−日記帳(N0.461)2003年02月24日−
トルコ旅行とクルド人

一昨年の秋に予定していたエジプト旅行がNYの同時テロで昨年の秋に強制的に延期され、今年の春に計画していたトルコ旅行もイラク攻撃の際のトルコ及びイラクとの国境周辺のクルド人の動静がどうしても気になり自発的に中止することにしました。

私は古代文明の遺跡見学が好きですので、先回の古代エジプト王国の遺跡に引き続き、エジプト王朝、特にラメセス2世の宿敵、ヒッタイト帝国の都だったハットゥシャシュ遺跡や奇岩で囲まれた地下都市遺跡のカッパドキアなどのトルコの遺跡見学に憧れていただけに残念ですが様子を見て年内には行きたいと思っております。

そこで改めてこのクルド人のことについて調べて驚きました。クルド人については、独立を目指しているイスラム系の少数民族と言う程度の知識しか持っていなかったのですが、その少数の数が半端ではないのです。何とその人口は2500万人で、イラクの2100万、北朝鮮の2300万、アフガニスタンの2100万、更にはあのPLO(パレスチナ自治政府)の840万人より大きいのですからまさにクルド人は「世界最大の少数民族」、「祖国なき最大の民」です。

彼等の居住地域はクルディスタンと呼ば、トルコ、イラン、イラクにまたがり、面積はフランス一国に匹敵するほど広範囲で、その人口はざっとトルコに1500万人、イランに400万人、イラクに500万人、シリアに100万人、欧州各国に100万人と分布していると言われております。

クルド人の歴史は古く、昨日の日記にも触れましたように、BC3000年頃、現在のイラクが位置するメソポタニア地方で都市国家を作ったシュメール人が先祖と言われ、紀元前10世紀には既にクルド人と呼べるだけの民族集団を形成し共通の言語を持っていたにも関わらず、部族的性格が強過ぎるため統一された組織として独立運動をしにくい環境にあったことが災いして独立国家としての歴史をほとんど持たないまま他民族に隷属し続けてきた不幸な民族と言われております。

クルド人は第一次大戦後、パリ講和会議での民族自決の波に乗り、セーブル条約にクルド国家の設立を謳うことに成功したもののトルコがこの条約を破棄し、更に列強諸国はこれを黙認し、ソ連やイラクにも翻弄されて結局、固有領土を持つ独立国家として世界に認められないまま現在に至っております。

その後は、自治・独立を求めて戦いを激しく繰り返すものの、常に居住国の中央政府から押さえつけられ、、西欧列強、近隣諸国からもクルド人が独立した場合の利害から無視され続けております。 自国内にクルド人の居住地域を持つイラク、トルコ、イランは過去数十年、各々別の部族に肩入れしたり、クルド人同士を敵対させてクルド人の分断化、弱体化を図ってききました。

国内に約1200万人のクルド人を抱えるトルコは、イラク攻撃後イラクが敗北してイラクに居住する約500万人のクルド人の独立国家が建設される可能性が濃厚でその場合、自国のクルド族の独立闘争に波及することを恐れ、米国のイラク攻撃に反対しております。

一方、米国としてはイラク攻撃に際しては、トルコ、クルド人双方の協力が必須で、空爆にはトルコ国内の基地使用が不可欠、イラク系クルド人支配下の兵士5万人はフセイン打倒に役立ち更に米国がクルド人地域で軍を展開する場合は米軍はトルコ領内を通過することになえいます。 つまり、米国がクルド人の要求の応えればトルコの反発を呼び、トルコの要求を受け入れるとクルド人の反発を呼ぶと言うジレンマに米国は悩んでおります。

イラク国内のクルド人は、イラク政府に自治・独立を要求してきましたがフセイン政権20年間には5000の村落のうち4500が破壊されたと言われ、湾岸戦争後の1991年にはクルド人達の蜂起にイラク軍による鎮圧を受けて、約200万人の難民がトルコ国境の山岳地帯に流出し、多くの人が政府軍ヘリコプターからの爆撃と雪に倒れて亡くなったと言われております。

この後、多国籍軍の保護の下で92年5月、クルド人地域で史上初めての選挙が行われ、イラク北部にクルド人のための自治州3州が作られイラク北部は、シーア派イスラム教徒の住む南部とともに米国によりイラク空軍の飛行禁止区域にされ現在に至っております。しかし、イラク政府はこのクルド地域政府の存在を認めず非合法としておりますが米国は国連安保理の決議688号に基づく正当なものと主張をして対立し、現在でも米英軍とイラクとの間で爆撃、対空砲火の局地戦が行われております。

このように考えていくと、クルド人問題はパレスチナ問題ととも今後、大きな国際問題として位置付けられていくものと思われます。ただ、パレスチナ問題と違って同じイスラム圏内とは言え、イラク、トルコ、イラン、シリア等の国々の利害関係、イラク内のクルド人居住地域内に有るイラク最大のキルクーク油田を巡っての列強国の利害関係が複雑に絡み合ってその解決には難問が山積しております。
−日記帳(N0.462)2003年02月025日−
北朝鮮のミサイル発射実験

韓国・国防省は今日、25日、北朝鮮が24日午後、日本海の公海上に向けて対艦ミサイルを発射したと発表しました。この発表には場所、時刻、落下地点等の詳細情報は含まれておりませんでしたが、25日付の韓国紙「中央日報」は消息筋の話として、発射されたのは対艦ミサイル「シルクワーム」と推定され、朝鮮咸鏡南道から発射され、北朝鮮沿岸から60キロの日本海海上に落下したと伝えております。

その後、防衛庁等から、これは地対艦ミサイルで、24日午後1時、3時の2回にわたって北朝鮮東部の咸鏡南道から発射され、1発は失敗、1発は北朝鮮沿岸の約60キロ沖の朝鮮が演習水域に設定している海域に着弾したと公表されました。

このミサイルのシルクワームは中国製の短距離地対艦ミサイルで、射程は約85km。中国の正式名称は「HY―2」で胴体が太いことから米国や日本などでは「シルクワーム(蚕)」と呼ばれております。北朝鮮は改良型も保有しているとされ、1994年5、6月に数回の発射実験を実施しており、湾岸戦争ではイラク軍が多国籍軍艦艇に向けて数発発射したものの一発も命中しなかったと言われております。

イラク情勢や北朝鮮での核開発再開で緊迫化していることから、このニュースは日本のメディアでは大々的に報道され、中には不安を煽り立てるような論調も散見されたように思います。その後、冷静に分析してみるとそれほど大騒ぎする内容ではないことが判るにつれてトーンダウンしましたが、この程度のことで大騒ぎしたら北朝鮮の思うツボと思います。

この点、韓国、米国は冷静に受け止めて大騒ぎしておりませんでした。韓国国防部は「北朝鮮は毎年2回ほどのミサイル発射実験を行っており、今回のミサイル発射も軍部の冬季訓練の一環」との見方を示し、パウエル国務長官も「数日前から、北朝鮮が海事関係者に近々発射実験の宣言をしたことは知っていたので、特に驚いていない」と述べております。

防衛庁も「今回の発射実験は毎年冬に行われている通常の訓練であり、日本の船が実験区域に立ち入る可能性はない」と冷静に受け止めていましたが、問題だったのは石破防衛庁長官に正式な報告を行ったのがほぼ半日後の25日の朝になって遅れたことにより、福田官房長官がいち早く、日本政府が冷静に受け止めているとの政府見解を発表するタイミングを失したことだと思います。

そのために、日本のメディアがこれを過大に報道して不安を掻き立てたり、日本の核武装論を紹介して外国のひんしゅくを買ったりして、まさに北朝鮮側の思うツボにはまってしまった感がしなくもありません。また、ここで日本海の呼称問題が再燃するきっかけになったように思うのです。

韓国側は、「北朝鮮、日本海にミサイル発射」ではなく、「北朝鮮、東海にミサイル発射」と言っているのです。 この日記帳の2002年08月23日で日本海の呼称問題を取り上げましたが、「公海を特定の国名を付けて呼ぶから今回のように、如何にも日本の領海近くに着弾したような印象を与えるのだ」との韓国側の主張が聞こえてくるようです。

逆に公海だからこそ、国際的なルールにのっとり、危険水域を事前に通報し、周辺国に敵対的な行為をとっているのではないということを示せば特に問題にする必要はなかったはずで、北朝鮮が25日の盧武鉉(ノ・ムヒョン)・韓国新大統領の就任式にパウエル国務長官、小泉首相ら日米の首脳陣が集まっているタイミングを見計らって自分たちの存在に注意を払って欲しいとの北朝鮮側のアピールと理解するぐらいでいいのではないでしょうか。

日本のメディアは、興味本位の報道により、いたずらに国民の不安を掻き立てるようなことは控えて、国益にも配慮して冷静な報道姿勢を貫くよう願って止みません。

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