−日記帳(N0.368)2002年10月28日−
第1日(名古屋空港から出国)

今回の旅行は何時になく胸の高まりを感じました。念願だったエジプト旅行を昨年計画したのにNYの同時テロの影響で出発寸前に中止になって以来、待ちに待っての旅行だったからです。充分に準備をしてきたことへの充実感、心配していた体調が復調して不安が払拭された安心感もあってルンルン気分で妻と2人で近くの名鉄の駅から名古屋国際空港に向かいました。

空港近くの駅で下車して、バス停で空港行のバスを待っていると、折り返しのワンマンバスが降車位置に到着して乗客が前扉から運賃を払って降り終わったはずなのに、バスが乗車位置まで来ないのです。不思議に思ってバスの中を覗くとまだ若い女性が1人座席に座ってバッグの中から財布を探しているのが見えました。

悠然と1分近くかかって財布が見つけ、おもむろに立ち上がって降車口で今度は財布の中から札を出して両替を始めました。両替を終えて降車したのは彼女の前の乗客が下り終わってから約2分後のことでした。先日、免許更新の講習会で突然、携帯の着メロが会場に鳴り響き、若い女性が慌ててハンドバッグから携帯を取り出して電源を切る間、講習が中断されたことがありました。ブランド品のバッグも結構でしょうが、小銭や携帯の出し入れで人に迷惑を欠けないように工夫をして欲しいものです。

昨年の7月から日本人は出入国カードが不用になりましたので、出国手続きは簡単になりましたが、エジプトでは出入国カードもビザも要りますので、出入国カードは機内で書き、ビザはエジプトの空港に着いてから50エジプトポンド(以下 LE と略称、30円/LEとして1500円相当)を支払って代行取得してもらう仕組みになっております。

やがて、定刻の午後1時40分より15分ほど遅れて大韓航空機は中継地の釜山に向けて離陸しました。私の経験では旅客機は定刻にに離陸することは滅多になくなく大体15分前後遅れるのが相場のようです。ところが着陸はほぼ定刻どおりのことが多いので定刻とは離陸ではなく滑走路に向けて動き出す時刻と私は考えております。

この名古屋国際空港はからは、海外30都市に週194便発着しておりますが、欧州便はフランクフルト便が週3便有るだけです。従って欧州や中東方面に行くには成田か関空まで出るかシンガポール、ソウル経由のシンガポール航空か大韓航空を利用するかのいずれしか有りません。成田か関空まで出向くとなると場合によっては一泊そうでなくても2万円前後割高になる上、時間がかかりますのでこれまではシンガポール航空を主体に計画してきました。

「バリ島旅行記」でも触れましたように、シンガポール航空はボーイング機中心に平均機齢5年以内の新鋭機を使用して世界一安全な上、民族衣装の「サロンケバヤ」を纏ったスチュワーデスが美人揃い、機内食が日本人向きで美味しい、充実したドリンクサービス、エコノミー全席に業界最大級の14インチモニターが装備され、60種以上のプログラムで音楽、映画、ゲームを楽しめる等、一番乗りたい航空会社ですが、同社のエジプト便は中継地のシンガポールでの待機時間が長過ぎることから断念し大韓航空にしました。

名古屋から釜山経由ソウルで乗り換えてドバイに行き、ここで更に乗り換えてエジプトのカイロまで全て大韓航空のエアバスで行くコースを採っており、全飛行時間15時間に、釜山で約1.5時間、ソウルで約3.5時間、ドバイで約2時間の合計7時間の待機時間が加わりますのでりますので、名古屋からカイロまでの所用時間は22時間と言うことになります。待機中は免税店で買い物やインタ−ネットが出来るのでさほど退屈することは有りませんでした。

−日記帳(N0.369)2002年10月28日−
第1日(名古屋空港から出国)

釜山から乗り継いでインチョン(仁川)国際空港に着いたのは午後6時頃でした。この空港は、首都ソウルから西へ約50キロの朝鮮戦争で米国・海兵隊が敵前上陸したことで有名な仁川の約1メートルの海岸の浅瀬を埋め立てて二つの島を一つの大きな島に合体して中部国際空港の約3倍もある敷地を確保し、2001年3月29日に開港したばかりの3750メートル滑走路2本、広大な敷地と綺麗な空港ビルを有する東洋一のハブ空港として知られております。

日本では唯一、成田が2本の滑走路を有しておりますが、今年運用開始された2本目は2180mで大型ジェット機は使えず、関空は3500m1本、現在の名古屋に至っては2740m1本、中部国際空港になってからも3500m本のみと言うお粗末 な状態です。更に2020年の最終段階では滑走路が4本、敷地は中部国際空港の約12倍に拡げ年間旅客数1億人、貨物量770万トンの処理能力となり世界最多の旅客数を誇る米国アトランタ空港の年間旅客数は8000万人を上回ることになり、日本との格差は広がるばかりです。

そこで早速、空港ビル2階にあるインターネットルームに行ってみました。喫茶店の待合室の一角にパソコンが7台ほど設置されており既に何人かがキーを叩いておりました。1台だけ空いてましたので早速スイッチを入れました。一応、中国語専用でYahooのIDを入力するシステムになっておりましたが、これを無視して進み続け何とか現れたIEの画面に私のサイトのURLを入力するとあのマッターホルンの表紙が出てきました。

海外から自分のサイトにアクセスしたのは、始めての経験でしたので感激しました。ただ、残念なことに中国語専用のため日本語での書き込みが出来ません。日本語変換ソフトをインストールすればいいらしいのですが、やり方が判りませんので、暫くして空いた隣の日本語専用パソコンで念願だった私のサイトの掲示板に書き込みすることができました。(10月28日の掲示板をご覧下さい)

日本の空港でインターネット用のパソコンを設置しているところは少なく、名古屋国際空港でも出国前の待合室に2台、それも10分100円の有料のパソコンしかなく、出国後の待合室には1台も有りません。日本では、空港に限らず、駅、官庁、ホテル等の人の集まる施設でのインターネット・サービスの貧弱さを海外旅行する度に実感します。これも、日本での異常なまでの携帯によるメールやインターネットの普及の結果で、日本は既にパソコンによるインターネット普及率は先進国中で最低のレベルになっているものと思われます。

こうして、午後9時30分にドバイに向けて大韓航空機はインチョン国際空港を離陸し、約9時間後にドバイ国際空港に着陸しました。ドバイはアラブ首長国連邦(UAE)の7つある連邦のひとつで、石油だけでなく、貿易、商業、金融等全ての産業で開放、優遇政策を取っていることから中東の香港と呼ばれているだけあって、ドバイ空港は近代的で空港ビル内の店も華やかでした。そこで約2時間の待機の後、いよいよカイロに向けて同じ大韓航空機は飛び立っていきました。

インチョン国際空港の全景

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