−日記帳(N0.701)2003年01月28日−−日記帳(N0.702)2003年10月29日−
今日は誕生日 古代エジプト王国歴史物語(4)
(ラムセス1世のミイラ故郷に戻る)

ナイル川遊覧船

私のように人生も半ばを過ぎると、自分の誕生日を、「よく無事にここまで生きてこられたものだ」と受け止めるようになります。つまり、若い頃は歳をとることで進学、進入、入学、卒業、就職、恋愛、結婚、育児・・・・・楽しいことが次から次ぎへと待ち構えておりますので、誕生日はそうした楽しい日々を迎える一里塚で、まさにお目出度いことでした。

しかし、人生半ば過ぎて誕生日を迎えると、後何年生きられるかの思いがまず頭を過ぎります。つまり物事を引き算で考えるようになります。でも、そうは言っても孫娘から「おじーちゃん お誕生日おめでとう」と言われると本当に嬉しくなります。また、見知らぬ方から、おめでとうと言われるのも妙に嬉しくなるものです。

昨年、エジプトを旅した時のことでした。旅行の最終日、ナイル川を遊覧船でナイトクルージングしたのですが、船内ででベリーダンスのショーが有りました。ショーが中休みになった時、突然司会のエジプト男性が「Happy birthday to Mr.Suzuki!」と叫び、真っ赤なドレスを纏った女性ダンサーが誕生ケーキを私の席まで運んでくれました。そして、日本人よりも多かったドイツ人、イタリア人、フランス人など顔の色、目の色、髪の色の違う数百人のみなさんから拍手を受け「Thank you!」と叫び返しましたが、久しぶりに味わった感動的な誕生日でした。

また、メールで多くの見知らぬ団体から誕生祝いのメッセージを頂くのも悪い気はしません。中には、誕生日の花言葉を次のように紹介してくれました。私の誕生日は、10月28日ですがこの日の誕生花は「むくげ」で、花言葉は繊細美だそうです。この花は短命ながら、夏から秋にかけて次々と咲く様はとても華やかで白、桃色、紅紫など上品な色揃えをしているのだそうです。そして、その意味は自分に正直で、ストレートにものを言う一方で、人の心を思いやる繊細な優しさも持ち合わせ決して相手を傷つけるようなことはしませずに、磁石のように人を惹きつける魅力的なキャラクターです。

この言葉が気に入りましたので、女房に話したところ、全て逆だと一蹴されました。

エジプト考古学博物館所蔵の
ラムセス世のミイラ
今回米国より返還される
ラムセス1世のミイラ


この日記帳の9月1日に、昨年6月12日にエジプトの「王家の谷」で発見された3体のミイラのうちのひとつがイギリス人の女性ミイラ学者による調査でエジプト王妃・ネフェルティティのミイラと判明し、CG技術により復顔されましたので、その画像を掲載させて頂きましたが、古代エジプトファンの私としてはとても嬉しいニュースでした。

ところが、昨日またまた古代エジプトに関するビッグニュースが飛び込んできました。古代エジプト王朝の中でも最も華やかな新王国時代・第19王朝(ラムセス王朝)の創始者でそのミイラが行方不明になっていたラムセス1世のミイラが米国で確認され、エジプトに返還されることになったと言うのです。

このラムセス1世のミイラの画像(上の右側)を見て、昨年エジプト旅行の折りに見学したこのラムセス1世の孫に当たるラムセス2世のミイラ(上の左側)と頬骨の出っ張りと額の形がよく似ているように思いました。DNA鑑定すればその血縁関係の有無は特定できると思われますので是非実施して欲しいものです。

エジプトで発掘されたミイラの殆どはミイラ商人によって19世紀にヨーロッパに運ばれていきました。そして、蒸気機関車などの燃料に使われてしまったようです。何故なら、ミイラには腐敗防止のために天然樹脂が使われていたため燃えやすく粉末にすればとても扱いやすい燃料になるからです。勿論、全てではなく王家の谷などから盗掘されたミイラや副葬品は博物館などに運ばれていったようです。

このラムセス1世のミイラも1860年頃、エジプト人からカナダの収集家に売られたとみられ、北米を転々とし、1999年に米アトランタの大学の博物館に収納され、ここで科学的調査の結果、ラムセス1世である可能性が高いと結論づけられたため、世界中に散逸した古代文化財の返還を求めるエジプト政府の意向に沿い返還されることになったわけです。

世界中に散逸した古代エジプトの文化財の代表例としては大英博物館のロゼッタストーン、ベルリン博物館のネフェルティフィ王妃の胸像、パリ・コココルド広場のラムセス2世のオベリスクが有りますが、今回の米国からの返還を見習って是非ともエジプトに返還して欲しいものです。

実は、ラムセス1世とネフェルティティ王妃は同時代の人物で、ラムセス1世は若い頃ネフェルティティ王妃やその一族等の王族を守る役目を果たしていたと言われております。ラムセス1世は当時の王族とは全く血縁の無い一介の軍人だったのですが、幸運に恵まれてエジプト古代史の中でも絶頂期を極めた第19王朝を開祖し ましたので、明日そのくだりをご紹介してみたいと思います。








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