古代エジプト王国の歴史(3)
第一中間期 (BC2181〜BC2040頃)

古代エジプト王国の繁栄は永続きせず、繁栄の後に必ず混迷があり、再び繁栄に向かうというサイクルを3回繰り返しておりその混迷期を繁栄期の中間にあると言う意味で中間期と言っております。そして、古王国時代と中王国時代の最初の中間期がこの第一中間期です。比較的信憑性の高い記録が多い古代エジプト王国の歴史の中にあって記録が少なく実態がよく判らないのがこの第一中間期です。

古王国時代末期、太陽神宗団が勢力を増して王権と対立抗争する過程で王たちの威信は低下し第5王朝末から第6王朝にかけて地方の豪族や知事が強力となり、ボディガードによる第6王朝初代のテティ王の暗殺、次のペピ1世のハレム陰謀事件等が風評される程に王の権威は地に落ち第6王朝はペピ2世の94年に及ぶ長期王権による政治腐敗により終止符を打ったのでした。

王朝はあっても名のみの状態で、中央を離反した諸侯が独自に軍隊を持って城砦化された町にこもって覇を競ったため世相は混迷し、騒乱があとを絶ちませんでした。その騒乱の様子を「イプエルの教訓」と言うパピルス資料には次のように語っております。『神殿の建物から記録が持ち去られ、その秘密の場所が空っぽになる。   役所がこじあけられ、書類が持ち去られ、隷農だった者たちが隷農の主人になる。   土地台帳の書記たちの書類が破棄され、エジプトの食料を誰でも勝手に自分のものとする。   裁判所の掟があばかれる。最高裁判所に卑しい者たちが、勝手に出入りする。』

そんな中、分裂したエジプト全土を掌握し、崩壊していた王朝を再建する兆しを見せたのはそれまで地区第二位の都市に甘んじていた町、ウアセト(テーベ、現在のルクソール)の勢力でした。王家の墓は暴かれ、暴動によって貧しかったものが富を手に入れる。すべての価値が覆されていく中、ウアセトという一つの町が、冴えない地方都市から一気に歴史の表舞台に踊り出たのでした。

小国割拠の抗争の中から、この上エジプトのウアセトのテーベ侯と中エジプトのヘラクレオポリス侯が台頭し、互いに対立したもののテーベ侯が勝利をおさめ、下エジプトを征服して国家再統一に成功しました。これが第11王朝である。これにより、エジプトは中王国時代へ入っていきます。そして、このウアセトの守護神であったアメン神が太陽神ラーと合体して最高神となりました。この時代より、エジプト古代王国の末期まで、首都は上エジプトのテーベに置かれることのなりました。

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