古代エジプト王国の歴史(8) 末期王朝時代(BC525〜BC332) |
アケメネス朝ペルシアのカンビュセス王は、エジプト人がネコ好きでネコを傷つけることが出来ないことに目を付け、自軍の兵の楯にネコを結わえさせてエジプトに進軍して大勝利を納め、即位したばかりの第26王朝最後の王プサメティコス3世を処刑してペルシア支配の第27王朝を樹立しました。こうして200年に渡る束の間の栄華の末期王朝時代がはじまりました。 当初、第27王朝はペルシア人のカンビュセス王が直接統治しておりましたが、直ぐに信任する将軍ダリウスに譲ってペルシャに帰ってしまいました。多分カンビュセス王としては自国ペルシャのことが気掛かりでエジプトに常駐するほどの余裕が無かったものと思われます。 そこで、ダリウスはダリウス1世と名乗りダリウス2世までの120年に及ぶダリウス朝を開きました。この間、潜伏しているエジプト勢力を押さえ込み、ネコ2世が試みた紅海運河を完成させ、エジプトと近東の様式を混合した記念碑をたてたりしましたが、前490年にマラトンの海戦での敗北後、第26王朝の末裔と思われるサイス出身のアミルタイオスが反ペルシア勢力を糾合し、ギリシアの支援を受け抵抗を開始しました。 ダリウス1世の子クセルクセス1世は即位後、デルタでの反乱を鎮圧。、サラミスの海戦(480)、プラタイアイの戦い(479)とギリシア軍に連敗し、前465年、宰相アルタバヌスに殺害されてしまいます。 こうしてアルタバヌスは王に即位したもののクセルクセスの息子アルタクセルクセス1世に殺害され在位は7カ月で終わりました。 しかし、そのアルタクセルクセス1世に次いでクセルクセス2世も即位するも、2カ月で異母兄弟ソグディアヌスに殺害されて終わりました。また、そのソグディアヌスも異母兄弟のオクスに破れ、在位7カ月にして処刑されてしまいました。そして、クセルクセス2世の子がダリウス2世を名乗り第27王朝最後の王として即位します。しかし、このように内紛に明け暮れているうちに国力が低下し、アミルタイオスに滅ぼされてしまいました。 こうして、アミルタイオスは 前400年頃までにエジプト全土を回復し、サイスに新しい第28王朝を立てますが、難があったのか5年で失脚してサイスの隣メンデスに新王都を建設したネフェリテスに倒されて、このネフェリテスが第29王朝を立てて、 スパルタと同盟しペルシアに対抗しました。 第29王朝は王朝として確立する前に2代目のプサムティス王が即刻暗殺され、3代目のハコリス王が13年統治します。しかし暗殺によって獲得した王位、しかも王朝としての根幹も整っていないたった20年あまりの統治なので、ハコリス王の正統性を疑う反国王派がじわじわ動いてきました。 ハコリス王死去後、ネフェリテス2世が即位しますが即刻暗殺され、初代ネフェリテス1世の孫ネクタネボスが王としての正統性を主張し、彼が新しく第30王朝を建てます。王都もメンデスからちょっとサイスよりのセベンニュトスに遷しました。 ネクタネボス1世は王としてはまあまあだったらしく、20年間そつなく統治しますが、やはり気になるのは無気味に沈黙しているペルシアです。かの国があるからこそ王都を海岸線に置いて警備しているのです。 孫のネクタネボス2世も祖父の方針を受け継ぎ守りを固めていましたが、時を見計らっていたペルシアに再び攻撃され、滅ぼされてしまいました。第30王朝は40年の命でした。 この再度のペルシア侵攻はアジア地域にてマケドニアに押された結果、エジプトに活路を見出したかったペルシアの命綱的侵攻でした。ペルシア王アルタクセルクス3世はエジプトを直接統治するには至らず、後方支援地域として位置付けたらしいです。この再度のペルシア支配をここでは第31王朝と呼ぶことにしました。 せっかくエジプトを領地としたものの、本国ペルシアがマケドニアに負けてしまいました。エジプト統治は10年で終わってしまいます。頭の上の方で支配者が変わったエジプト、今度はどんな国が来るのかと大人しくしていました。やってきたのは、あのアレクサンダー大王でした。 |