−日記帳(N0.1017)2004年09月16日−
情けないトリの夫たち

ちょっとしたことから「若いツバメ」の語源を調べることになり、調べていく過程で、トリの夫たちの情けない生態が判りましたので紹介したいと思います。「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。 今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のやうな青白い顔の月である・・・」と言う有名な発刊の辞で知られる女流文芸誌「青鞜」を明治44年、25歳で創刊した平塚雷鳥(らいてふ)のもとに、岡本かの子、三ヶ島葭子、原阿佐緒、神近市子など錚々たる女流作家たちが彼女のサロンに集まってきましたが、その中に何人かの男もおりました。

そして、その中に後にらいてふの夫となる若き天才画家、奥村博がおりました。この5歳年下の子供っぽい純情さを持つ寡黙で長身の青年に好意を抱いたらいてふは、当時としては破天荒の愛情表現をしたため彼女を取り巻く女の園に大きな波紋を広げ、らいてうを慕う女たちの嫉妬をかき立ててしまいました。このことに困惑した奥村博は「白鳥の集う池に舞い降りた燕は、結局、池の平和を乱すだけだった」といった趣旨の手紙を残して去りましたが、らいてうは「燕ならばきっとまた、季節がくれば飛んでくるでしょう」と返事にしたたため、「若いツバメ」の語源になったと言われております。実際、それから3年後の大正3年、らいてふ28歳の時、彼女のもとに戻ってきた奥村博と結婚しております。その時、女性を法的無能力者とする家族制度への怒りから、夫の家に入籍する婚姻届けを出さず、昭和46年(1971)85歳で永眠するまで、女性の性欲と生殖を分けて考え、女性解放、女性の参政権を訴え続けました。

このように、「若いツバメ」の本来の語源は判ったのですが、もうひとつ別な語源が有ることも判りました。日本のツバメの生態を研究しているある研究者によれば、雌ツバメはまず、巣作りの労をいとわない働き者の若い雄ツバメを夫にして巣作りをさせた上で交尾して雄を満足させるまではいいのですがその後が問題だと指摘しております。何故なら、この巣で受精した卵を調査したところ、夫の受精卵はせいぜい30%、残りはは別の父親だったことが判ったというのです。実は、このツバメの奥さんたちは夫が巣から離れている間に、気に入った雄が巣に近づいてくると巣の中に誘い込んで浮気する習性が有ると言われております。その研究者は「その別の父親は最初の夫よりはるかに健康な強いツバメだった」という研究データを紹介し、このツバメの奥さんの浮気はより強い種族を保存するための正当?な行為だったとしております。

つまり、「若いツバメ」は奥様たちの浮気の相手と言う意味になるわけで、むしろこの方が現在の「若いツバメ」の解釈に近いように思われます。ところで、オシドリは、日本では仲睦まじい夫婦の代名詞になっておりますが、とんでもないことで、奥さんの浮気が心配でたまらず、常に奥さんに付きまとっているだけのことで決して仲がいいわけではないからです。

ニュージーランドに旅した時、ある家の奥さんが「私の夫はキーウイハズバンドです」と言いましたので、その訳を尋ねましたところ、キーウイは飛べない鳥で夫は奥さんを大事にすることで知られておりますが、ニュージーランドの夫たちは休みの日は庭の手入れなど家事をしてくれるので助かるとのことで、キーウイハズバンドと一般に呼ばれるようになったそうです。可哀想なヌイージーランドの夫たちです。私はツバメ、オシドリ、キーウイのオスとして生まれなくて本当によかったと思います。

−日記帳(N0.1018)2004年09月17日−
選手会のストに思う

労働組合・日本プロ野球選手会(古田敦也会長=ヤクルト)と日本プロ野球組織(NPB、根来泰周コミッショナー)との協議・交渉委員会(団体交渉)が今日、東京都内のホテルで午前11時から行われました。来期パ6球団、セ6球団の2リーグ制を維持するために、近鉄、オリックスの合併凍結を当初要求していた選手会側は凍結が事実上無理との判断から来期からの新規参入球団の受け入れに要求を変えて交渉に望みました。一方、NPB側は新規参入を認めるには公正な審査が必要で、それにはに時間がかかるので来期からの受け入れは困難であるとして選手会側の要求と折り合わず、交渉は終了予定の午後5時以降も続き、結局2回延長して午後9時頃まで行われましたが妥協点を見いだせないまま決裂してしまいました。

この結果、選手会は18、19日の全ての公式戦(2軍を含む)のスト突入を決めました。プロ野球でストが行われるのは70年の歴史で初めてのことで、経営者(推定損害額12球団で約30億円)、選手(12球団で約2億円)には経済的な負担、ファンには精神的な負担がかかり、決していいことではありませんが、今回のストに至る経過での経営者側の不誠実な対応に較べ、選手会側は選手の雇用確保以外にファンが望むプロ野球の改革を目指していることから、選手会のストを支持するファンの声が大きいようです。

交渉は、NPB側が公開を主張したものの選手会側が前日に続いて拒否したため、非公開となり、冒頭、根来泰周コミッショナーの提案は重く受け止めるものの、コミッショナーは中立性に問題が有り、このまま受け入れることは出来ないとの選手会側の発言と「球団削減や売却を防ぐ方策を立てて、野球協約に盛り込んで欲しい」「来季に12球団を目指すという姿勢を表明してほしい」と強く提案することでスタートしました。

一方、NPB側は、来季12球団で臨むことが前提になると審査が無意味になり公正さが疑われてしまうので、出来ないと回答したことを受けて選手会側は一度はその趣旨を認めて、「NPBは今後、球団数を増やすことも視野に入れ、開かれた門戸の下、新規参入の申請に対して最大限誠意を持って審査する」との妥協案を古田会長が纏め、選手会を説得すべくNPBと選手たちの間を何度も往復したと言われております。後に、古田会長がふと漏らしたように選手会内部でも、オリックス、近鉄に代表される強硬派と阪神、中日に代表される穏健派が有るなど温度差が相当有ったようです。

選手会の筆頭顧問弁護士の石渡弁護士が「2005年から球団を増やすように努力する」との対案を示しましたが、選手会側は「2005年」の文言を入れるべきだとの主張を変えず、結局、議論は振りだしに戻り、NPB側だけで話し合った結果、選手会側の要求に応じても良いとしたのは、阪神、中日、広島、横浜の4球団。西武、近鉄、オリックス、巨人が反対の意思を示したため、瀬戸山委員長が「継続審議にしよう」と、この日の交渉決着を断念した結果、スト実施が決定したと言われます。

このことは、後に中日選手会長の井端選手の「両者に意見の差は紙一重だっただけに残念でした」の発言からも事実と思われます。つまり、「2005年から」と「「2005年以降」では、その差が大きいので、その中間をとって「2005年から新規参入を認めるように最大限の努力をする」との古田代案が認められなかったのはオーナー全体の総意ではなく、やはり1リーグ制を最終ゴールとし、そのためにはどうしても、オーナー会議での合意事項の「来期はパ6球団、セ6球団の2リーグ制」を主張する西武、近鉄、オリックス、巨人の思惑が絡んでいるとしか思えません。

全球団を支配するために1リーグ制を志向するナベツネの野望に乗った西武・堤、オリックス・宮内の悪の枢軸を打破するためには、何としても選手会の要求する「来期はパ6球団、セ6球団の2リーグ制」を支持するしかなく、そのためにはストはやむを得ないと思われます。政界も、財界も、労働界も読売を除くマスコミも、そしてファンもそのためのストなら賛成しております。私も中日ファンですが、例え中日の優勝が無くなってもストを支持します。

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