−日記帳(N0.681)2003年01月04日− | −日記帳(N0.682)2003年10月05日− |
今年の日本人ノーベル賞候補は | 松井選手の大活躍に酔う |
ヤンキー・スタジアム | メトロ・ドーム |
松井が所属するニューヨーク・ヤンキースは27回目のワールドチャンピオンを目指して、まず同地区の長年に渡る宿敵、ボストン・レッドソックスとの接戦を制して地区優勝を果たし、更にアメリカン・リーグ・チャンピオン・シリーズ(ALCS)の出場権をかけてミネソタ・ツインズと対戦しました。 ツインズは本拠地をミネソタ州ミネアポリスに置き、セントポールと「双子(twins)」の都市と呼ばれていることからこの球団名になっております。チームの前身はワシントン・セネタースで、1961年のエキスパンションの際に移転しこの球団名に変更されました。 赤字に悩む不人気球団で、2001年シーズン後に連盟からリストラ候補リストに入れられておりましたが、今年はそれに発憤して地区優勝を果たしました。 地元のヤンキースタジアムで9/30に行われた緒戦では、松井選手は七番・左翼で先発し、プレーオフ初打席で安打を放ち、3打数1安打でしたが、ミスが続発したこともあって試合はヤンキースは1-3で破れました。 松井選手は2回の第1打席で中前打。4回1死一塁の第2打席は二ゴロ併殺打でしたが、7回の第3打席は四球。9回無死一塁の第4打席では左翼フェンス際へ大飛球をスチュワート選手にフェンスの向こう側にグラブを差し出して好捕されてしまいました。もし、この好捕が無ければ、結果的には2ランとなり同点になっただけに惜しまれます。 翌々日の10/2に行われた第2戦では、松井外野手は6番・左翼で先発しましたが、1回2死一、三塁で空振り三振、4回1死二塁は二ゴロ。6回2死無走者では四球を選んだが、7回2死二、三塁でも二ゴロに倒れ、結局3打数無安打に終わりました。この試合、ヤンキースは一回にウィリアムズの中犠飛で先制、5回にハンターの本塁打で追いつかれたものの七回にソリアーノの左前打で勝ち越し、その後もジアンビの中前打で加 点し、ヤンキースが4-1で雪辱し、1勝1敗のタイに持ち込みました。残念ながら、この試合では松井選手には全くいいところが有りませんでした。 このメトロ・ドームはア・リーグ唯一の密閉型ドームで、ヤンキースの選手からは次の三つの理由で忌み嫌われておりました。 ・白い天井のため打球を見辛い ・5万弱の大観衆が一方的にツインズを応援する ・人工芝のため打球の跳ね返りの感覚を掴めない しかし、松井選手は東京ドームがスカイドームをモデルにして作られただけに白い天井には慣れており、甲子園での一方的な応援にも、人工芝も東京ドーム、名古屋ドーム等で慣れておりますので、期するものが有ったものと思われます。 第3戦は、10/4に場所を敵地、ミネソタ州・ミネアポリスのメトロ・ドームで行われました。私が酔ったのはこの第3戦での松井選手のホームランと第4戦のエンタイトルの二塁打でした。まず、第3戦で、松井選手は六番・左翼で先発し、2回1死三塁の第1打席で、日本人大リーガーとしてポストシーズン初のアーチとなる先制の右越え2点本塁打を放ち、8回にも中前打し、この日は4打数2安打2打点と勝利に大きく貢献し、結局ヤンキースが3-1で勝ち、通算2勝1敗でリーグ優勝決定シリーズ進出に王手をかけました。 第4戦は、10/5に引き続いてメトロ・ドームで行われ、ヤンキースが8-1で快勝し、対戦成績3勝1敗で2 年ぶり11度目のALCS進出を決めました。松井選手は六番・左翼で先発し、5打数1安打1打点。4回1死一、三塁の第2打席で右中間に適時エンタイトル二塁打を放ち、ヤンキースの2点目となる打点を記録しました。 私が酔い痺れたのは第3戦のホームランと第4戦の二塁打でした。松井選手がホームランした球は、151キロのインコース高めのボール球で、腰を使ってよほど鋭く振り抜かない限りホームランには出来ない球で、これにはト−リ監督も絶賛していました。そして、あの二塁打はかって私が見たこともない物凄い当たりでした。打球は鋭いライナーになってワンバウンドしてあっと言う間にフェンス越えしました。さすが松井選手です。ALCSでの活躍を期待します。 |
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