−日記帳(N0.407)2002年12月05日− −日記帳(N0.408)2002年12月06日−
エジプト古代史を彩る女性たち(3) エジプト古代史を彩る女性たち(4)
(波瀾万丈の生涯を送ったアンケセナーメン王妃) (夫に死ぬまで愛された絶世の美女ネフェルタリ王妃)





カイロ博物館の黄金の玉座に描かれた
(ツタンカーメンとアンケセナーメン夫妻)
ルクソール神殿の夫妻の座像
(ツタンカーメンとアンケセナーメン夫妻)


ネネフェルタリの墓内の壁画
(修復された最も美しい肖像画)
ネネフェルタリ小神殿内の壁画
(見事に脚線美が描かれている)


この5人のエジプト古代史を彩った女性たちの中で、唯一このネフェルタリ王妃が幸せだったと思います。ハトシェプストは女王として権勢を誇ったものの晩年は不幸な日々を送り死後は自らの肖像等を尽く破壊されると言う悲惨な目に遭っており、ネフェルテイテイ王妃も晩年は夫に裏切られ、その娘アンケセナーメンも3人の夫に次々と死なれ、クレオパトラは姉弟の全てを死に追いやり我が子も殺され自らも命を絶つと言う悲惨にして壮絶な生涯を送っているからです。

その点、ネフェルタリ王妃は最愛の夫、ラメセス2世に最後をみとられ、死後は夫によって壮大なアブシンベル小神殿を建立してもらって自らの美しさを愛と美の女神ハトホル女神とともに讃えられ、更には王妃の谷に、今にその美しさを伝える美しい壁画に囲まれた絢爛豪華なお墓に埋葬されると言う幸せな生涯を送っております。

数多くのセティ1世の側室の中に、貴族の出身と思われる美しい女性がおりました。 彼は老齢であったことから、息子のラメセス2世に共同統治を申し入れその代償として何人かの側室をプレゼントしたのですが、その中にこの女性が含まれておりました。この女性がネフェルタリで、ラメセス2世はその美しさと聡明さに惚れ込み正妃としました。こうして、ネフェルタリ王妃が誕生したのですが、彼女は私生活の面で完璧なまでに王家を取り仕切り、そのお陰でラメセス2世は安心して外敵と戦い、彼女が管理する500人を越える側室たちと遊び90才まで長生きしたと言われております。

しかし、残念なことにネフェルタリについてはその生い立ちや王妃としての記録が殆どなく、しかも彼女の子供の存在に不明なことが多く、少なくとも彼女の息子が王位を継承したとの記録は有りません。 実は、ラメセス2世は当初イシス・ネフェルトと言う女性を愛していましたが、ネフェルタリが現れると一時的に彼女を遠ざけていました。しかし、ネフェルタリ亡くなると彼女正妃になり、の次の王位に就いたメルエンプタハを生んでおります。ところが宿敵ヒッタイトが和平協定の条件にヒッタイトの王女をラメセス2世の正妃とするよう要求してきたため彼女は窮地に陥ったようです。

ラメセス2世はこの要求を、「エジプトでかつて王妃を離縁した王はいない」としてはねつけたもののイシス・ネフェルトが自ら命を絶つことにより戦争勃発を防ぐ道を選んだと伝えられておりますが、これは出来過ぎのように思います。夫の腕の中で惜しまれながら息絶えたネフェルタリ、独り寂しく死を選んだイシス・ネフェルト、しかし彼女の息子はファラオとしてラメセス王朝を繋ぐ重要な役目を果たして歴史に名を残しております。果たしてどちらの女性が幸せだったのでしょうか。

ツタンカーメンの死後、宰相アイが唯一王位継承権を持つアンケセナーメンと結婚出来たため自動的に王位を継承出来ましたが、当時の勢力図から考えれば軍事権を掌握していたホルエムヘブが実力ナンバーワンでしたからホルエムヘブは既に60才を越えていたと思われるアイの余命は短いとみて、その間に着々と王権獲得の準備を進めていたものと思われます。そして、アイが在位4年で没すると彼は待ってましたとばかりに直ちに王位を継承しているのです。 しかも彼の王妃は、ネフェルテイテイを頼ってエジプトに身を寄せていたミタンニ王国の王女ムトジェネメトで、このように正式な王位継承権を持たない女性と結婚して何故王位に就けたのかは謎のままです。

彼は王位に就くと、アメン信仰の復活を復活させ、アテン神殿やアマルナ時代の建造物をことごとく破壊、アテン神排斥に消極的だったツタンカーメンやアイ、アメンへテプ4世の名を除去して、その上から自らの名を刻まております。ところが、不思議なことにそのように権勢を誇ったホルエムヘブは、いともも簡単に王位を身内ではなく血筋の繋がっていない部下だった下級軍人のパラメスに譲ってしまったのです。これまた謎で、このようにホルエムヘブには多くの謎がつきまとっております。 こうして、連綿とと受け継がれてきた第18王朝の血筋はここで絶え、パラメスを改名したラメセスによって第19王朝に引き継がれ、その孫がラメセス2世となるわけです。
アメンヘテプ4世と王妃ネフェルテイテイの三女として生まれたアンケセナーメンは美しい母とその母だけをこよなく愛していた父に育まれて幸せな日々を過ごしておりました。しかし、その父が長女の姉メリトアテンと祖父アメンヘテプ3世と側室の間に生まれたスメンクカラーを婿として婚姻させて王位を継がせようとしてから母を疎んずる日々が続いていたある日彼女にとって運命の日が訪れました。

彼女がまだ12才の時のある日、父から結婚すると言われたのです。それは彼女は勿論の、母ネフェルテイテイにとってもショッキングなことでした。しかし、当時近親結婚は血筋を絶やさないための王家の常套手段でも有ったため拒むことは出来ずこれに従うしかたありませんでした。こうして、彼女は実父と結婚して子供をもうけましたがその2年後に父であり、夫でもあったアメンヘテプ4世は亡くなってしまいました。

若くして寡婦になった彼女に生涯忘れることの出来ない幸せな日々が訪れることになりました。姉婿のスメンクカラーが謎の死を遂げ、二人の姉も死亡したため彼女が王位継承権を持つことになった上、小さい時から姉弟のように仲良くしていた1年下の幼なじみと結婚するように母に薦められたからです。その子はスメンクカラーの弟で、男の子に恵まれなかった母が小さい時から引き取って可愛がっていたまだ12才の美少年のツタンカーメンでした。

母、ネフェルテイテイ、最愛の娘と寵愛してきたツタンカーメン少年を結婚させることが二人にとっても、王家にとっても最良の道と考え、当時最高の実力者で夫の反対勢力のアメン神団の神官でもあった老人宰相アイの支持をとりつけてこの結婚と同時にツタンカーメンをファラオにすることに成功したのでした。しかし、これが裏目に出てアンケセナーメンは再び悲運に見舞われることになります。

夫のツタンカーメンが18才当時のある朝、ベッドで息絶えていた夫を見て彼女は悲嘆にくれます。彼の死因はミイラの頭蓋骨に損傷が認められることから就眠中に天井から重い物が落下したとの説や毒殺説が有って今尚、謎に包まれております。ツタンカーメンは父が信奉していたアテン神を引き続いて信奉していたため反アテン神のアメン神団の実力者の宰相アイと、その政敵で王位を狙っていた軍の最高司令官ホルエムホプの双方から圧力を受けていた当時の政情から暗殺された可能性は極めて高いと思います。(その死因を科学的に究明しようとした早大・名大の共同調査が昨年中止されたのは残念でした)

こうして、再び寡婦になったアンケセナーメンに難題が待ちかまえておりました。唯一の王位継承権を持つ彼女には然るべく男と結婚して彼に王位を継承させる義務が有ったのです。候補者は政務を司り、既に神の父たる称号を持つ大臣アイと実質的な軍事権を握っている将軍ホルエムヘブの二人に絞られておりましたが、彼女はそのどちらとも再婚する気は無かったものと思われます。 アイは祖母ティティの兄で40才以上も年上の老人でしたので生理的に拒否反応を示し、ホルエムヘブは臣下のような存在でしたからプライドが許さなかったと私は推理します。 悩み抜いた彼女はもはやエジプトには自分の結婚相手はいないと考え、彼女の母の母国、ミタンニ王国の国王の王子ザナンザと結婚したいのでエジプトに来るように手紙で懇願したのでした。

しかし、この計画はアイや、ホルエムヘブの知るところとなり、そのいずれかの勢力の手にかかって王子ザナンザはエジプトへの旅の途中で殺害されてしまいました。こうして一縷の望みも絶たれたアンケセナーメンはやむなくアイと再婚し、アイが王位を継承したのですがその数年後に亡くなってしまいました。このように彼女は実父、叔父、大叔父と全て近親結婚しいずれも数年で死に別れると言う悲惨な運命に弄ばれた悲運の王妃でした。アイの死後、ホルエムヘブが王位を継承したことで彼女の王位継承権は消滅し、その後の彼女の消息は途絶えております。亡き夫ツタンカーメンを愛し抜いた彼女には、権力欲もなく宮殿の片隅で好きな花を摘みながらその生涯を終えたと伝えられております。ツタンカーメンのミイラから彼女が捧げたと思われる矢車菊が出土したことで夫と花を愛した彼女の思いが現代に伝わってくる思いがしました。

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