古代エジプト王国の歴史(5)
第2中間期(BC1785〜BC1565頃)

中王国時代の第12王朝末頃からエジプトは再び分裂し、BC1800年頃から騒乱の時代に入りました。 一方、第13王朝末期のBC1730年頃からヒクソス(エジプト語で「異国の支配者たち」の意味)と呼ばれるセム系異民族がシリア方面から馬・戦車・強弓で装備してエジプトに侵入し、まずデルタ地帯を征服してアヴァリスを拠点として主に下エジプトを支配し、南下して第14王朝と抗争するようになり、やがてこれを倒してエジプト初の異民族王朝の第15王朝がアヴァリスの町を中心に開かれました。エジプトは、この時代ではじめて異民族による支配を経験することになります。

第14王朝は第13王朝と並行して存立しておりましたが勢力は弱く二人の王が知られるだけで約57年続いた後滅亡してしまいました。こうしてヒクソスによって下エジプトの中心地メンフィスが奪われたためエジプト人たちは自分たちの神とともに神エジプトのテーベへ引っ込むしかありませんでした。彼らにはまだヒクソスと戦うだけの力が無かったのです。

第15王朝はアヴァリスの町を中心とする本格的なヒクソス王朝で108年に渡り君臨しましたが、この時期には別のヒクソス王による第16王朝がアヴァリスの南側を中心に、更にはエジプト人による第17王朝がテーベを中心にして並行して存立しましたが、第16王朝は勢力が弱く末期には第15王朝と第17王朝が抗争する図式になりました。

第17王朝のタア2世は、ヒクソス王朝と戦いを挑み、壮烈な死を遂げております。その事実がミイラの傷痕から実証されております。第17王朝最後の王カメスは、宮廷人の反対を押し切ってまでヒクソス王朝に全面戦争を挑み、戦死した父タア2世の仇討ちに成功して勝利をおさめました。そして、カメス王の弟のイアフメスがついに、BC1570年頃、ヒクソスの根拠地アヴァリス市を制圧し、ヒクソス人をデルタ地方から追い出して、第18王朝を開きました。

エジプトは、寛容な国です。「ナイルの流域に住み、ナイルの水を飲むものはすべてエジプト人と呼ばれた」と、後々の時代にヘロドトスが書いているように、ナイル河の流域がすべて、「エジプト」でした。北は地中海、西と東は砂漠、南は川の急流という天然の絶対的に動かせない国境が存在したことがこのような考えの源になったようです。

従って、この第2中間期は異民族の支配を1世紀に渡って受けながらもエジプト文明はそこで途切れることなく、次の栄光の500年と言われた新王朝時代にスムーズに移り変わっていくのでした。 エジプトの国の流域で崇められる神はすべて、「エジプトの」神であり、外来の神々は、すんなりとエジプトの神にされ、 外来の人々もまた、エジプト人になることに憧れ、王たちはこぞってエジプトの風習を取り入れ、エジプトの王たちと同じように振舞おうとしたことがその理由になったものと思われます。

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