−日記帳(N0.465)2003年02月28日−
松井のホームランに感激


今年からNHKのBS1でMLBのオープン戦のうちNYヤンキース・松井選手が出場する場合に限って生中継することになりました。ただ、現地での午後1時の試合開始が日本時間の早朝の午前3時になりますので、徹夜するか超早起きするしかありません。私はそのいずれも取らず、録画予約し試合終了予定時刻の午前6時過ぎに起きて再生して観戦することにしました。

この方法ですと、生のニュースが始まる前に、松井の打席場面の前後以外は飛ばして効率よく松井の打席だけを集中的にじっくりと観ることが出来ますので大変便利です。そんなわけで就眠前に録画予約して6時半に起きて観戦しましたので、正確に言うとこの日記は3月1日の分になります。

MKBオープン戦が現地時間の2月27日から、フロリダ、アリゾナ両州の各地で始まり、タンパ(フロリダ州)ではヤンキースがレッズと対戦、松井秀喜外野手は「5番・レフト」で先発出場しました。そして、2回の第1打席でレッズ先発の3年連続の2ケタ勝利の右腕、デンプスター投手の6球目に詰まって三塁ゴロのデビューとなりました。

そして、小雨が止みかけてきた3回、左打席の松井を見込んで交代した左腕、ジミー・アンダーソン投手に相対することになりました。場面は2死一塁、鋭く振り抜いた打球は低い弾道を描いてその3秒後には右翼場外の川面に飛び込み、そしてその十数秒後には水を吸い込んで川底に沈んでいきました。素晴らしい右への2点本塁打でした。6回にまわってきた第3打席は鋭い2直に終わってその回で退き、結局、松井選手は3打数1安打、2打点のデビューでした。尚、試合はヤンキースが3―9で敗れました。

この試合後、松井に対して、トーリ・ヤン キース監督は「3打席とも質のいい打球だった」、2000年の日米野球で顔を合わせている先発デンプスター投手は「本当にいい打者だ。自信を持っているように見えたし、順応できているようだ」、本塁打を浴びたアンダーソン投手も「どの球にもついてきた」と概ね賛辞を寄せていました。

米国のメフィアは松井選手には好意的な論評が多かった反面、松井選手とともに大物新人として4年総額3200万ドル(約38億円)で契約したものの、この試合で5失点と散々なデビューに終わった亡命キューバ人のホセ・コントレラス投手は散々に酷評されておりました。しかし、米メディアは結果を出せば称賛、出なければ手厳しいことで知られており、鮮烈なデビュー弾を放つ前の27日付のUSA TODAY紙は、松井選手を、「ボスのジョージ・スタインブレナー・オーナーが最も熱中している”おもちゃ“」と表現し、松井選手のために出場機会が激減する恐れの有るヤンキースの2人の左翼手、ロンデル・ホワイトとフアン・リベラ両選手に同情を寄せておりました。

この日記帳の2月18日で、松井選手の言動についてやや批判的に述べていた私ですが、この試合での打席、そして翌日のフィリーズ戦での雨の中断の中、ベンチで直立不動で雨の止むのを待つ彼の態度を観て、人間としての素晴らしさを感じ取り彼を見直しました。雨の中を観戦してくれるファンを思うとベンチに座っていることが出来なかった彼の心情を察知したからです。

ただ、あるスポーツライターの、松井選手のホームラン打球が低い弾道で、彼独特の放物線を描いて高く舞い上がらなかったのが、日本より7グラム重くかつ縫い目が太いMLB専用のボールへの対応が出来ていない証拠との論評には少し気になりましたが、きっと彼のことですからしっかり対応してくれるものと信じます。
がんばれ 好漢 松井秀喜!  
−日記帳(N0.466)2003年03月01日−
今日から春・弥生3月


私は、「弥生」と言う言葉が好きです。それも、その前に「春」が付いて、「春、弥生」と続けて発音すると、発音がスムースに出来る上、その響きが軽やかで、如何にも春到来の喜びが込められており、大好きです。 それと、「早春賦」と言う童謡も好きです。

春は名のみの 風の寒さや
谷のうぐいす 歌は思えど
ときにあらずと 声もたてず
ときにあらずと 声もたてず ♪

春到来と人は言うけれど、この冷たい風に触れると
それは名ばかりで、まだ春は来てないのではないか
我々に春到来を告げてくれる鶯もそう思っているのか
ついそこまで来ながら鳴くのを躊躇っているではないか

以上は私が勝手にその詩の意味を解釈して書き上げてみたのですが文学、特に詩歌に疎い私のことですから作者の真意を代弁していないかも知れません。でも、詩歌は例え、作者の真意を理解できなくてもそれに感動すればそれでいいのではないかと思います。

この吉丸一昌(1873〜1916)さんによる詩も素晴らしいのですが、作曲者の中田章(1886〜1931)さんのこのメロディーも、この詩にマッチして素晴らしいと思います。それに、この中田章さんの息子さんの中田喜直さんの「小さい秋見つけた」もまた、秋の訪れをそこはかとなく歌い上げる素晴らしい歌で大好きです。こうして、親子二代で作られた歌が季節の変わり目の愛唱歌としてみんなに親しまれているのもこれまた素晴らしいことと思います。

その中田喜直さんも平成12年5月3日に享年76歳で亡くなられました。 しかし、その歌は永久に歌い継がれていくものと思います。

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