−日記帳(N0.737)2003年12月03日−−日記帳(N0.738)2003年12月04日−
デジタル放送開始に備えての知識 H2型ロケット打ち上げの開発史

地上デジタル波によるテレビ放送が一昨日から三大都市圏で開始されましたが、一般の視聴者からはそれほど大きな反響は無かったように思います。よくよく考えれば無理もないことで、殆どのお茶の間ではデジタル波が届いてもまだ受像器がそれに対応しておりませんので従来と何も変わることはないからです。

それと、2011年まではアナログ放送と共通の番組を編成するため、デジタル放送本来のメリットである多チャンネル放送、データ放送等を積極的に行えないため、少なくとも電波が全国に届く2006年までは試験放送的な意味合いが有ってそれほど注目はされないと思います。

ただ、今後のIT時代に迎合するには放送のデジタル化は欠かせないことと、国際的にも日本は欧米、韓国に2、3年の遅れをとっていること、日本の国家予算の2.5年分に相当する200兆円の経済効果をもたらして日本経済の救世主になろうとしていることを考え合わせると、その認知率が59%でしかないのは残念なことです。

NHKや民放各社はデジタル化のメリットとして高画質、高音質をあげておりますが、40インチ未満のサイズのテレビでは現状の画質でもそれほど苦にはならないのでPR効果は低いように思われます。例えばプロ野球中継が放送時間を過ぎた場合、周波数を分けて複数の番組を同時に放送できる「多チャンネル放送」の機能を生かして野球ファンはそのまま試合終了まで延長する野球中継のチャンネルを選び、映画ファンは予定どおり映画のチャンネルを選ぶことが出来ることをPRする方がPR効果は大きいと思います。

株取引をされる人たちにとって最新の株価がデータ放送で表示されるのは魅力的ですし、野球ファンやサッカーファンにとって屋外で携帯で試合実況を観戦できるのも魅力的ですし、懸賞ファンにとって双方向で応募できるのは魅力的ですし、このように高画質、高音質以外にもデジタルの魅力はいっぱい有りますが、それも2011年7月24日以降の完全デジタル化まではそうした魅力を享受できないかも知れません。

ただ、2004年のアテネオリンピック、2006年のWカップドイツ大会までに普及率が20%を越え、以上の数々の魅力が伝聞されていけば、普及率はうなぎ登りに向上し、90%を越えるようなことが有ればその時点で条件付きで完全デジタル化のスケジュールを前倒しすることも考えるべきと思います。

現有のアナログ受像器を今後どのようにデジタル対応していくかは、今年の2月の日記に掲載しましたが、ポイントは画面サイズとタイプ、ハイビジョン仕様の有無、BS、CSの受信可否の3点に尽きると思います。つまり、画面が4:3のノーマルタイプではデジタル放送は共通に16:9のワイドタイプですので画面上下に非映像部が出来て見辛くなり、また画面サイズが30インチ未満の中小サイズでは大画面での高画質のデジタルハイビジョンのメリットを生かし切れません。

デジタルでは30から40インチクラスが最適と思われますので、従来のブラウン管タイプでは重さが100キロを越え場所を取る上移動が困難になることから薄壁テレビに限定されます。薄壁テレビには液晶とプラズマと両方式が有りますが、液晶は30インチ未満、プラズマは40インチ以上、もしブラウン管式が生き残るとすれば30インチクラスと思われます。

通常のデジタルテレビ(SDTV)もアナログテレビに較べれば高画質ですが、走査線が550本であるのに対して、デジタルハイビジョン(HDTV)では1110本で更に高画質になりますので、どうせ買い換えるならデジタルハイビジョン仕様を選択すべきでしょう。

また、地上デジタル放送はBS、CS仕様でなくても受信できますが、今後衛星放送も充実していくと思われますので、どうせ買い換えるならBS・110度CSデジタル仕様が付属しているテレビにすべきでしょう。要は、40インチクラスのワイド画面の薄型で、BS・110度CSデジタルハイビジョン仕様が最高と言うことになります。現在はこの仕様ですと100万円前後と高価ですが、普及が進めば50万円前後になるものと期待されております。

デジタル放送では画質や音質が劣化することがないので、大量にコピーしたり、インターネットに配信したりすることが容易になります。そこで2004年4月から、コンテンツの著作権を保護するための「コピー制御の仕組み」を導入します。これにより、地上デジタルテレビ放送およびBSデジタルテレビ放送は、2004年4月から「1回だけ録画可能」のコピー制御信号が加えられ、B−CASカードを受信機への挿入しないと地上/BSデジタルテレビ放送が映らないようになります。このことは特に問題にはならないと思いますが、いずれ日を改めて解説したいと思います。


文部科学省の宇宙科学研究所(ISAS)は、惑星探査等の観測業務を直径1.4メートル以下の中型のM5ロケットで行うことになったことを受けて、宇宙科学研究所(NASDA)は実用業務として、高度36,000キロの静止軌道に2トンの衛星を運べる大型ロケットの開発を目指して、N1、N2、H1に続いて1985年にH2の開発に着手しました。

そして、1994年にH2-1号機が打ち上げに成功し、衛星を軌道に乗せることにも成功し、日本での衛星を軌道に乗せるための大型ロケット実用化の幕開けとなりました。ところが、H2-2号機は打上げ6秒前にメインエンジンに点火したものの固体補助ロケット(SRB) は点火せず、機体が上昇しないと言う事故により打上げは延期となり、10日後に再打ち上げされて成功しました。しかし、衛星を軌道に乗せることには失敗し、H2型ロケットの初の失敗としてマスコミに大きく採り上げられることになりました。

その後、この失敗を教訓として改善が加えられ、3回連続して打ち上げに成功、衛星を軌道に乗せることにも成功して順調に推移しましたが、1998年、1999年に2年連続して打ち上げに失敗して大きな問題となりました。この時はロケット本体の製造を担当した三菱重工の株価は暴落し、名古屋でその製造の一翼を担っていた友人が同窓会の席上で意気消沈していたことを思い出します。

こうして、H2型は199年まで7回打ち上げられ、結局4回しか衛星を軌道に乗せることが出来ず、根本的な原因解明が必要となりましたが、同時にコスト高で市場での競争力に欠けることが判明し、抜本的な改良を余儀なくされ、H2A型が2001年に1号機として登場し、見事に成功しました。

この結果、打ち上げ費用がH2型ロケットの190億円から85億円に半減しました。ロケットの部品総数をH2型ロケットの32万個から2割減の28万個にさせ、液体水素と液体酸素を混合し燃焼させる第1段エンジン(LE7A)の溶接箇所を、H2型ロのエンジン(LE7)の98カ所から、わずか8カ所に減らしたことがコストダウンの決め手となりました。H2A型は、全長53メートル、直径4メートル、重さ285トン。高度36,000キロの静止軌道に約2トンの衛星を打ち上げる能力を持ち、補助ロケットを増強すれば約4トンの衛星打ち上げも可能とされております。

そして、2号機での衛星の軌道乗せ失敗は有ったものの、H2Aは1号機から5号機まで連続5回打ち上げに成功し、特に5号機では日本初の偵察衛星を軌道に乗せることに成功し、この10月から宇宙科学研究所と合併しての初の打ち上げとあって内外の注目を集めて6号機が先日の11月29日に打ち上げられました。ところが、2本の補助ロケットのうち1本の分離失敗と言う初歩的なミスにより軌道に乗せるために必要な高度と速度が得られなくなったと判断され10分後にロケットを爆破する指令が出され、打ち上げは失敗に終わりました。

技術的な障害を理由に当初予定の今年9月10日からすでに3回延期され、ロケットに搭載された計器類の感度に影響を与えないよう、発射の模様を生中継で放送することも禁止して慎重を期しての打ち上げ失敗と、2基で1000億円もする偵察衛星の損失は、年間予算1800億円の日本の宇宙開発計画に重大な支障を与えることは必至と見られております。

H2以降の開発の歴史を下表に纏めてみました。ロケットの開発に失敗は付き物です。米や中国に較べて少ない予算でよくここまできたものと思いますので、この失敗に挫けずに頑張って欲しいものです。ただ、今回のような初歩的なミスだけは二度と許されないことも同時に肝に銘じて欲しいと思います。


打ち上げ年月機種号機打ち上げ衛星衛星の内容
1994年 2月H21号機成功成功再突入機各種
1994年 8月H22号機成功失敗ETS-VI
1995年 3月H23号機成功成功ひまわり5号、SFU
1996年 8月H24号機成功成功ADEOS(97年故障)
1997年11月H26号機成功成功おりひめ、ひこぼし
1998年 2月H25号機失敗失敗通信放送技術衛星
1999年11月H28号機失敗失敗運輸多目的衛星(343億)
2001年 8月H2A1号機成功成功レーザー測距装置
2002年 2月H2A2号機成功失敗高速再突入実験機
2002年 9月H2A3号機成功成功DRTS、USERS
2002年12月H2A4号機成功成功小型衛星3基
2003年 3月H2A5号機成功成功偵察衛星2基
2003年11月H2A6号機失敗失敗偵察衛星2基(1100億)




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