−日記帳(N0.685)2003年01月10日−−日記帳(N0.686)2003年10月11日−
衆議院解散・総選挙へ 大リーグ物語(発祥の歴史)

「衆議院を憲法第7条3項により衆議院を解散する」 綿貫議長の声が議場に凛々と響き渡り、議員が総立ちして「バンザイ」三唱して歓呼の声を上げておりました。解散とは、任期満了前に議員の資格を失わせる行為、つまり失職させることですから、この瞬間日本の失業率が0.0007%増大したことになります。

「バンザイ」は天皇陛下をお迎えする時のかけ声で、1889(明治22)年の大日本帝国憲法発布式の折りに発案され、「萬歳」と書かれておりましたが、普通に読むと「まんざい」になり、間がぬけているので後の文相・外山正一博士の考えで、中国の漢音「バン」と呉音「ザイ」をまぜて「バンザイ」と読まれるようになったのがきっかけと言われております。

その後、帝国議会では天皇陛下を議場にお迎えするバンザイをするようになったが、何故解散が宣せられた時にまでバンザイをするのかについては定説はありません。多分、これから選挙区に戻って戦うべく自分を鼓舞するか、野党なら政権交代、与党なら引き続き政権を担当することの前祝いのいずれかではないかと思っております。

衆議院の解散には二つのケースが有ります。 一つは、衆議院が「内閣不信任決議案」を可決したときに行われる「69条解散」、もう一つは今回のように国の重要な問題について、国民の意見を聞きたいと考えたときに行われる「7条解散」です。「69条解散」は自動的に解散が行われますが、「7条解散」は誰かが解散を決めねばなりません。

憲法第七条で、「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。」とされ、その国事として、

  一、 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
  二、 国会を召集すること。
  三、 衆議院を解散すること。
  四、 国会議員の総選挙の施行を公示すること。

などが定められ、この第三号がこれに該当します。 つまり、天皇が解散を決めることになっておりますが、実際は内閣総理が自ら決め、天皇の承認を得て実行します。天皇がサインした「解散詔書」を福田官房長官が宮中から運んで事務総長に手渡し、事務総長はそれを議長に渡し、議長がそれを朗読すると衆議院は解散されます。

この「解散詔書」を朗読した綿貫議長は万感の思いだったと思います。 楠木正成の系譜を引く兵庫県淡路島の名門、南家の三男で後に綿貫家の家督を継いだ父、南佐民の長男として生まれた綿貫民輔氏は、藤原工業大学冶金科(後の慶應義塾大学の工学部)に入学、鐘ヶ淵紡績(現鐘紡)を経て、昭和44年12月27日の第32回衆議院総選挙で勝利し、国会の議席を得たのでした。

平成12年6月2日、小渕恵三内閣総理大臣の死去に伴う小淵内閣の総辞職と森喜朗内閣発足に伴い、衆議院は解散され第42回衆議院総選挙が実施され綿貫民輔氏は全国で最も早く「当選確実」の速報が出た候補者の1人となりました。そして総選挙を終えた平成12年7月4日、綿貫民輔氏は第70代衆議院議長に就任し、今回の 「解散詔書」の朗読を最後に政界を引退することになりました。

米国で野球が盛んになったのは、1860年代初頭の南北戦争の頃と言われます。長きに渡る内戦の過程で、兵士たちが各地で余暇に野球を行い、捕虜のレクリエーションとしてもゲームが行われて徐々に全国に広がっていきました。その後、数々の野球チームが誕生したものの、野球は職業とすべきでないという風潮があり、プロチームは1869年のシンシナティ・レッドストッキングス結成まで誕生しませんでした。

このMLB最初のプロチームのシンシナティ・レッドストッキングスは全米で遠征試合を行い、同年、130連勝という記録を打ち立てたましたが、まだプロリーグが結成されていなかったため、このように不特定多数の各地のチームと転戦するしかありませんでした。1871年に、このシンシナティ・レッドストッキングスを中心にその他数チームで「ナショナル・アソシエーション」が結成され、これが母体になって「ナショナルリーグ」が発足しました。このリーグには次の8球団が参加しました。

・シンシナティ・レッドストッキングス(現在のシンシナティ・レッズ)
・ボストン・レッドキャップス(現在のアトランタ・ブレーヴス)
・シカゴ・ホワイトストッキングス(現在のシカゴ・カブス)
・セントルイス・ブラウンストッキングス(現在のセントルイス・カージナルス)
・フィラデルフィア・アスレティックス(1年で解散、他チームがフィリーズに)
・ニューヨーク・ミューチュアルズ(途中解散)
・ハートフォード・ダークブルーズ(途中解散
・ルイビス・グレーズ(途中解散

シンシナティ・レッドストッキングスは、1年目は9勝56敗という散々な成績でリーグ最下位に終わり、そして1880年、球場内でビールを売ってリーグ規約をたびたび破るということがあり、リーグから除名されてしまいました。そこで、1882年、後のアメリカンリーグの母体となったアメリカンアソシエーションが創立されたのを機に、シンシナティ・レッドストッキングスはこちらに参加しました。

最初は6チームでスタートしたこのリーグの初年度の優勝チームがレッドストッキングスで、この年、ナショナルリーグを制したホワイトストッキングスとレッドストッキングスがシーズンオフに戦っており、これがメジャー初のポストシーズンであり、これが後のワールドシリーズに繋がることになります。尚、両チームは2試合を戦い分け合いました。このアメリカン・アソシエーションを母体として1901年に、「アメリカン・リーグ」が創設され、次の8チームが参加し、現在のアメリカンリーグの原型となりました。

・ボルチモア・オリオールズ(現在のニューヨーク・ヤンキース)
・ボストン・サマーセッツ(現在のボストン・レッドソックス)
・シカゴ・ホワイトソックス(現在のシカゴ・ホワイトソックス)
・クリーブランド・ブルーズ(現在のクリーヴランド・インディアンズ)
・デトロイト・タイガース(現在のデトロイト・タイガース)
・ミルウォーキー・ブリュワーズ(現在のボルチモア・オリオールズ)
・フィラデルフィア・アスレチックス(現在のオークランド・アスレチックス)
・ワシントン・セネターズ(現在のミネシタ・ツインズ)

創設当初は、現在のニューヨーク・ヤンキースがボルチモア・オリオールズ、現在のルチモア・オリオールズがミルウォーキー・ブリュワーズ、現在のミネシタ・ツインズがワシントン・セネターズとそれぞれ名乗っていたことは案外知られてれていないようです。こうしてそれぞれ8チームからなる、ナショナル、アメリカン両リーグの体制が 1961年のエクスパンション(拡張)まで60年間に渡って続くことになります。


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