−日記帳(N0.1378)2005年09月18日−
見事な今夜の中秋の名月
−日記帳(N0.1379)2005年09月19日−
アンコールワットの闇夜


我が家の庭から撮影した中秋の名月

旧暦の8月15日は中秋の名月をめでる日ですが、この時期は裏の梅雨前線に相当する秋雨前線が本州付近に停滞したり、台風が接近したりする頃ですので快晴になる確率は10%程度しかなく、中秋の名月を鑑賞できることは滅多に出来ません。江戸時代の書物に「中秋の名月、十年に九年は見えず」のような記述もあるほどです。しかし、今夜は7時過ぎに快晴の南東の夜空にくっきりと見事な中秋の名月が昇ってきました。小枝の隙間に現れた満月の美しさにしばし見とれ、その名月を写すために昨年末購入したデジカメで撮影してみました。

従来のデジカメは、シャッタースピードが速い上、固定されておりましたので星や月を撮影しても露光不足で暗く、また画素数不足で拡大するとボケてしまう欠点が有りました。新たに購入した、「Canon PowerShot S60」はシャッタースピードを最大15秒から最小1/2000秒までコントロールできますので、いろいろとスピードと拡大度を変えて写してみました。その結果、最も私なりに満足出来たのが上の上の画像で、シャッタースピード=1/10秒、画素数=1M 拡大度=中で初期画像をトリミングしてから50Kにサイズダウンしました。撮影場所は我が家の庭です。

人は闇を恐れます。恋人たちは人目を忍んで夜デートしようと思います。しかし、相手の顔すら判らないような闇夜ではそれもままなりません。従って人は月明かりを求めます。月に一度の満月の夜は恋人たちには待ちに待った夜です。こうして、昔の人たちは、生活のリズムの基になる年間の暦を太陽の動きではなく月の動きを基準とする陰暦(旧暦)を採用するようになり、日本にも中国から朝鮮を通して伝わり、一部改暦は有りましたが天保時代に作られた天保暦が明治5年(1872)の現在の太陽暦(新暦)に改暦されるまで使われておりました。

太陽暦は太陽の運行をもとにしているのに対し陰暦は月の運行をもとに作られておりますので、各月は月が全く見えない新月の日を毎月1日とし、満月の日を15日としております。月は約29.5日で地球を一周するので1年は365日ではなく354日になるため毎年約11日ずつずれていくことになります。このままでは季節感が出ませんので、二十四節気を入れ、太陽の運行も併せて基準にしたものが天保暦の太陰太陽暦です。11日間のずれは閏月を入れることで調節しております。

月の丸さ、言わば満月の度合を示す数値に月齢が有ります。月齢は新月(月が地球の影に隠れて全く見えない状態)を迎えた瞬間から何日経過したかを日数を表すもので、月齢=0が新月、月は約29.5日で地球を一周するので月齢=29.5/2=14.75で満月、月齢=29.5で再び新月に戻りますので、新月の月齢は0であり29.5でもあります。
ここで、満月度を表す式として下式 Mを考案してみました。

       M=100×(14.75-|月齢-14.75|)/14.75

今夜は月齢=14.3ですので、M=100×(14.75-|14.3-14.75|)/14.75=97(%)
つまり、今夜の満月度は97% と言うことに」なります。

14.75日は有り得ませんので、旧暦の15日が必ずしも満月にはならず、2001年から2010年までの10年間で、中秋の名月=満月になったのは下表に示しますように、4回しか有りません。従って、実際の満月は旧暦の15±2日の範囲にあると考えていいと思います。

    年   中秋の名月   満月の日 適 合

   2001年  10月1日    10月2日   ×   
   2002年  9月21日    9月21日   〇   
   2003年  9月11日    9月11日   〇   
   2004年  9月28日    9月28日   〇   
   2005年  9月18日    9月18日   〇   
   2006年  10月6日    10月7日   ×   
   2007年  9月25日    9月27日   ×   
   2008年  9月14日    9月15日   ×   
   2009年  10月3日    10月4日   ×   
   2010年  9月22日    9月23日   ×   

ところで、晴天率が10%しかない旧暦の8月15日を何故、中秋の名月としたのか、むしろ晴天率が年間を通して最も高い旧暦の9月15日を中秋の名月とした方がいいはずです。実は月見には暑い夏や、寒い冬や、朧月夜の多い春よりも気候もよく空が澄み渡る秋がいいことに異存有りません。その場合、旧暦では、7月を初秋、8月を中秋、9月を晩秋と言い、ますので、中秋の名月は8月の15日にせざるを得ないわけです。中秋の名月の満月は特別な意味はなく他の月の満月と全く変わりません。天の川と同様に、旧暦の8月15日に観られなかったらその前後の日、それでも観られなかったら、中秋の名月の翌月の十三夜、つまり旧暦の9月13日の後の月見を観賞すればいいと思います。 

後の月見は東京近辺では、中秋の名月同じ庭で見るもととされ、別のところで見ることを「片見月」といって嫌ったそうですが、一戸建てになかなか住めない東京のお家事情では庭から月を見ることは難しいので、マンションやアパートならベランダから、ベランダから観れない場合は地上から観ればいいと思います。年に1回ぐらい、満月を観ながら以上のようなことを考えてみるのもいいのではないでしょうか。


漆黒のアンコールワット東門の朝焼け

先日、カンボジアのアンコールワットを訪れた時のことでした。黒いシルエットのアンコールワットの東門を背景に昇ってくる朝日を観るためにまだ真っ暗な早朝5時にホテルをバスで20分程度のアンコールワット西門まで出かけました。この日は月齢4.3でしたので殆んど月明かりは無くバスの車窓から見える風景はまさに漆黒の闇でした。月齢のことは、昨日の日記で解説させて頂きましたが、この月齢から満月度Mを計算すると、M=29.1% ですので、三日月に近く、道路には街路灯も無いので、辺りが漆黒の 闇に包まれるのは当然のことでした。

アンコールワットは12世紀にアンコール王朝によって建てられた巨大な仏教寺院ですが、鬱蒼とした密林の中にあるため、地元の人たちには昔から信仰の対象としてその存在は確認されておりましたが、外国人にはその存在は全く知られておりませんでした。たまたま、1860年にフランスの博物学者アンリ・ムオによって偶然発見されたことから判るように、アンコールワット周辺には高床式の住居があちらこちらに見られ、内戦時代はポル・ポト派が潜んでいたこともある典型的なカンボジアの田舎でした。

こ辺りでは、高床式の住居に住んでいる人たちが結構多く、その住居が昼間、バスの車窓から多く見られました。上の画像はそうした高床式住居の代表的なものです。見て判りますように、周囲の壁には窓が無く、トイレも電灯も有りません。洗濯や煮炊きは全て屋外で行なわれております。特に満月の前後の月夜では屋外でハンモックを吊るして寝るとのことでした。

彼らにとっては満月とその前後の数日は、1ケ月の中では最も楽しい日々に違いありません。月明かりのもとで、恋人たちは楽しいデート、家族は一家団欒を屋外で過ごすことと思います。今夜も綺麗な十四夜の月を観ながら、アンコールワット周辺の人たちもきっとこの月明かりのもとで楽しいひとときを過ごしていrのだろうと思いをカンボジアの地に馳せました。


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