−日記帳(N0.717)2003年11月13日−−日記帳(N0.718)2003年11月14日−
土井社民党・党首の辞任に思う 今年初のマダカ(フッコ)の大釣り

土井たか子社民党・党首が今日、記者会見で辞任を発表しました。当然の辞任で、むしろ遅きに失した感があると私は思います。今回の選挙で小選挙区で立候補して落選したものの比例区で辛うじて当選するようでは党首辞任は勿論のこと、社民党と言う政党の存在意義すら失われたと考えてもいいように思います。

私は彼女は、辻元清美さんが議員辞職した時点で議員を辞職すべきだったと思います。それは、彼女が過去に犯した次の三つのミスを総括するために議員辞職すべきだったと考えるからです。

1.自民との連立政権に幹部として関与:
2.拉致問題は有り得ないとして捜索に非協力:
3.自らの秘書の給与不正受領指導疑惑:

1.については確かに彼女自らは表には立たなかったものの、村山首相擁立に加担し、自民党を野に下らせて反省させる期間を与えるべきだったのに、与党にして息を吹き返させてしまったばかりでなく、自衛隊、日米安保、天皇制等での社会党の主義主張が骨抜きにしてしまいました。

結局、この結果自民党には再び派閥、族議員がまかり通って政・官・業癒着の構図が鮮明になり、自民との連立政権崩壊後に社会党はバラバラに空中分解してしまう羽目になり、社民党と名を変えて再出発したものの、 連立政権時代に骨抜きになってしまったスロ−ガンのもとでは野党として存在価値は薄れる一方でした。

2.については、この日記の2002年10月04日の「腹の立つ話」で触れておりますが、社民党は旧社会党時代の1963年から90年にかけて、党訪朝団を20回派遣するなど朝鮮労働党との交流関係を深めており、その度に北朝鮮や金日成総書記、金正日総書記を礼賛し、拉致被害者救援については全く貢献しませんでした。それどころか、金正日総書記が日本人拉致事件を認め謝罪したにもかかわらず、社民党は同党のホームページに掲載されていた、拉致問題は日本政府のでっちあげで有り得ないとの趣旨の論文を削除しようともしませんでした。

こうした社民党の前身である社会党の間違った拉致問題に関する見解は拉致問題の解決を遅らせた点で国益を損ない、同党に主張する弱者救済に反する行動でもあり、この時点で少なくとも党首を辞任すべきであったと思います。

加えて、3.の問題では彼女が代議士になって以来秘書を務めてきた五島昌子氏が秘書給与流用疑惑に伴う逮捕された時点で責任をとって党首を辞任するとともに議員辞職するのが当然と思っていました。ところが、彼女は辻元清美氏は議員辞職して責任を取り、五島昌子氏は勝手にやったことで彼女には無関係で一連の事件の捜査に全面的に協力したことで党首としての責任は果たしたと述べ、党首辞任も議員辞職もしませんでした。

そして、今回の選挙での惨敗と彼女自身の選挙区での落選、もしこれでも党首を辞任しなかったら彼女政治家としてだけでなく一人間としても失格であると思っておりましたので、今回の辞任発表には異論を唱える声はどこからも出てきませんでした。

連立政権時代に社会党独自のスロ−ガンが骨抜きになってしまったため、彼女としては唯一残ったスローガンの「護憲」にしがみついたのはある程度しかたないとしても、これからも「護憲」を中心に党を運営していくことで福島新党首と合意しているとの報道には失望しました。「憲法を護る」ことに異議を唱える人は一人も居ないはずで、「護憲」を党の最大のスローガンにするようでは大きく変わりつつある世の流れついていけるはずがありません。

国を侵略者から守るのは政府の最大の義務であり、憲法もこれを合法的に実行できるように解釈されなければならないのに、現行の憲法の条文では必ずしもそのような解釈になっていないとすれば、平和憲法の精神は変えることなく、条文を合法的に解釈出来るように修正するのは当然で多くの国民もこれに反対してはいないと思います。 彼女はそのような修正ですら憲法改悪とみなし、修正しないことが国民の総意であるが如き発言をされておりますが、むしろ国民の総意に反する「護憲」堅持と思います。こんなことでは来年の参議院選での惨敗は防ぎようもなく、「そして誰もいなくなった」ことにならないように福島新党首の党運営に期待を寄せたいと思います。


釣果のマダカ(フッコ)とアジ

今日は朝から穏やかに晴れ渡っている上、風も殆ど無い小春日和の釣りに絶好の週末とあって、猪狩りの解禁日を明日に控えて現地視察に出向いたNKさんを除いて、Wさん、Sさん、NMさん、Hさんとほぼ釣り仲間全員で大井沖に集合し、明るいうちはてアジ、暗くなってから今年初のマダカを狙うことにしました。
昨年は、マダカが10月末から釣れだしたのに今年は水温が高いこともあってか、ここのポイントと通り道になっている沖合の魚礁でもマダカの魚影が薄く11月に入っても、ここのポイントで釣れだしたとの情報が無く今日がはじめての釣りとなりました。昨年は、マダカが一番釣れ盛った頃にエジプト旅行したためタイミングを逸したため、今年こそはとの思いでポイントに向かいました。

既に仲間たちはポイントに集合してアジ釣りをしていましたが、全く当たりが無いとのことでしたので、撒き餌が集中するようにボートとボートを繋なぎあいましたが、それでも当たりが出てきません。そのうち私の竿が急に揺れ始めたので巻き上げると20センチ弱の中型アジが3尾かかっていました。それから一時入れ食い状態になりましたが、10分ぐらいすると当たりが遠のいてしまうことから群が小さいようで、その様子は魚探の画像からも判りました。

しかし、何故か私のところだけは群が去ってからでもコンスタントに釣れましたので、私の腕がいいからだと自慢したところ、仲間たちは仕掛けがいいだけだと反論するのです。確かに私だけが赤色のサビキ仕掛けを使用していましたがそんなことにアジが反応するとはとても思えません。ただ、ボラやアイナメは赤色を好むので仕掛けに赤色を多用しますのでたまたまここのアジにそんな趣向が有るのかも知れません。

釣れないことに業を煮やした仲間たちは数十メートル先に移動して再開したところ当たりが出始めました。こうしてアジ釣りに夢中になっているうちに陽も沈みはじめあたりが暗くなるにつれてアジの当たりはプッツと途絶えてしまいました。やはりアジは暗くなると食いが悪くなるのと、このポイント界隈に大きなマダカが餌を求めて集まってくると恐れをなして逃げてしまうのではないかと思います。つまり、アジとマダカが交代することになりますから、次はマダカの出番です。

やがて、私の竿に当たりが有り、巻き上げていくとマダカ特有の強い引きが有りました。やがて50センチは悠に越えるマダカが海面すれすれまでその姿を現したかと思うと、パシャパシャと音を立てて海面上にジャンプしました。いわゆるマダカの「エラ洗い」です。ジャンプの反動で口に刺さった針を外そうとするマダカの習性です。次の瞬間見事に針が外れ、マダカは立ち去っていきました。

そのうち、他の仲間たちにも当たりが出始めましたが、海底に障害物が有るらしく取り込む途中でハリスを切らしたりして苦労しているようでした。それでも当たりは全員にコンスタントに出るようになり、あちらこちらで取り込む時の、パシャパシャ音が聞こえ、「大きいぞ、外れた」などの歓声も聞こえるようになりました。午後8時前後になると潮止まりのせいか当たりが遠のきました。餌も切れたこともあってここで納竿して帰港しました。 今日は、アジもマダカも私が竿頭でアジ60、マダカ20の釣果でしたが、型はSさんの60センチが最高でした。

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