−日記帳(N0.753)2003年12月19日−
中国旅行第一日


私たち夫婦は海外旅行が好きで、毎年2回程度は出掛けております。
今年はSARSやイラク戦争のため一度も出掛けておりませんでしたが、SARSの心配が無くなった中国への旅行を思い立ち、上海(右の衛星写真で白色の矢印)、蘇州(赤色の矢印)、無錫(黄色の矢印)への3泊4日の旅に出掛けることにしました。当初の名古屋空港から中国東方航空便で出発する予定が名古屋空港経由成田空港からのANA便に変更されたたため、朝の出発が早く名鉄の一番電車では間に合わないのでマイカーで名古屋空港まで直行することにしました。

中国行きのビザ、日本からの出国カードが不要になった上、荷物は成田でANA側で積み替えてくれるので、出国手続きは極めて簡単でした。私はこれから乗り込む航空機の機種を遠目で見て当てることが好きで、今回のボーイング767も一目で判りました。ところで、世界の旅客機製造会社の頭文字は、面白いことに次のようにABCDで表されます。

A:(Airbus) B:(Boeing) C:(Concord) D:(Dougras)

しかし、Dougras(ダグラス)はBoeing(ボーイング)に吸収され、Concord(コンコルド)は今年10月をもって運行(ロンドンーNY)が中止されましたので、実質的に世界の翼はA(Airbus)、B(Boeing)に集約されることになりました。そこで、そのA、Bの見分け方ですが実に簡単であることが判りました。 右の写真から判るように、垂直尾翼の付け根が、Aが水平に直線状であるのに対し、Bは砲弾状に曲線状になっていることから容易に区別出来ることが判りました。



中国の略図
(赤で囲った部分が右写真)
上海近辺の衛星写真
(白=上海、赤=蘇州、黄=無錫)
A(エアバス)の尾翼部分
(直尾翼の付け根が直線状)
B(ボーング)の尾翼部分
(直尾翼の付け根が曲線状)


成田を定刻の9:45に飛び立ったANA NH918便は2時間半後の昼過ぎに浦東国際空港に着きました。上海には従来からある虹橋国際空港と4年前に開港したばかりの浦東国際空港の二つの国際空港が有りますが、昨年、浦東国際空港の使用比率が虹橋国際空港のそれを上回るようになりました。 この空港は浦東新区の東側にあり市内中心から約30km離れており、アジアのハブ空港を目指し滑走路は現在の1本が4本まで拡張される予定で、市内と空港間は高速道路で結ばれ更にドイツから技術を導入したリニアモーターカー「トランスラピード」が今年試運転を完了し、現在は土日だけ運転されておりました。

この日は、上海市内・浦東地区の東方明珠電視塔付近を散策してから、バスで蘇州に移動しそこで宿泊することになっておりました。上海市は、北京、天津、重慶とともに中国4大直轄市で人口は重慶に次いで第二位で、流動人口を含めると2,000万に達する中国一の大都市で世界有数の大都市でもあります。 市の略称は「滬」で、車のナンバープレートにはこの字が表記されております。 中国東部沿海の中ほどに位置し、古くは海辺の漁村であり、春秋時代は呉国の地、戦国時代には楚国の春申君の領地となり、宋代に鎮が設けられてから「上海」と呼ばれるようになり、1927年に市となりました。




東方明珠電視塔
(高さ500mで世界第三位)
グランドハイアットホテル
(世界一の高層ホテル)


中国は、江沢民総書記の代になって、社会主義という「羊頭」を掲げて資本主義という「狗肉」を売ることで、飛躍的な経済発展を遂げるようになり、江沢民総書記の出身地である上海はまさにその拠点として発展を続けております。上海はかっては長江(揚子江)の支流である黄浦江の西側を中心に発展し、東側の浦東地区は貧しい漁村でしかなかったのですが、経済発展の拠点がこの浦東地区に向けられるやこ高層ビルが林立するようになり、現在では上海の中心として発展を続けております。

しかし、このような急激な発展には歪みが伴い、地価、車の購入価額の高騰などで顕在化しつつあります。一応社会主義の国ですから個人の土地所有は認められません。そこで個人や企業は政府から期限を限って払下げ金を納付することで土地使用権を得ることになります。払下げ金額の確定方法として、当事者による交渉、入札、競売等の三つの方法があり、土地使用権の期限は、居住用地70年、工業用地等50年、商業用地等40年となっており、このところその払下げ金額が急騰しており市街の一等地では東京・銀座並みの価額になっているとのことでした。

また、上海市当局は流動人口を入れると2,000万の人口に比較して道が狭い上海で、車が増えすぎると大問題になることを事を危惧し、毎年のナンバープレート発行枚数を限定し、競売制を採用している年々その競売価額が高騰し、200万円を越すことも有るそうです。例えば上海でも人気のあるホンダのアコードの場合、ナンバープレート取得代を含めると500万円近くなったとのことでした。






高層ビルの谷間のバラック街
(特に浦西地区に多い)
盲人(右)をダシにしての物乞い
(渋滞で停車中の車の窓越しに)


従って、車を購入できるのはかなりの高額所得者に限られ、庶民の交通手段は自転車、バイク、地下鉄、バス、タクシーとなりますが、このうち圧倒的に多いのが自転車とバス(冷房無し)で、上海市内の繁華街では自転車とバス待ちの人たちで溢れているのに、浦東地区の高層ビル街ではそうした人たちやそれに車も少く好対照を呈しておりました。市街地での高速道路網が整備されていないので渋滞はするものの東京の2倍に相当する人口からすればもっと大渋滞になって当然で、この程度の渋滞で済んでいるのはマイカー保有率が日本の1/50でしかないからと思われます。

バスは行き先に関係なく1元(15円)の均一料金の場合が多くかつ殆ど全市内を網羅している反面、地下鉄は3路線しかない上料金も目的地までの距離に比例して2〜6元程度でバスより割高になることからバスに人気が片寄るようです。タクシーは3kmまでが10元(150円)、3〜10kmが1kmごとに2元づつで結構高いのですが意外とよく利用されているようでした。雨の日や目的地から停留所や駅までの距離が有りかつ複数で利用する場合にタクシーを利用するのは日本と同じようです。

最近はバイクの市街地走行が禁止されたこともあって電動自転車が人気を呼んでおり、テレビのコマーシャルにも登場しておりましたが、4,000元(5万円)という値段がネックになり普及は今一のようです。タクシーは殆どと言っていいほどドイツのフォルクスワーゲン・サンタナの中国生産品、マイカーもフォルクスワーゲンをはじめ欧州車やその現地生産品が多く、日本ブランドの車はあまり見かけませんでした。






浦東地区の高層ビル街
(意外に車の数が少ない)
盲人(右)をダシにしての物乞い
(渋滞で停車中の車の窓越しに)


昼間の上海市内観光を終え、第3日に再び上海に戻って夜の上海市内観光と上海雑技団の演技を楽しみにして、ひとまず蘇州、無錫に旅すべく、1996年に完成した江蘇高速道路を蘇州に向けて夕闇迫る4時過ぎにバスは北上して行きました。道路は3車線で夕方のラッシュアワーや交通事故の影響で渋滞していましたが思ったほどではありませんでした。理由は100km当たり平均430円(日本は2,700円)という通行料金の高さにありました。平均月収が1,000元15,000円)の庶民にとってこの料金は1日の収入に相当するので負担が大きいようです。 ただ、高額所得者の自家用車のオーナーにとっては大して負担ではないらしく自家用車が多く見受けられました。

中国での高速道路は経済発展促進の重要インフラと位置付けられ、2001年末現在その総距離は10余年前の522kmから1万9000kmに増え、米国の88,000kmに次いで世界第2位で今後4年以内に更に6,000q増加する見込みです。(日本は2001年時点で8017km)人件費が安い上、土地は全て国有ですから日本のように土地収用には何の障害も無いので凄い勢いで建設されておりますが、路面がアスファルトではなくコンクリートが多く、サービスエリアが少ない等サービスはよくありませんでした。速度制限は自家用車120キロ、バス110キロ、トラック100キロで暴走する車は少ないのですが車線は無いのも同然で予告なく割り込もうとし、退かないとけたたましくクラクションを鳴らすなどマナーなど無いと言っていいほどの酷さでした。特にサービスエリアの女子トイレはキンカクシは無い、紙は無い、ドアのロックは無い有様で、女房は片足でドアを押さえながら必死の思いで用を足しておりました。

江蘇高速道路
(96年完成、南京/上海間300km)


やがてバスは日没後の道路灯の無い暗い高速道路を走っていくのですが、驚いたことに対向し♪てくる車の殆どが点灯しないばかりでなく車窓から見える殆どの民家にも灯りが無く、バスの車内にも灯りが無いため、まさに周辺が真っ暗闇に近い状態になりました。車が点灯しないのはガソリン消費を押さえるため、民家が点灯しないのは電力代を節約するため、バスが車内点灯しないのは法規制のためでした。

中国でのガソリン代は3元(45円)/L程度で日本の約1/2ですが、月当たり100L使えば4,500円となり庶民の月収の1/3近くを占め他の消費財に較べれば結構高くなります。中国は慢性的に電力不足を来している上、上海市の場合0.515元(7.5円)/kWhという電力代も月当たり200kWh使えば1,500円となり庶民の月収の1/10を占めるので負担が大きくなるためです。中国の電力総消費量は1.28兆kWhで日本の0.95兆kWhを上回りますが、一人当たりでは1,000kWh/年(3kWh/日)と日本の1/7でしかなく、3kWh/日では冷蔵庫1台分しかなく、恐らく農家では薄暗くても周囲を識別出来るうちは点灯しないものと思われます。 右の衛星から見た画像でも上海が一段と明るくなっておりますが遠ざかるにつれ暗黒部が多くなっていることからも納得できます。

衛星から見た夜の東南アジア
(矢印が上海で際だって明るい)


私の好きなカラオケ曲に「夜霧のブルース」があります。(夢の四馬路かホンキュの丘か・・・♪)上海は地形的に霧が多いことで有名で、帰国日の22日の朝は相当酷い霧でした。上海滞在中も霧なのか大気汚染によるスモッグか見分けがつかなかったのですが、外灘(ワイタン)から見た浦東地区の高層ビルがわずかに霞んでおりました。このことは、衛星からの画像で確認することが出来ます。右の画像は今年の1月の上海近辺の衛星画像ですが、上海、蘇州、無錫、南京などの大都市の上空がスモッグによって白っぽくなってなっているのが判ります。下の画像は北京、天津近辺の衛星画像ですが、スモッグはより広範囲に広がっていることが判ります。

大気汚染でスモッグでもやる上海市街
(霧と相乗すると更に酷くなるようです)


中国は、このサイトの雑感記第16章「京都議定書に思うこと」でも触れておりますように、二酸化炭素の排出量は9.14億トンで米国に次いで世界第二位で日本の3倍近くに達しております。ところが、二酸化炭素、二酸化硫黄などの大気汚染物質に対する排出規制が日本、米国等の先進国に較べてゆるいため、大気汚染は益々酷くなるばかりです。15年ほど前の在職時代に脱硫、脱硝装置等の大気汚染防止装置をプラントメーカー経由で中国に売り込む機会が有りましたが、中国側はコストアップに繋がるとして殆ど興味を示さなかったことを思い出します。


上海、南京近辺の大気汚染を示す衛星画像
左から南京(赤の矢印)、抗州(緑)、無錫(青)、蘇州(黄)、上海(白)


日本の二酸化硫黄排出量は60年代後半の500万トン台をピークに急速に減少し、現在では100万トン以下にまで減少しているのに対して、中国では70年代初期の700万トン弱から90年代半ばの2400万トンへ増加しております。その原因は日本が排出量規制と総量規制および燃料規制を中心としているのに対して中国は濃度規制と脱硫装置規制を中心としており量的規制と燃料規制を行っていないため、脱硫対策が高い経済成長率に追いつかないことにあります。

中国にとって、経済成長の維持と二酸化硫黄排出量の削減を同時に実現するために省エネルギー対策の強化と同時に量的規制を実施すること、脱石炭化政策及び非化石エネルギーへの転換政策を取ることが、最重要の課題ですが、元とともにコストを安くすることで輸出競争力を高めることが中国の高い経済発展の原動力になっているためにこの課題解決は難しいようです。特に中国が豊富に算出する石炭で全電力の65%をまかなっていることが大きな問題となっております。

この問題は単に中国だけの問題ではなく、二酸化硫黄は偏西風に乗って北朝鮮、韓国、日本に飛散し酸性雨をもたらして国際的な問題にもなりつつあります。ところが、中国は世界第二位のエネルギー使用国で、しかもこのように酸性雨の被害を近隣諸国に与えているのにもかかわらず、後進国という理由で京都議定書による大気汚染物質の削減義務を免除されているのは私としては納得できません。こんな思いにふけっているうちにバスは蘇州のホテルに到着しました。


北京、天津近辺の大気汚染を示す衛星画像
左から北京(白の矢印)、黄河(緑)、天津(赤)、青島(黄)


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