−日記帳(N0.1365)2005年09月04日−
ベトナムの歴史
−日記帳(N0.1366)2005年09月05日−
ベトナム・カンボジア旅行1日目

ベトナムの世界遺産、ハロン湾の風景

・ベトナムの古代史(黎明期):
ベトナムの歴史、特に古代史は、ベトナムという国だけの話よりも、そのインドシナ半島の全体の歴史を語ることになります。ベトナムの最古の人類の痕跡としては北部ベトナムのタインホア省で見つかった約30万年前の旧石器時代の石器になります。紀元前2万年頃には中期石器時代のソンビ文化の遺跡が発掘されています。その後に続く紀元前1万年頃のホアビン文化時代では農耕などの文化があったのではないかという研究もなされています。

国として統治された形態の歴史が出現するのは紀元前2880年ころの雄王(フンヴォン)の文朗国が最初です。雄王の伝説は現在もベトナム人の間にしたしまれており、ベトナムの文化を形成するひとつの遠い紀元になっているのではないでしょうか?紀元前800〜300年頃にはドーソン文明が現れ、インドシナ半島からインドネシアの島にまで、そのころ作成された鳥獣模様の彫りこまれた青銅の太鼓が各地で見つかっています。このことは海を交通手段とした文明の発達が、この付近で行われていたことを示しています。インドシナ半島からインドネシアに至る海岸沿いに住む人々に共通の文化や人種が、この地域に広がっていったことを示していて、大変興味深い事と思います。

・中世史(中国の支配とチャンパ王国):
ベトナムの歴史を一言で言うとなれば、支配と支配からの反抗の歴史と言えるでしょう。もともと北ベトナム地域で起こったオウラク国(紀元前258年)、その後の南越国を、中国の支配者であった漢が支配をするようになった紀元前111年から、1千年間のあいだ中国により支配され、その後も元による進行、フランスによる統治、日本軍と続き1945年の独立宣言までの長い間、支配とそこから逃れるための戦争の繰り返しの歴史だったのです。

また、ベトナムの歴史の中で、チャム族によるチャンパ王国が出てきます。137年にチャム族によって林邑(ラムアップ)国が建国されますが、これが7世紀になってチャンパ王国と名乗ります。現在のベトナムは80%がキン族で、基本的にはキン族による社会となっていますが、そのキン族はもともと北部の出身でした。チャム族は現在の中部から南部にかけての地域を広く支配していた民族で、海上交通を上手に使って交易を行い、自分たちの文化を作り上げていきました。チャム族の遺跡を眺めると、それはインドの文化であるヒンズーの影響を非常に強く受けたものであることが分かります。

紀元後938年に呉権がバクダン川で中国軍を破って、ベトナムが中国からの支配に終止符を打った後、チャンパ王国はベトナムから本格的な攻撃を受けるようになり、1400年ころその王国は衰退して行きます。現在その子孫は、山岳部で少数民族として生き延びたり、サイゴンなどの南部の地域で、昔からの祝祭を守りながら暮らしています。

・近代史(アヘン戦争からベトナム戦争へ):
中国とイギリスの間で起こったアヘン戦争(1840〜1842)は、ヨーロッパの列強国による東アジア支配の幕開けでした。1847年フランス軍によるダナン沖でのベトナム軍軍艦の攻撃から始まり、1862年第1次サイゴン条約によるコーチシナの割譲、1884年フランスとベトナムの間でパトゥヌル条約締結により完全にベトナムはフランスの植民地下に入りました。 1925年インドシナ南部におけるゴムのプランテーションのために20万人のベトナム人が移住させられます。このころの生活を描いた映画が「インドシナ」です。

1930年香港でグエンアイコック(後のホーチミン)によってベトナム共産党が創立します。このころからアジアにおける民族主義運動が台頭して行きます。1940年の日本軍によるベトナム進行が開始され、日本軍によるインドシナ半島支配が始まります。1941年ベトナム独立運動ベトミンが発足されます。 1945年の日本軍の降伏により、ベトミンが一斉蜂起、ハノイを占領し、9月2日ホーチミン主席によりベトナムの独立宣言がなされます。同年フランス軍によるサイゴン占領、1946年ベトミンとフランス軍の武力衝突がハイフォンで起こり、本格的なベトナム戦争へと入って行きます。1975年4月30日北ベトナム軍のサイゴン占領によりベトナム戦争が終了するまで、悲惨な泥沼の戦いが続きました。


中部国際空港11時発のベトナム航空 VN−969便でホーチミンへ

ホーチミン空港17時発ベトナム航空 VN−740便でハノイへ

  ハノイのホテルソフィテルプラザハノイに宿泊


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