−日記帳(N0.735)2003年12月01日−−日記帳(N0.736)2003年12月02日−
日本外交官の殉死を悼む(1) 日本外交官の殉死を悼む(2)

「これはテロとの闘いです。2001年9月11日にアメリカ人だけでなく多くの日本人もアル=カーイダのテロの犠牲になり、私たちはテロとの闘いを誓ったのですが、ここイラクでもテロリストの好きなままにさせるわけにはいきません。地元の人に尋ねてみると、確たる証拠はないのですが、このような民家に囲まれた場所に自爆テロを仕掛けるなどというのは、到底イラク人のやることではないと皆言います。 犠牲になった尊い命から私たちが汲み取るべきは、テロとの闘いに屈しないと言う強い決意ではないでしょうか。テロは世界のどこでも起こりうるものです。テロリストの放逐は我々全員の課題なのです。」

29日(現地時間)、ティクリートの南方10-15キロの高速道路上で日本人外交官二人が乗っていた車が襲撃されイラク人運転手を含む乗員3人が全員死亡しました。死亡した日本人外交官は奥克彦・在英国大使館参事官(45)と井ノ上正盛・在イラク大使館3等書記官(32)で、2人はティクリートで開催された復興支援会議に出席する途中でした。お二人の殉死を悼み深く哀悼の意を表します。

上記のメッセージは、イラク南部で18名のイタリア人と9名のイラク人が犠牲になったテロについて外務省のホームページにその奧克彦参事官が平成15年11月13日付けの「イラク便り」に寄せられた記事です。イラク人に対する思いやりとテロ撲滅への決意のほどが脈々と伝わってきます。この「イラク便り」には、「おしん」がイラクの人々に勇気と希望を与えると考えてイラクでのテレビ放映を実現させるなど、各所にイラク人への思いが書かれており、奧克彦参事官の人柄が偲ばれます。

奧参事官は中東・イラク戦争でアラビア各地に赴任した経験を持つ外務省屈指のアラビア通で、その経歴を買われて在英国大使館からイラクに4月から長期出張してアラビア語の堪能な井ノ上正盛さんとコンビを組んで連合国暫定当局(CPA)と日本政府の連絡調整に当たっておりました。その後の複数の目撃者の情報から計画的犯行の形跡が有ったことからテロとほぼ断定されました。

この事件の問題として次の3点を挙げてみたいと思います。

1.米軍側の情報の不正確さ:
2.米軍とイラク警察の提携の悪さ:
3.日本大使館員の警備の手薄さ:

事件直後、米軍筋は奧参事官たちは国道沿いの売店に買い物のために立ち寄ろうとして襲撃されたと報道し、このような行為は極めて危険であるとの見解を示しておりましたが、その後の調査で車は併走する4台の車に包囲されるような形で銃撃されていることから売店に立ち寄るような余裕などなく、襲撃されて運転手不在になった車が迷走して売店の近くに止まった可能性が強く、この米軍報道の信憑性が疑われております。 この結果、米軍側の情報の不正確さと初動調査の不備が露見された形になりました。

次にこの事件の捜査の主体が地元警察なのか米軍側なのか明確でなく、いずれにしても両者が緊密に連絡を取り合っているようには思えません。バグダッドからティクリートに抜けるこの国道は極めて重要な交通網です。少なくとも、イラクで最もテロの危険の高いティクリートで米軍主導の会議を開催するからにはこの道を利用する出席者の警護には万全を尽くすべきで、検問所、沿道警備等の対策がなされていなかったことに割り切れない思いがしてなりません。そのために犯人たちは白昼堂々と襲撃してから容易に逃走したようです。

このままでは、この事件はこれ以上の進展をみせないまま闇に葬られてしまいそうでしたが、警視庁は容疑者不詳のまま遺体を司法解剖し更に外交ルートを通じて関連情報を入手、鑑定して当時の状況を詳しく調べ、一方外務省は事実関係を究明するために現地に政府調査団を派遣することを検討中で、調査団には外務省、防衛庁などの職員のほか、事件捜査に精通した警察官で構成される見通しのようです。これは国外で日本人が重大犯罪の被害に遭った際、容疑者の外国人に日本の刑法を適用できるよう規定した改正刑法が今年8月に施行されたことを受けての措置で適切だと思います。

日本大使館員やCPAの警備は米軍による巡回以外にも民間の武装警備員、地元警察、ネパールのゴルカ兵等によって行われているようですが、まだまだ手薄で防弾車の配備、警備員の増強、外出時の警備車による護衛、防弾チョッキの着用等の対策が採られたのは当然のことと思います、出来れば国際法上で許されている自衛隊員の駐在も視野に入れるべきだと思います。


今日のワシントン・ポスト紙は、昨日のこの日記に掲載しました奥克彦参事官(死後、2階級特進して大使)のテロに対する記事を大きく採り上げ、テロに対する対決姿勢を高く評価しておりました。そして、英国ブレア首相など多くの外国首脳陣からも哀悼の意が寄せられておりますが、特に中国が強くテロとして非難しているのが目立ちました。

今回の事件について殆ど無防備のままの外出を容認した外務省の責任を問う論評を見かけましたが、それは当たらないと思います。元々イラク大使館にはライフル銃に耐えるような防弾車は配備されておらず、急遽レバノンからピストルに耐える程度の防弾車しか配備されていなかったようですので充分な防備での外出は元々無理だったと思うからです。

大使館、総領事館等の在外公館はウイーン条約によって治外法権が認められその国の領土と見なされますからここを攻撃されることはその国の領土を攻撃されることと同じことになりますので、米国の場合は公然と武装した海兵隊員が常時公館内に駐在し、攻撃されれば銃火器で反撃します。ところが、日本の場合は自衛隊員が在外公館に駐在武官ではなく外務事務官の身分で警備対策官として赴任する場合が有りますが武装はしておらず、警備はその国のガードマンに依存しているのが実態のようです。

自衛隊法の制約や当事国との相互主義の関係もあって、武装した自衛隊員を在外公館に派遣することは直ぐには出来ませんが、イラクのように治安状況が極めて悪く自衛するしか方策の無い国には自衛隊員の派遣はやむを得ないことと思われますのでその実現について国会で論議する必要が有ろうかと思います。この問題で憲法第9条を持ち出して反対するのは笑止千万なことです。

従って、外務省はテロの危険が予想される国での大使館員の行動については防弾チョッキの着用から護衛車の帯同までその危険度に応じて自衛マニュアルを作成して、今回のように大使館員の自主判断に任せないようにする必要が有ると思います。この事件が起こる2日前にイタリア大使館が迫撃砲等の重火器で攻撃されているだけに外務省から警備のレベルを高めるような指示が伝達されて然るべきと思うのですが実際はどうだったのでしょうか。

奥克彦元参事官は「イラク便り」に書いておられますように日本に好意を抱く本来のイラク人がテロを企てるはずがないとして、常日頃から普段着でイラク人と接することを信条とされていたようです。 そうした考えが、今回のように結果的には無防備に近い状態で外出した遠因になっていたように思われてなりません。確かに崇高とも思えるその信条が実質的に部であった若い書記官を道ずれにしてしまったとの非情な見方も有りますが、せめても防弾チョッキ、ヘルメットを着用していたら奥克彦元参事官の場合は発見されてから3時間ほどは存命していたとのことですから一命はとりとめたかもしれず残念でなりません。

米英の対イラク政策を反対するフランスもドイツもロシアも中国もテロを阻止したいとの思いに変わりはないはずです。こうした国々も含め世界中の国々がイラク復興支援のために自国の軍隊や文民を派遣したら、アルカイダもフセイン残党も世界中を相手にせねばならず、お手上げになることと思います。もし、この事件がきっかけになって自衛隊の派遣が中止になるとすれば、それは殉死されたお二人の意志に反することになることは間違いないことと思います。


前 頁 へ 目 次 へ 次 頁 へ
inserted by FC2 system