エジプト古代史を彩る女性たち(2)
(異国に嫁いだ悲運の王妃ネフェルティティ)


ベルリン美術館蔵
(片目のネフェルティティ胸像)
左の本物の樹脂製復刻品
(正面から見ると表情が和らぐ)


アメンヘテプ3世がかって敵国として争ったことのあるミタンニ王国を親善の目的で訪れた時、思わず見とれてしまった美しい女性がおりました。その女性はミタンニ王国の王女でタドゥケパと言う名の9才の少女でした。彼女を見そめた アメンヘテプ3世は何としても自分の側室に迎えたいと父親の国王に頼み込んだもののいろよい返事が得られないまま毎年のようにエジプト名産の黄金を届けて吉報を待ち続けたのでした。

そして、それから6年後に漸く側室としてエジプトに来ることになり、アメンヘテプ3世は大喜びで彼女を、ネフェル=美しい、ティティと=遠くから と言う意味でネフェルティティと名付けて第二王妃として迎えたのですが、この時彼は既に50才近い上、持病の歯槽膿漏も悪化したりしてその喜びも束の間、それから2年後に亡くなってしまいました。ひとり、はるばる異国から嫁いで夫に先立たれて独りぼっちになってしまったネフェルティティは悲嘆にくれておりましたが、この時優しく手を差し伸べてくれた女性がおりました。

その女性は、何と亡くなった夫、アメンヘテプ3世の第一王妃のティティでした。日本流にいえば、正妻と愛人の間柄ですから本来なら犬猿の仲のはずですが、このティティと言う女性は優しく、人間としても優れ、酒と女に溺れる夫を陰で支えた王妃でした。

彼女は若い身で未亡人になったネフェルティティを不憫に思い、我が子アメンヘテプ4世の王妃になるよう奨めたのでした。父のアメンヘテプ3世が亡くなれば数百人とも言われたその側室たちも当然、後継者のアメンヘテプ4世のもとに引き取られるのですが、父親と違って女好きではなかったアメンヘテプ4世はひたすら父親からの遺産を相続するかのように、ネフェルティティ1人だけを愛し続けたと言われます。

やがて、夫のアメンヘテプ4世は、従来のアメン神に代えて太陽神アトンを祀る新しい宗教の育成に努力したものの、当時確固たる権力を誇っていたアメン神の神官たちの妨害にあって首都テーベにいずらくなり、即位5年目にテル・エル・アマルナに遷都したことを機に名をイクナートンと改め,アメン神など旧来の神々への信仰を禁じる宗教改革を行いました。

妻のネフェルティティは夫が唱える新しい宗教の熱烈な支持者となりその布教に彼女の美貌が大きな役割を果たしました。しかし、内政、外政ともに失敗の連続だったこともありイクナートンが亡くなるとアトン神は国家の神としてふさわしくないと考えられ、アメン神への信仰が復活し、次代の王を誰にするかが大きな問題になりました。

ネフェルティティとアメンヘテプ4世の間にはアンケセナーメン等3人の娘がおろましたが、その長女のアンケセナーメンは母親に似て美貌と王位委嘱権をも持っていたがために王位継承を巡って数奇な運命に翻弄されることになりますが、そのことは、次の「古代史を彩る女性たち(3)」でお話ししたいと思います。

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