−日記帳(N0.1344)2005年08月15日−
今日は終戦60周年記念日
−日記帳(N0.1345)2005年08月16日−
終戦詔書を読んで思うこと


今日は終戦60周年記念日です。あの玉音放送された天皇の終戦詔書は雑音が多くて聞き辛い上、文章がカタカナに難しい漢字が多用されていているため、私としてはその内容は殆んど理解しておりませんでした。この60周年の節目に、改めて終戦詔書の内容を吟味してみたのですが、なかなかの名文で、当時の天皇のご心情をよく理解することができました。

ところで、玉音放送により終戦を国民に伝えるアイデアは、久富達夫情報局次長によって発案され、迫水久常内閣書記官長が内閣嘱託川田瑞穂に文案を依頼、それを元に12日に安岡正篤大東亜省顧問が加筆し、14日に天皇の言葉が加えられ、詔勅案として完成しました。この中から放送用として清書が用意され、御前会議での終戦決定、ポツダム宣言受諾の通知が各国に出された後、録音レコードの「玉音盤」が侍従室内の金庫に保管され、翌日の15日未明のクーデターでの難を逃れ、正午からの放送に間に合ったのでした。

本題に無関係な余談ですが、実はこの終戦詔書の作成に重要な役割を果たした、安岡正篤氏は戦後、中曽根元首相をはじめ歴代首相や財界の巨頭かた師と仰がれた有名な陽明学者で、老人ボケが進行していた昭和58年3月、85歳の時、九段の料亭で開かれた「安岡正篤を囲む会」に呼ばれた占い師の細木数子さん(当時45歳)と意気投合したのか、それともボケが高じたのか、彼女に婚約誓約書を渡したことが知られております。

彼女はこれをもとに彼との結婚を宣言し、彼の家族がそれに反対して彼の身柄を彼女に引き渡さなかったのにも関わらず強引に10月に結婚届を役所に提出して正式に夫婦になったものの安岡家では、ボケを理由に無効を申し立てて争っている最中の12月に彼は他界してしまいました。当事者死亡でこの無効裁判がどうなったかは知りませんが、細木数子さんが元安岡正篤氏夫人であることは事実のようです。まさか、終戦詔書を調べていく過程で細木数子さんの名前が出てくるとは想いもよりませんでした。 本題に戻ることにして、まず原文は次の通りです。その現代語訳とコメントは明日採り上げます。

 朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ 抑〃帝国臣民ノ康寧ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カザル所曩ニ米英二国ニ宣戦セル所以モ亦実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ犯スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戦已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各〃最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スベシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ
 朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク且戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ哀情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒテ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
 朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ乱シ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ体セヨ

              御 名 御 璽
             昭和二十年八月十四日


昨日、掲載した終戦詔書の原文は、私には意味の判らない部分が数多く有りましたので、公式の現代訳文を探してみたのですが見つかりませんでした。そこで、いろいろな方の訳文を読ませて頂いたのですが、それでも判らないところが有りましたので、辞書を引いて私が理解できるように訳してみました。意訳してますので、原文からかなり離れてしまいましたが大筋で違いは無いと思い下記に掲載してみました。

            ー終戦詔書の現代文訳ー

私は、世界情勢とわが国の現状とを考慮して、非常の処置をとることで事態を収拾したいと考え、忠良な国民のみなさんに伝えます。私は日本政府に、米国、英国、中国、ソ連の4ケ国に対してその共同宣言(ポツダム宣言)を受諾するように指示しました

日本国民の平和と安泰をはかり、世界との共栄を喜びとすることは、代々の天皇の遺範であって、私も 常々心にとどめてきたことである。先に、米国と英国の2ケ国に宣戦したのは、ただ日本国の存続とアジアの安定とを願ったためであり、ポツダム宣言に書かれているような他国の主権を排除して領土を侵すことは、もとより私の考えていたことではない。

しかし、戦争を継続して既に4年を経過した現在、わが国の陸海軍将兵の勇戦、多数の官吏の精勤、一億国民の奉公、いずれもが最善をつくしたにもかかわらず戦局は好転せず、世界情勢は我々にとって有利ではなく、さらに敵は新たに残虐な爆弾を使用して、罪もない市民を多数殺傷し、その被害の及ぶところは測リ知れないほどになった。

これ以上戦争を続けると、最終的には、我が民族の滅亡を招くだけでなく、人類の文明までも破壊されるだろう。そのようになったら、億兆もの赤子(せきし)である日本国民の命をあずかっている私は、どのようにして代々の天皇に謝罪すればよいだろうか。これが、私が日本国政府に対し共同宣言に応じるようにさせた理由である。

私は、日本国とともに、終始アジアを列強からの解放することにに協力してきた同盟国に対し、遺憾の意を表さざるを得ない。日本国国民で戦場で戦死した軍人、職場で殉職しした官吏、戦火に倒れた市民やその遺族に想いをめぐらすと、身を引き裂かれる思いがする。、また、戦傷を負い、災禍をこうむり、職を失った人々の再起については、私が深く心配している所である。思えば、今後、日本国が受けるであろう苦難は、非常に大変なものである。あなた方国民の降伏に対する無念も、私はよく理解している。しかし、私は、事態の趨勢に従い、堪えがたいことを堪え、忍びがたいことを忍んで、将来のために平和への道を望んだのである。

私はここに、国体を維持することができて、忠良な国民の忠誠を信頼し、常に国民とともにある。もし激情のおもむくままに無用の混乱を引き起こしたり、あるいは同胞に対して分裂して争うなどして時局を乱し、そのために大道を誤り、信用を世界に失うようなことは、私が最も強く戒めることであり、国民皆が子孫にいたるまでも神州(日本)の不滅を固く信じ、個々に課せられた責任の重さと今後の長い道のりを自覚し、総力を将来の建設に傾け、道義を重んじ志操をかたくし、必ず国体の精華を発揚し、世界の発展におくれることのないよう努めるべきである。あなた方国民は以上のような私の意思を理解し従ってほしい。

この文章を読んで次の点(上の白字の部分)を注目してみました。

日本政府に受諾するよう指示した
 天皇が日本政府の上にあることを明言しております。

日本国の存続とアジアの安定とを願ったためであり
 戦争目的が侵略ではないことを明言しております。

敵は新たに残虐な爆弾を使用して
 原爆投下を非人道的な残虐行為として非難しております。

解放に協力してきた同盟国に対し

 この同盟国がどの国を指しているにか不明、もし独伊なら、アジアを
 列強から開放することに協力して きたという文言が適切でなく、台
 湾や韓国は同盟国とは言えないからです。

神州(日本)の不滅を固く信じ
 天皇制を継続して戦後復興することを前提にしております。

 


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