−日記帳(N0.1306)2005年07月08日− −日記帳(N0.1307)2005年07月09日−
喜びそして悲しみのロンドン
妻を追って天国に行った畑下さん


一昨日、シンガポールで行われた国際オリンピック委員会総会で、議長の「・・・ロンドン!」の声が高らかに会場に響いた瞬間、24年前の1981(S56)年10月1日、サマランチIOC議長の「ソウル!」の声が脳裏を過ぎりました。1988年の夏季五輪開催地に立候補し、ライバルのソウルを破って間違いなく当選して「ナゴヤ!」の声が聞けるものと思っていただけに、落選したショックは大変なもので、名古屋市民、愛知県民の落胆ぶりは語り草になっおります。

今回も、勝利を信じて疑わなかったパリの招致委員会メンバーは、敗北発表の瞬間に崩れ落ち、涙を浮かべる人のもおりました。その心情は察するにあまりあります。投票直前まで、パリが大本命との前評判は揺るがなかったし、IOC評価委員会の報告も、パリが最高だっただけにショックは大きかったものと思われます。パリは、1992年、2008年の招致失敗に続いての3度目の招致活動で、2度目に五輪を開催したのは81年も前のことですから、殆どのフランス人は自国での五輪を見ていないのですから国を挙げての招致活動でした。

シラク仏大統領は、自信たっぷりに、投票が行われる前に「あんな不味い料理を作る英国人は信用できない」と英国をこきおろして物議をかもしましたから、さぞ悔しがっていることと思います。ところが、その喜びで国中が大騒ぎした翌日の7日の朝、一転して、ロンドン、いや英国、そして世界中が憤り、悲しむ事件がロンドンの中心部で起こりました。朝の出勤時間帯の午前8時50分頃、世界的な金融街「シティー」近くの地下鉄オルドゲート駅付近をはじめ三カ所でほぼ50秒以内に6両編成の列車が連続して爆破され、更に9時45分頃、大英博物館近くを走行中のダブルデッカー(二階建て)バス一台が爆破されました。この事故で、49人が死亡し、更に車両の中に25人が閉じ込められていることから、死者は70人を超えるものと見られております。


横浜港に曳航された「MIYA」号

81歳のヨットマン畑下栄さんが、亡き妻の願いを叶えるべく単身で妻の位牌と遺骨をヨットに積んでロサンゼルスから日本に太平洋横断したことを7月2日の日記で採り上げさせて頂きました。そして、妻の願いどおり、遺骨を長野の地に納骨してから、再び米国にヨットで帰るべく出航していったた畑下栄さんの愛情と勇気に感動しながら航海の無事を願っておりました。

そして、残念なことに、その願いも空しく、畑下栄さんが乗ったヨット「MIYA」号が宮城県石巻市の金華山沖東南東約1190キロを漂流しているのを塩釜海上保安部(宮城県塩釜市)によって上空から発見されました。その後、救助に向かった巡視船「ざおう」は6日午前6時10分ごろ、現場海域に到着、漂流中の「MIYA」に乗り込んで調べたところ、船室で横になって死亡している畑下栄さんを発見されました。数日前にこの付近の海域は台風並みに発達した低気圧で海上は荒れていたことから、ヨットにはかなりの損傷が有ったようですが航行不能になるほどではなかったようです。「MIYA」号はね異国大使館を通して日本の親族に引き渡されましたが、出来ることなら、ヨット仲間のどなたかが米国まで航行して故人の意思を引き継いでもらいたいものです。

巡視船「ざおう」から引き継いで、「MIYA」を曳航した横浜海上保安部所属の巡視艇「いず」が11日午後、横浜港に入港し、親族によって畑下栄さん本人と確認されました。弔意の汽笛が鳴り響き、約20人のヨット仲間など支援者ら20人は「畑下さーん、おーい」と涙ながらに叫んでおりました。死因はまだ公表されておりませんが、嵐との闘いで疲れ果てたか、あるいは脳卒中、心疾患等による病死かのいずれかと思われます。今頃は天国で奥様との再会を楽しんでいることでしょう。ご冥福をこころからお祈りします。




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