エジプト古代史を彩る女性たち(4)
(夫に死ぬまで愛された絶世の美女ネフェルタリ王妃)


ネネフェルタリの墓内の壁画
(修復された最も美しい肖像画)
ネネフェルタリ小神殿内の壁画
(見事に脚線美が描かれている)


この5人のエジプト古代史を彩った女性たちの中で、唯一このネフェルタリ王妃が幸せだったと思います。ハトシェプストは女王として権勢を誇ったものの晩年は不幸な日々を送り死後は自らの肖像等を尽く破壊されると言う悲惨な目に遭っており、ネフェルテイテイ王妃も晩年は夫に裏切られ、その娘アンケセナーメンも3人の夫に次々と死なれ、クレオパトラは姉弟の全てを死に追いやり我が子も殺され自らも命を絶つと言う悲惨にして壮絶な生涯を送っているからです。

その点、ネフェルタリ王妃は最愛の夫、ラメセス2世に最後をみとられ、死後は夫によって壮大なアブシンベル小神殿を建立してもらって自らの美しさを愛と美の女神ハトホル女神とともに讃えられ、更には王妃の谷に、今にその美しさを伝える美しい壁画に囲まれた絢爛豪華なお墓に埋葬されると言う幸せな生涯を送っております。

数多くのセティ1世の側室の中に、貴族の出身と思われる美しい女性がおりました。 彼は老齢であったことから、息子のラメセス2世に共同統治を申し入れその代償として何人かの側室をプレゼントしたのですが、その中にこの女性が含まれておりました。この女性がネフェルタリで、ラメセス2世はその美しさと聡明さに惚れ込み正妃としました。こうして、ネフェルタリ王妃が誕生したのですが、彼女は私生活の面で完璧なまでに王家を取り仕切り、そのお陰でラメセス2世は安心して外敵と戦い、彼女が管理する500人を越える側室たちと遊び90才まで長生きしたと言われております。

しかし、残念なことにネフェルタリについてはその生い立ちや王妃としての記録が殆どなく、しかも彼女の子供の存在に不明なことが多く、少なくとも彼女の息子が王位を継承したとの記録は有りません。 実は、ラメセス2世は当初イシス・ネフェルトと言う女性を愛していましたが、ネフェルタリが現れると一時的に彼女を遠ざけていました。しかし、ネフェルタリ亡くなると彼女正妃になり、の次の王位に就いたメルエンプタハを生んでおります。ところが宿敵ヒッタイトが和平協定の条件にヒッタイトの王女をラメセス2世の正妃とするよう要求してきたため彼女は窮地に陥ったようです。

ラメセス2世はこの要求を、「エジプトでかつて王妃を離縁した王はいない」としてはねつけたもののイシス・ネフェルトが自ら命を絶つことにより戦争勃発を防ぐ道を選んだと伝えられておりますが、これは出来過ぎのように思います。夫の腕の中で惜しまれながら息絶えたネフェルタリ、独り寂しく死を選んだイシス・ネフェルト、しかし彼女の息子はファラオとしてラメセス王朝を繋ぐ重要な役目を果たして歴史に名を残しております。果たしてどちらの女性が幸せだったのでしょうか。

ツタンカーメンの死後、宰相アイが唯一王位継承権を持つアンケセナーメンと結婚出来たため自動的に王位を継承出来ましたが、当時の勢力図から考えれば軍事権を掌握していたホルエムヘブが実力ナンバーワンでしたからホルエムヘブは既に60才を越えていたと思われるアイの余命は短いとみて、その間に着々と王権獲得の準備を進めていたものと思われます。そして、アイが在位4年で没すると彼は待ってましたとばかりに直ちに王位を継承しているのです。 しかも彼の王妃は、ネフェルテイテイを頼ってエジプトに身を寄せていたミタンニ王国の王女ムトジェネメトで、このように正式な王位継承権を持たない女性と結婚して何故王位に就けたのかは謎のままです。

彼は王位に就くと、アメン信仰の復活を復活させ、アテン神殿やアマルナ時代の建造物をことごとく破壊、アテン神排斥に消極的だったツタンカーメンやアイ、アメンへテプ4世の名を除去して、その上から自らの名を刻まております。ところが、不思議なことにそのように権勢を誇ったホルエムヘブは、いともも簡単に王位を身内ではなく血筋の繋がっていない部下だった下級軍人のパラメスに譲ってしまったのです。これまた謎で、このようにホルエムヘブには多くの謎がつきまとっております。 こうして、連綿とと受け継がれてきた第18王朝の血筋はここで絶え、パラメスを改名したラメセスによって第19王朝に引き継がれ、その孫がラメセス2世となるわけです。

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