エジプト古代史を彩る女性たち(6)
(5人の女性たちの総括)

この5日間で、エジプトト古代史を彩る5人の女性たちと題して、時代順にハトシェプスト女王、ネフェルティティ王妃、アンケセナーメン王妃、ネフェルタリ王妃、クレオパトラ女王を採り上げてみました。実は彼女自身、または最初の夫が即位または共同統治した時期で比較すると、最初のハトシェプスト女王と最後のクレオパトラ女王は1447年も離れているのです。日本の歴史で言えば、聖徳太子の飛鳥時代と現代に相当します。その在位期間と配偶者を以下にリストしてみました。

・ハトシェプスト  1498-1483BC トトメス2世
・ネフェルテフィティ 1386-1349BC アメンヘテフ,3世,アメンヘテプ4世
・アンケセナーメン  1350-1334BC アメンヘテフ,4世,ツタンカーメン,アイ 
・ネフェルタリ    1279-1212BC ラメセス2世
・クレオパトラ     51-  30BC プトレマイオス13世,プトレマイオス14世

彼女たちに共通しているのは美人であったことのようです。ハトシェプスト女王については甥のトトメス3世によって彼女の肖像画は尽く消されておりますので、その容姿は不明な点が多いのですが、一昨日の日記で紹介した、カイロ博物館所蔵の胸像から察すると目の大きな綺麗な女性だったと思われます。正真正銘の美人は、ネフェル(美しい)の名で共通のネフェルティティとネフェルタリと思います。 アンケセナーメン世の美女、ネフェルタリは、側室500人を持つ程に女好きのラメセス2世が愛して愛して愛し抜かれた当時、エジプト一の美女であったと思われます。

アンケセナーメンも母親、ネフェルティティに似て美人と思われますが、肖像等から見ると小柄で可憐 な感じのする女性のように思えます。クレオパトラを、楊貴妃、小野小町とともに世界三大美女と言うのには私としては異論が有ります。現在でも美人の多いマケドニア系の彼女のことですから美人であったことに間違いないと思いますが、それにしてはその美しさを讃えるモニュメントが少なすぎると思います。現在残っているものでその容姿を確認出来そうなのは右頁の頭像とコインの肖像しか有りません。そのいずれからも絶世の美女を彷彿させる程ではありません。カエサルもアントニウスも一目惚れしたと言うよりも付き合っていくほどに惹かれていったようです。彼女はエジプト語、当時ローマ帝国で話されていたラテン語だけでなく近隣諸国の言葉まで話せる程に語学力に優れ、絨毯にくるまってのカエサルへ直訴したこと、潜水夫にアントニウスの釣り針に塩漬けの魚を掛けさせて彼を諭したとの「英雄伝」逸話が残る程に頭の回転が早いことなどから、彼女には世界戦略のパートナーとしての魅力を彼らに感じさせたのではないかと思います。

やはり、彼女たちに共通しているのは結果から見ればいずれも不幸な生涯を送ったと言うことです。一見、華やかに見える女王、王女も死後のことも併せて考えると必ずしも幸福な生涯を送ったとは思えないのです。実はそのことを言いたくてこの5人の女性を敢えて採り上げたわけですから、そのことを以下述べてみたいと思います。つまり、タイトルは「エジプト古代史を彩る女性たち」となっておりますが、「エジプト古代史に名を残す不運な女性たち」が本音のタイトルなのです。

まず、ハトシェプスト女王の不幸は夫のトトメス2世が30代の若さで亡くなったことに始まります。夫の死によって王権に対する執着心が芽生え、父の遺言で正当に王位を継いだトトメス3世に自分の娘を強引に嫁がせて実権を握ったものの、その娘の早死にで野望は潰えて失脚してからは不遇な生涯を送り、死後は神殿の柱や壁面、記念建造物などにある彼女の浮彫や名前がトトメス3世により削り取られております。それが華やかに女王として君臨した19年間の代償でした。

アメンヘテプ3世から三顧の礼をもって異国から王妃として迎えられたネフェルティティもその夫に、その2年後に死なれ、再婚した夫の息子のアメンヘテプ4世には自分の娘のアンケセナーメンを側室として取られ夫の死後何とかして幼少の頃から息子同然に可愛がっていたツタンカーメンを未亡人となった娘と結婚させたものの18才の若さで彼に死なれてからは不遇な身になり寂しく生涯を終えております。 その娘、アンケセナーメンは子供の頃、実父のアメンヘテプ4世と結婚させられて子供まで生みながら、その夫に早死にされ、念願叶って仲の良かった幼なじみのツタンカーメンと結婚したものの6年後に早死にされ、助けを求めるかのように求婚した外国の王子はエジプトに来る途中に殺されたため不本意ながら王位継承権を有するが故に再婚した祖父のアイにも4年後に死なれ、臣下のホルエムヘブ の圧力により失脚して母同様に不遇な生涯を送っております。女として、妻として、母としてこれほどに不運な女性は滅多にいないと思います。

ネフェルタリは確かに死ぬまで夫、ラメセス2世に愛され、手厚く葬られておりますが、結果としてはせっかく子供を二人も生んでいるのに歴史の舞台に登場することなく、第二王妃の子がその後のエジプト王家を継いでおります。子供の幸福を願う母としてのネフェルタリとしては必ずしも幸福な生涯を全うしたとは思えないのです。

最後にクレオパトラですが、彼女が最も不幸だったと思います。彼女が王権に執着するあまり、何て多くの身内や夫を死に追いやったことでしょうか。まず妹のアルシノエをアレクサンドリア戦争で自分にに反抗したとしてアントニウスに暗殺させ、正当に王位に就いた弟のプトレマイオス13世から実権を奪うために形だけの結婚をし反抗されるやローマ軍に攻めさせ結果として彼はナイル川で溺死しております。次の弟のプトレマイオス14世とも形だけの結婚をして実権を奪い挙げ句の果てに内縁の夫ともいえるカエサルが暗殺されるや我が子カエサリオンを王にするために弟のプトレマイオス14世を暗殺して4人の妹弟を尽く死に追いやってしまいました。

しかも、実質的な夫だったローマ帝国の有力将軍だったカエサルもアントニウスも結果として死に追いやり最愛の息子カエサリオンも彼女の死後殺され、結局身内、夫を含め7人を死に追いやったことになります。そして自らも毒蛇に身を噛ませて自殺すると言う無惨な最後を遂げております。アンケセナーメンの場合と違い、自らの所業でこれだけ多くの人を死に追いやったのは罪深い女性だったとも言えると思います。

次に共通しているのは子供に恵まれなかったことです。ハトシェプスト女王は娘を甥のトトメス3世に嫁がせることで実権を握ったのですがその娘は早死にしそれを契機にトトメス3世に反撃されて不遇のまま死んでおり、ネフェルティティの娘のアンケセナーメンは不遇な生涯を送り、そのアンケセナーメンもツタンカーメンとの間に出来た子供は二人とも近親結婚のためか早産して父とともにミイラとして発見されております。またネフェルタリに二人の子供が居たことはアブシンベル小神殿に夫ラメセス2世とともにその子供達の立像が建てられていることで事実だと思うのですが、何故か夫ラメセス2世の後を継いだのは彼女の子供ではなく彼女の死後第二王妃になったイシス・ネフェルトの子供のメルエンプタハだったのです。そして、クレオパトラとカエサルの間にできた子供、カエサリオンは彼女の死後オクタウィアヌスによって殺されております。 しかし、オクタウィアヌスは、クレオパトラとアントニウスとの間に生まれた3人の子供は、手厚く保護したと言われておりますので、この5人の女性の中でその末裔がいる可能性があるのはクレオパトラだけと言うことになります。


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