−日記帳(N0.421)2003年01月13日− |
素晴らしい高校サッカー決勝戦 |
ミドルシュートを放つMF小川 |
ここ数年、国見、市船、帝京、東福岡の4強が国立を独占している感が有ります。 次に示すように、この6年間で3強が2回ずつ優勝を分け合い、そ6試合のうち 2試合に帝京が準優勝しているのですからまさに4強時代そのものです。 第75回(平9) 市立船橋 第76回(平10) 東福岡 第77回(平11) 東福岡 第78回(平12) 市立船橋 第79回(平13) 国見 第80回(平14) 国見 御影師範 (現神戸大学・教育学部)の第一回大会からの7連覇は当時参加校がごく僅かだったことから参考記録として、大会3連覇した高校(旧制中学)は一校も有りません。2連覇したのは次の4校に過ぎません。 ・浦 和(第33回(昭30)ー第34回(昭31)) ・浦和市立(第38回(昭35)ー第39回(昭36)) ・藤 枝 東(第41回(昭38)ー第41回(昭38)) ・浦 和 南(第54回(昭51)ー第55回(昭52)) ・ 帝 京(第62回(昭59)ー第63回(昭60)) ・ 国 見(第79回(平13)ー 第80回(平14)) その4強の一角、大会史上初の3連覇を狙う県立国見高校(長崎)がやはり4強の一角で3年振り4回目の優勝を狙う舟橋市立高校(千葉)との決勝戦は見応えのある素晴らしい試合となりました。 東京・国立競技場で、5万1986人の大観衆のもとで行われた第81回高校選手権の決勝戦が行われました。 後半20分、 左FKのクリアがこぼれたところに、市立船橋のMF小川佳純(3年)が走り込み、正面右約30メートルから放ったミドルシュートが相手GKの手をかすめ、見事な弧を描いて国見のゴール左上に突き刺さり、これが決勝点となって市立船橋が1―0で逃げ切り、戦後初の3連覇を目指していた国見(長崎)の夢を打ち砕きました。市立船橋の布啓一郎監督(42)は今年度限りで勇退することが濃厚で最高の花道となりました。 決勝点につながったこのFKは、国見の厳しいマーク守備をかいくぐり、市立船橋が逆襲から得たもので手堅いディフェンスの勝利でも有り、現に国見は失点の直後、2度の決定的場面を作ったもののGK国領の好守に阻まれております。試合後の記者会見で、シュートを決めた小川選手は左太腿と左ひざの負傷で今大会前までは先発が確定していなかったが「距離が長かったので軌道をずっと見ていて自分でもびっくりした。あの距離は練習でもさすがに蹴っていない」と驚いておりました。 下馬評通りに苦しい試合展開の中、国見の素早いチェックと激しいコンタクトで、なかなかボールが回らなかったところへ運動量の落ちた後半こそ持ち味のパスワークでチャンスをつくったもののボールを放り込んでくる国見のパワー・サッカーにピンチの連続で小川の一発はまさに起死回生の逆転と言った感じでした。 この結果、市立船橋は戦後の歴代優勝回数4勝以上のグループ(国見(5勝)、藤枝東、浦和市立、帝京(ともに4勝))に仲間入りしました。 |
−日記帳(N0.422)2003年01月14日− |
エジプト古代史を変えた男性達(1) (古代エジプト王国の開祖・ナルメル王) |
カイロ博物館所蔵ナルメル王のパレット | パレットのレプリカ |
昨年暮れにエジプト旅行を終えての感想として、「エジプト古代史を彩る5人の女性たち」を5回に渡って掲載しましたが、今度は私の目からみて、エジプト古代史を変えるほどの影響力を発揮したファラオ(国王)を10人選んで上記のタイトルで今日から10回に渡って掲載していきたいと思います。 古代エジプト王国は31代に渡る王朝にグレコローマン王朝を加えると3100年間もの長きに渡り、その間に異民族のヒクソス、リビア、ヌビア、アッシリア、ペルシアの一時的な支配を受けながらも300人以上のファラオが在位しました。このように2000年Kら5100年以上も前のことなのに、これだけ王名や在位期間などが判るようになったのは次の三つの理由によります。 1.ヒエログリフの象形文字で書かれた王名表の存在(マネトーなど) 2.ヒエログリフの解読(ロゼッタストーンの偶然の発見により) 3.ヒエログリフでカルトーシュ(楕円形の枠)に王名記載の慣習 そうしたファラオの中から歴史を動かしたかあるいはその節目に在位した10人のファラオを私の独断で選びリストアップしてみました。今日は、その第一回としてナルメル王を取り上げます。 |
ファラオ名 | 王 朝 名 | 在位(BC) | 歴史を変えた理由 |
ナルメル | 第1王朝 | 3100年頃 | エジプト王朝の開祖 |
ク フ | 第4王朝 | 2589-2566 | ピラミッド絶頂期を築く |
メンチュヘテプ2世 | 第11王朝 | 2060-2010 | 上下エジプトをはじめて統一 |
イアフメス1世 | 第18王朝 | 1550-1525 | 異民族追放し王国再統一 |
ホルエムホプ | 第18王朝 | 1323-1295 | 異例の継承・譲位で王朝終焉 |
ラメセス2世 | 第19王朝 | 1279-1213 | 古代エジプト中興の祖 |
カンビュセス2世 | 第27王朝 | 525-522 | ペルシャ王としてエジプト初征服 |
ネクタネボス2世 | 第30王朝 | 360-343 | エジプト人として最後のファラオ |
プトレマイオス1世 | グレコロ-マン | 305-285 | グレコロ-マン王朝の始祖 |
プトレマイオス12世 | グレコロ-マン | 51- 30 | 王国を破滅の遠因を作った |
最近、日本の高校教科書に、エジプト王国を初めて統一したファラオとしてナルメルの名前が掲載されるようになりましたが、この人物にはまだ判らないことが多くエジプト王朝の開祖とする決定的な証拠はまだ無いようです。プトレマイオス朝時代にのマネトーという神官が書いた「エジプト史」をはじめ、アビドスの王名表などで、初代王はメネス王としておりますし、最近はその200年も前に統一されていたとの新説も出ているのとナルメル王の肖像画や彫像が発見されていないのがその理由です。 エジプト考古学博物館(1F)にある「ナルメル王の勝利のパレット」(上の画像)が唯一ナルメル王の存在と上下エジプトの統一を裏付ける証拠と考えられております。このパレットは、ヒエラコンポリスのホルス神殿の発掘調査中に発見された奉納品のひとつで、孔雀石と言う日本画にも使われる柔らかい緑色の石で作られた奉納用化粧版で、その表面には上エジプトの王であるナルメル王が敵の下エジプトの象徴である赤冠を被って敵の死体検分に出かける場面が描かれており、裏面にはナルメル王が上エジプト王の象徴である白冠を被って敵の首長を打ちすえる場面が描かれております。このように上下エジプトを統一したことを二重冠が被ることでアピールしているものと考えられます。 |
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