−日記帳(N0.1320)2005年07月22日− −日記帳(N0.1321)2005年07月23日−
アスベスト訴訟の歴史



20年以上も前のことですが、在職していた会社の研究所で人工石綿(アスベスト)の研究・開発に少し関わったことが有り、アスベストについて調べたことが有りました。そして、産出国のカナダ、消費国の米国などでアスベストによる健康被害に関して膨大な数の訴訟が起こっているのに驚いたことを覚えております。そして、それから10年ほど経った1990年代にPL法(Product Liability:製造物責任法)の仕事を担当して米国のPL裁判事例を調査したところ、、その後アスベスト訴訟が米国でのPL法適用が普及するにつれて更に拡大し、その訴訟額はゆうに日本の国家予算に匹敵するほどに膨大な額に上っていることを知り、再び驚いた記憶が有ります。

訴訟の対象はアスベスト製品の製造過程、使用過程、廃棄過程で微細なアスベストの粉じんを吸入して発症する肺がんの一種である中皮腫による健康被害が主な内容でした。アスベストによる死亡者が毎年1万人以上という米国では、史上最大規模の約8,400社が訴訟の対象となっており、この中には、デュポン、ゼネラル・モータース、コーニング等の世界的なメーカーも含まれており、これまでにアスベスト訴訟敗訴で既に60社が破産法を適用しており、その中にはジョン・マンビル、W.R.グレースなどの大企業も含まれております。

そして、2000年12月に、米油田開発サービスのハリバートン社が、従業員が中心となって起こしたアスベスト訴訟で、40億ドル(約4,400億円)で和解したことから、日本でも注目されるようになりました。このように、アスベスト訴訟が欧米諸国で1990年代から顕在化して年々拡大しているのに日本では 次の3件しか起こっておりません。しかも、そのいずれもが和解等により解決済みとなっております。

1.元造船労働者が、住友重機械工業を提訴:
2.四国電力の元労働者の家族が同社を提訴:
3.米海軍横須賀基地の元労働者等が日本政府を提訴:

1.元造船労働者が、住友重機械工業を提訴:
日本で始めてのアスベスト裁判で、原告は大内久さん(64歳で死去)の遺族で、大内久さんが1992年にアスベストによる肺がんとして労災認定されたことを受けて、1995年に大内久さんの勤務先だった住友重機械工業に慰謝料を請求して提訴し、1995年10月17日に和解が成立しております。大内久さんは1943年から住友重機(浦賀船渠)に勤務し、1951年から1979年にかけて住友重機浦賀工場で重量物運搬工として勤務していた際に、狭い船内で断熱材として使用されていたアスベストを、配管に巻き付けたりはがしたりする作業を行っており、1986年に肺がんにかかり手術したものの1991年に死亡し、病理解剖の結果、肺に多数のアスベスト小体が認められ、アスベストとの因果関係が立証されております。

2.四国電力の元労働者の家族が同社を提訴:
淺木一雄さんは、1944年から1984年までの約40年にわたり、四国電力西条発電所の現場で電気運転員、電気補修員として働き、定期点検や日常の修理点検の際に断熱材などに使われていたアスベストを取り扱っていました。一雄さんは1984年2月24日に死亡し、死因は死亡診断書では悪性中皮腫でしたが病理解剖では肺がんとなっていたため肺がんが死因とされ、後の裁判で原告側に不利になりました。 平成5年11月に妻のヒサ子さん等遺族が約6,400万円を請求して、四国電力を提訴しました。

被告の四国電力は、一雄さんの職場ではアスベスト粉じんを吸う機会はなかったはずで死因は肺がんで、アスベストではなく喫煙が原因であること等を主張して全面的に争いました。 そして、平成8年6月に提出された富山医科大学・北川正信教授の鑑定は、悪性中皮腫を否定し肺がんとするもので、原告の淺木さん側にとって極めて不利となり敗訴寸前まで追い込まれました。そこで、淺木さん側の弁護団は、愛媛大学に保管されていた病理解剖の標本を取り寄せることに成功しました。

更にこれをアスベスト疾患の世界的権威である米国の鈴木医師に送って鑑定を依頼し、その結果を踏まえて平成11年3月に鈴木医師が来日して証人台に立ち明快に死因がアスベストによる悪性中皮腫であることを証言しました。鈴木証人の証言は米国で素人の陪審員に判り易く証言しているだけに明快にして説得力が有り、四国電力側はそれ以上争うことを断念し裁判官の勧めを受けて500万円を支払うことで和解しました。500万円は死亡保障として不充分ですが、責任がないことを前提とする見舞金としてのレベル超えており、責任を認めたものと見做していいと思います。この判例は今後の同類の訴訟に対して原告側に勇気を与えるものと思います。

3.米海軍横須賀基地の元労働者等が日本政府を提訴:
軍艦は被曝による延焼を防ぐため船室を区切る壁に、耐火・断熱に優れたアスベストを使っており、米海軍横須賀基地では米海軍艦船の修理を日米地位協定に基づき防衛施設庁依頼し、同庁が雇用主となり、作業員を基地に派遣し、作業員は米軍の指揮の下で修理作業をしておりました。こうして1960年から1970年代に空母「ミッドウェー」などの米海軍の艦船を修理していた作業員が1990年代になって、肺がん、中皮腫、石綿肺などの肺疾患による死亡が相次いだことから、1998年に元作業者12名と4名の遺族が日米安全保障条約に関連した特別法に基づいて3億2,500万円の賠償を求めて日本政府を提訴(第1次)しました。

そして、同様の肺疾患によると思われる死亡が続発したため、第2次、第3次の提訴が行われました。 次訴訟は地裁では全面勝訴しましたが控訴後、原告14人のうち5人については時効を理由に逆転敗訴となる理不尽な結果に終わりましたが、結局、1999年の1次提訴以来、3次にわたった同基地じん肺訴訟は約6年間の一連の訴訟が終結ました。国は昨年成立した2次訴訟の和解と同様、元従業員に一律1,400万円、死亡患者に同2,500万円の和解金を支払うことになりました。

今日報道された最新情報によれば、90年以降、米海軍横須賀基地でのアスベストを扱う作業による肺疾患の患者は98人にのぼりうち26人が死亡していたことが判りました。そして、その98人のうち45人が損害賠償を求めて提訴し、40人が勝訴または和解し、5人が敗訴しております。そして、2005年7月7日に、米海軍横須賀基地の元労働者4人が横浜防衛施設局に日米地位協定に基づき1人3,000万円の損害賠償を請求する提訴を行いました。

これからも、各地で同様のアスベスト訴訟が繰り広げられるものと思われますが、上記の3件の判例は、時効関連を除き、全て勝訴もしくは和解に至っておりますので、時効の壁が無い限り原告側に有利に展開されていくものと思われます。アスベスト健康被害の中にはアスベストの粉じんを吸入してから40年後に発症するケースも有りますので、時効の発効時期を何時にするかが今後の裁判での焦点になっていくように思われます。





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