−日記帳(N0.1372)2005年09月12日−
ベトナム・カンボジア旅行8日目
−日記帳(N0.1373)2005年09月13日−
ベトナム・カンボジア旅行から帰って


ホーチミンの空港内免税店で購入した螺鈿入りの飾り絵

ベトナム、カンボジアの旅を終え、ホーチミン市内の中国料理店でベトナム民族舞踊を見ながら最後のディナーをとってからタン・ソン・ニャット国際空港に着いたのは夜9時(日本時間で夜11時)頃でした。中部国際空港行きのベトナム航空のVN-968便は3時間後の0時35分ですので時間は充分有ります。免税店巡りで時間をつぶしているうちに日本人のツアー客が群がっている店を見つけ、店に入って陳列商品を見て驚きました。

螺鈿(ラデン)入りの風景画(ミトーのメコン川の風景で30cm×25cmサイズ:実物の写真を上に掲載)が10$、その他漆塗りの楊枝入れ、名刺入れが1$など、どこの土産店より安かったので、ここで隣人、友人向け用として何点か購入しました。そして殆んど日本人だけで満席状態のVN-968便は定刻どおり小雨降るタン・ソン・ニャット国際空港を飛び立っていきました。

シートベルト着用サインが消えて間もなく、ドリンクサービスで出されたワインを飲み終えると急に眠くなりしばし寝入ってしまいました。周囲の騒音で目を覚ますと朝食のサービスの時間でした。同じメニューなのに中部国際空港を出た時に出された日本仕立ての朝食と、ホーチミン仕立てのこの朝食とでは味付けなどが異なり、私にとっては美味しくなく殆んど口を付けませんでした。

検疫、入国手続きを終えて空港ロビーに着き、バスを待つ間、携帯で気になっていた選挙速報をチェックして自民党大勝、民主党惨敗のニュースを知りました。自民党有利は予想していましたが、あまりの大勝ぶりに驚きました。バスに乗車後、20分で自宅に着きました。


カンボジアの高床式住居ベトナムの狭い3階建て民家


今回のベトナム、カンボジア両国の旅を終えて、いろいろと感ずるところが有りました。両国はいずれも世界に名だたる貧しい国で、国民一人当たりの所得(GNPベ−ス、110円/$)が、ベトナムで 5.5万円、カンボジアで 3.3万円と差が有りますが、旅で垣間見た人々の表情や街角の風景からは、それ以上に差が有るように思えました。尚、日本は440万円ですから、いずれも日本の1/100前後でしかなく日本では考えられないような貧しさであることに違い有りません。

両国はインドシナ半島で隣り合う国で気候、風土も似ており、そして19世紀にフランスによる植民地支配を受けた点でも共通しているのにどうしてこのような格差が生じたのかを、同行のツアー客の皆さんと、食事しながらハノイ大学を主席で卒業したインテリの現地ガイドさんの意見を交えながら議論してみました。その結果、両国の指導者のリーダーシップと愛国心の差であることで意見が一致しました。観光旅行先でその国の歴史について議論したのは初めての経験でしたが、歴史好きの私には願っても無いことでした。

その違いは、例えばカンボジアの田舎で多く見かけられた電気、水道、TVは勿論のことトイレも無い高床式の粗末な民家に対して、ハノイ近郊の田舎で見られたベトナムの民家はマッチ箱のように狭いながらもコンクリートや煉瓦造り造りでTVアンテナも立てられているなど如何にも対照的でした。ただ、共通していたのはっ殆んどの家の壁に窓が無いことでした。カンボジアの高床式では雨が家の中に吹き込むため、ベトナムのマッチ箱の家では将来、隣にギリギリに家が建つと窓の意味が無くなってしまうからでした。

そして、電灯が無い、窓が無いことなどから家の中が暑くなることから屋外にいる人たちが多い点でも共通しておりましたが、ただ、カンボジアでは食事、洗濯、料理の煮炊き、団欒は全て戸外、ベトナムでは屋台で外食、夜はバイクを走らせて涼をとるなど、ここにも貧富の差が見られました。

両国は戦争に明け暮れた歴史を持つ点でも共通しておりました。ベトナムは中国、元などの強大国、カンボジアはタイ、ベトナムなどの近隣諸国との戦争で、カンボジアのアンコールワット王朝時代を除いては殆んどの場合、自国への侵略対する反抗で、自らが他国に侵略することは有りませんでした。そして、第二次大戦終了後も両国に戦火が消えることは有りませんでしたが、そこに徹底的な違いが現れてきました。

両国とも政策を巡って内戦が始まりましたが、ベトナムは当時の冷戦体制の縮図のように、中・ソの支援を受けながらホーチミンという強力な指導者のもと、内戦の対戦相手の南ベトナムを支援する超大国の米国と敢然と戦い続けましたが、カンボジアでは優柔不断なシアヌーク殿下(王位を父に譲ったため殿下と呼ばれた)米国の傀儡だったロン・ノル将軍、全人口1/3近くの知識階級300万人を惨殺した殺人鬼のポル・ポトのような指導者のもとで空しい内戦に明け暮れました。

そして、30年前の1975年にベトナムが米軍を国外に撃退して勝利し、自らの手で南北の統一を図り、1986年には共産体制下での経済的苦境を豊富な天然資源を背景にしてドイモイ政策(ソ連のペレストロイカに似た共産体制下での経済開放政策)によって乗り切ることに成功し、更には日本を中心に海外からの工場誘致にも成功して経済発展を遂げております。しかし、カンボジアでは内戦が終りを告げたのは、まだ14年前の1991年で戦後復興がまだ充分でないこともあってベトナムのように海外からの工場誘致に成功しておりません。

以上のような事情で、カンボジアは、指導者、資源、海外からの工場誘致、政策などでベトナムほどに恵まれていないため、自力で経済発展を推し進めていくのは難しく、ベトナムとの格差は更に広がっていくものと思われます。しかし、そのように貧しい国カンボジアでしたが、そこで生活している人たちはたくましく、我慢強く、彼らなりに生活をエンジョイしているようでした。最初は恵まれた日本人の価値観で見ていたため彼らの生活ぶりに、つい哀れさを感じましたがそのうち彼らの価値観で見ることが出来るようになってからは、哀れさを感ずることはなく、むしろ憧れを感ずることも有りました。いろいろな意味で考えさせられた今回の旅行でした。


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