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釣った魚の料理のしかた(2) 凄い夢を実現した大工さんの話(2)

11月に入るとスズキの幼魚であるフッコ(当地ではマダカと呼んでます)が釣れだします。スズキは高級魚として珍重されますので「スズキになるのはまだか、まだか」と言って当地の漁師さんたちがスズキになるのを待ち焦がれたことから、この名前になったと言い伝えられております。30センチ以下をセイゴ、60センチ以下をマダカ、60センチを越えるとスズキと言っております。

我々が釣るマダカは、50センチ前後が多いのですが、時々60センチのスズキクラスが釣れることがあります。現地で絞めて血抜きした50センチクラス数本は刺身用に確保しておきます。セイゴは塩焼き、マダカは新鮮なうちは刺身や洗いにし、冷凍室で冷凍にしたものはフライかムニエルにして食べます。

昨年、エジプトに行った折りに、ナイル川クルージングの船上でナイル川で獲れるスズキのフライを食べたことが有りますが、日本人ほどは魚を食べる習慣が無い中東や欧州の人たちもスズキやヒラメのムニエルやフライは高級料理として好んで食べるようです。

12月に入ると、落ちハゼが釣れだします。型は15から20センチ程度で、海水入りのエアポンプで活かして家に持ち帰った大物は刺身にすることにしております。 ハゼ科の魚は死ぬと急速に鮮度が落ちて味が悪くなるので刺身は活きたものを使うしかないのです。活きたハゼの刺身は透き通っているのに対して死んだhサゼの刺身は白っぽくなっているので見た目でも直ぐ判ります。

残りは開きにして天麩羅にすることにし、こうして活きていたハゼは刺身と天麩羅にし、死んだハゼは20センチ以上は白焼きにしておせち料理の昆布巻きの芯に使うことにし、15センチ以上は3枚に下ろしてフライ用、15センチ以下は頭と内臓を取ってそのまま唐揚げにすることにしました。特に唐揚げは二度揚げすることで尻尾から中骨まで食べられるのでカルシウム豊富な美味しい食材になります。それも揚げたてを食べるとホッカホッカでとても美味しいのです。

今年亡くなったchasukeクンもハゼ大好物で、活きていたハゼの小さいのを5、6尾あげました。最初は彼が口にくわえようとすると、ハゼが飛び跳ねるので驚いて後ずさりする場面も有りましたが何とか全部食べきりました。頭から尻尾まで綺麗に食べてくれました。

更に、3枚に下ろした時に出る中骨はそのまま唐揚げにして、骨せんべいにして食べ、切り取った頭はつゆや味噌汁の出汁に使ってみたところ、とても美味しい出汁になりました。高級料亭がこれを利用していることが納得できました。こうして、ハゼは余すことなく頂きました。

昔、江戸の町民の最高の贅沢は、江戸湾に屋形船のような釣り船に芸者や板前を乗せて出て、自分で釣ったハゼその場で板前に天麩羅等の料理を作らせてみんなに振る舞うことと伝えられておりますが、私もささやかながらハゼのお陰で贅沢を味合わせてもらいました。ハゼもこうして美味しく頂いたわけですからきっと満足して成仏してくれたことと思います。


11月12日の日記の続きです。 彼等4人を乗せた、大工のNさんによる手作りヨット「白雲」は地元の衣浦港を出発し、43日間かけて、昭和44年7月10日に米国・西海岸のサンペトロ湾にあるロサンゼルス港沖に到着しました。 検疫錨地に停泊して、日本国旗と国際法で決められた黄色の検疫旗を掲げていると早速、大型のパワーボートが近づいてきて、「どこから来たのか」「何日かかったのか」「調子はどうだったか」等の質問を浴びせてきましたので、艇長のSさんが事情を話したところ、とても好意的だったそうです。

荷物、食料、水を含めて総重量7トン程度の小型ヨットで太平洋横断と言うと、一般の人は「よくそんな危険なことを・・・」と言われますが、それほど危険なことではなかったそうです。何故なら、貿易風に乗ってしまえば貿易風の中では天候も安定しており、毎日同じ向きの風が吹き、同じ雲が出て、同じ日没となりますので、まるでベルトコンベアに乗ったような気分だったそうです。

この季節は北太平洋では1m先が見えなくなるほどの濃霧になることが多く、南太平洋では逆に乾いた風でしたが、いずれにしても西から東向きの風のためヨットは効率よく帆走できたようです。 大体、日本から米国西海岸までは約1万kmですから、43日で走り終えたと言うことは、1日に約230km、1時間に約10kmとほぼ自転車並みの速さで帆走したことになりますから確かに効率がいいと思います。

ヨットなは目的地の方角から真向かいに風が吹いていても目的地に向かって帆走することが出来ます。飛行機が飛ぶのと同じベルヌイの定理により風向きに対して45度以上の角度を保つと帆の膨らみ部分の内外に生ずる気圧差によって船を帆の膨らみ方向に進めようとする力が加わりますので船にセンターボードを船の進行方向に海中に下ろすことで進行方向に働く走力だけを取り込むことが出来ます。

この結果、船は風向きに対して最小で45度の角度で帆走できますので、ある程度帆走したら、タッキングと言って帆の位置を反転させて今度は風向きに対して反対側に最小で45度の角度で帆走できます。こうしてジグザグコースを取りながら目的方向に向かうことが出来るわけです。これをクロスホールド帆走と言います。 ただ、実際には有り得ないことですが45度で限りなくジグザグコースを直線に近づけたとしても目的地までの最短距離の√2倍の距離になるのと、センターボードにより力が半分に減殺されることから速度も真後ろから風を受けて走る場合の半分以下になってしまいます。

その点、真後ろから風を受ける場合は目的地まで最短距離で、しかも走力が減殺されることはありませんのでこれをアビーム帆走と言って、クロスホールド帆走より4倍以上効率がいいことになります。貿易風の場合はこのアビームにほぼ近い帆走が出来ますのでこのように効率のいい帆走が出来るわけです。堀江健一さんの場合は西宮からサンフランシスコでコースが違いますが、93日間かかったことを考えると、Nさんの手作りのヨットの性能が良かったこと、風に恵まれたこと、夜も交代で帆走できたことなどの好条件が揃っていたことが考えられます。(続く)


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