその存在が疑問視されるほど弱体
BC1663 ヒクソス王朝と戦争を始め壮烈な戦死を遂げ、ミイラのその傷痕を残す
BC1680 反対を押し切って父の仇を討つべくヒクソス王朝に全面戦争を挑み勝利
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新王国時代 (BC1565〜BC1070) (栄光の500年) |
第18王朝 第18王朝 第18王朝 第18王朝 第18王朝 第18王朝 第18王朝 第18王朝 第18王朝 第18王朝 第19王朝 第19王朝 | イアフメス アメンへテプ1世 ハトシェプスト女王 トトメス3世 アメンヘテプ3世
トトメス4世 アメンヘテプ4世 ツタンカーメン王
アイ ホルエムヘブ ラムセス1世
ラムセス2世
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BC1565 ヒクソスを追放し再統一、テーベを首都にして北方の国境を固めた
BC1520 カルナック大神殿の造営を指揮し、王家の谷の造営が始まった
BC1473 義理の子のトトメス3世を傀儡にして女王としてハトシェプスト葬祭殿建設
BC1479 女王の死後復権しヌビアを攻略し領土最大に、女王を憎み肖像等を破壊
BC1390 絶世の美女ネフェルティティをミタンニ王国から迎え絶頂期を築きルクソール神殿建設
BC1400 スフィンクスを建造、2001年8月に吉村隊が同王の記念碑発掘
BC1365 太陽神のひとつアテンだけをを奉ずる宗教改革するも急過ぎて失敗
BC1359 アメンヘテプ4世の王女と結婚し即位するも18才で死亡(アメン神官団の圧力大)
BC1327 アンケセナーメンから苦渋の選択の結果、夫に選ばれて即位
BC1323 アンケセナーメンの叔母ムトネドイェメトと結婚すること将軍の身分から即位
BC1295 ホルエムヘプ王の推挙により軍人の身から即位しラムセス王朝を興すも短命
BC1279 アブシンベル神殿、ルクソール神殿の増改築、カディッシュの戦いでヒッタイトを駆逐
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第三中間期 (BC1070〜BC525) (混迷と動乱の時代) | 第21王朝 第22王朝 第22王朝 第25王朝 第26王朝 | スメンデス シェションク1世 オソルコン2世 ピアンキ プサメティコス1世
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BC1069 タニスに遷都しタニス王朝を開く
BC 954 リビア系の王による二度目の外国人王朝、ブバスティクに遷都
BC 924 バステト女神への信仰が高まる
BC 747 エチオピア人としてクシュ王朝を開く
BC 672 エジプト人がアッシリアを駆逐し第26王朝を樹立、都をサイスにしてサイス王朝開く
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末期王朝時代 (BC525〜BC332) (束の間の栄華) | 第27王朝 第27王朝 第28王朝 第29王朝 第30王朝 第31王朝 | カンビュセス2世 ダリウス1世 アミルタイオス ネフェリテス1世 ネクタネボ2世 ダリウス3世
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BC525 第26王朝最後の王プサメティコス3世を処刑しペルシア人として王朝を開く
BC664 カンビュセス2世の推挙で120年に及ぶダリウス王朝を開きエジプト勢力を押さえる
BC404 第26王朝の末裔が王朝を開くもネフェリテス1世によって滅ぼされる
BC399 先王プサムティスを暗殺して王朝開くもその正当性に疑念が残り紛争
BC360 ネフェリテス2即位後即暗殺され1世の孫ネクタネボス1世が即位
BC336 第2次ペルシア王朝、4年後の332年にマネトーによる古代エジプト王朝は終焉
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プトレマイオス朝時代 (BC332〜AD30) (古代王国の終焉) | マケドニア王家 プトレマイオス朝 プトレマイオス朝 プトレマイオス朝 プトレマイオス朝 プトレマイオス朝
| アレキサンダー3世
プトレマイオス1世 プトレマイオス2世 プトレマイオス5世 クレオパトラ7世
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BC332 マケドニアのアレクサンダー大王がエジプトを征服(ギリシア化の開始)
BC323 大王、バビロニアで突然病死、部将プトレマイオス太守してエジプトに赴任
BC304 プトレマイオス、正式に「王」を称し首都をアレクサンドリアに
BC280 エジプト人司祭マネトーが『エジプト史』を著す
BC196 ロゼッタ・ストーンが刻まれる
BC 51 父プトレマイオス12世の遺言に従い弟プトレマイオス13世、14世と結婚し共同統治
BC 48 弟プトレマイオス13世の後見人一派の陰謀により追放される
BC 47 シーザーと組みアレキサンドリア戦争に勝利、フトレマイオス13世死亡、14世と共同統治
BC 31 シーザー暗殺後、オクタビアンストと組み支配者になるもアクチウムの海戦に破れる
BC 30 クレオパトラ7世自殺によりローマの属州になり古代エジプト王国は滅亡
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