エジプト古代史を彩る女性たち(3)
(波瀾万丈の生涯を送ったアンケセナーメン王妃)


カイロ博物館の黄金の玉座に描かれた
(ツタンカーメンとアンケセナーメン夫妻)
ルクソール神殿の夫妻の座像
(ツタンカーメンとアンケセナーメン夫妻)

アメンヘテプ4世と王妃ネフェルテイテイの三女として生まれたアンケセナーメンは美しい母とその母だけをこよなく愛していた父に育まれて幸せな日々を過ごしておりました。しかし、その父が長女の姉メリトアテンと祖父アメンヘテプ3世と側室の間に生まれたスメンクカラーを婿として婚姻させて王位を継がせようとしてから母を疎んずる日々が続いていたある日彼女にとって運命の日が訪れました。

彼女がまだ12才の時のある日、父から結婚すると言われたのです。それは彼女は勿論の、母ネフェルテイテイにとってもショッキングなことでした。しかし、当時近親結婚は血筋を絶やさないための王家の常套手段でも有ったため拒むことは出来ずこれに従うしかたありませんでした。こうして、彼女は実父と結婚して子供をもうけましたがその2年後に父であり、夫でもあったアメンヘテプ4世は亡くなってしまいました。

若くして寡婦になった彼女に生涯忘れることの出来ない幸せな日々が訪れることになりました。姉婿のスメンクカラーが謎の死を遂げ、二人の姉も死亡したため彼女が王位継承権を持つことになった上、小さい時から姉弟のように仲良くしていた1年下の幼なじみと結婚するように母に薦められたからです。その子はスメンクカラーの弟で、男の子に恵まれなかった母が小さい時から引き取って可愛がっていたまだ12才の美少年のツタンカーメンでした。

母、ネフェルテイテイ、最愛の娘と寵愛してきたツタンカーメン少年を結婚させることが二人にとっても、王家にとっても最良の道と考え、当時最高の実力者で夫の反対勢力のアメン神団の神官でもあった老人宰相アイの支持をとりつけてこの結婚と同時にツタンカーメンをファラオにすることに成功したのでした。しかし、これが裏目に出てアンケセナーメンは再び悲運に見舞われることになります。

夫のツタンカーメンが18才当時のある朝、ベッドで息絶えていた夫を見て彼女は悲嘆にくれます。彼の死因はミイラの頭蓋骨に損傷が認められることから就眠中に天井から重い物が落下したとの説や毒殺説が有って今尚、謎に包まれております。ツタンカーメンは父が信奉していたアテン神を引き続いて信奉していたため反アテン神のアメン神団の実力者の宰相アイと、その政敵で王位を狙っていた軍の最高司令官ホルエムホプの双方から圧力を受けていた当時の政情から暗殺された可能性は極めて高いと思います。(その死因を科学的に究明しようとした早大・名大の共同調査が昨年中止されたのは残念でした)

こうして、再び寡婦になったアンケセナーメンに難題が待ちかまえておりました。唯一の王位継承権を持つ彼女には然るべく男と結婚して彼に王位を継承させる義務が有ったのです。候補者は政務を司り、既に神の父たる称号を持つ大臣アイと実質的な軍事権を握っている将軍ホルエムヘブの二人に絞られておりましたが、彼女はそのどちらとも再婚する気は無かったものと思われます。 アイは祖母ティティの兄で40才以上も年上の老人でしたので生理的に拒否反応を示し、ホルエムヘブは臣下のような存在でしたからプライドが許さなかったと私は推理します。 悩み抜いた彼女はもはやエジプトには自分の結婚相手はいないと考え、彼女の母の母国、ミタンニ王国の国王の王子ザナンザと結婚したいのでエジプトに来るように手紙で懇願したのでした。

しかし、この計画はアイや、ホルエムヘブの知るところとなり、そのいずれかの勢力の手にかかって王子ザナンザはエジプトへの旅の途中で殺害されてしまいました。こうして一縷の望みも絶たれたアンケセナーメンはやむなくアイと再婚し、アイが王位を継承したのですがその数年後に亡くなってしまいました。このように彼女は実父、叔父、祖父と全て近親結婚しいずれも結婚して数年で死に別れると言う悲惨な運命に弄ばれた悲運の王妃でした。アイの死後、ホルエムヘブが王位を継承したことで彼女の王位継承権は消滅し、その後の彼女の消息は途絶えております。亡き夫ツタンカーメンを愛し抜いた彼女には、権力欲もなく宮殿の片隅で好きな花を摘みながらその生涯を終えたと伝えられております。ツタンカーメンのミイラから彼女が捧げたと思われる矢車菊が出土したことで夫と花を愛した彼女の思いが現代に伝わってくる思いがしました。

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