−日記帳(N0.1382)2005年09月24日−
節操の無い造反議員たち
−日記帳(N0.1383)2005年09月25日−
成功裏に愛知万博閉幕


今回の選挙を前にして、郵政民営化関連法案に反対した、いわゆる自民党造反議員は当時の自民党衆議院議員の1/4弱に相当する51名でした。そしてその内訳は37名が綿貫民輔、亀井静香、平沼赳夫、野田聖子、堀内光雄等の反対票を投じた「反対票組」、14名が古賀誠、高村正彦、小渕優子等の欠席・棄権した「欠席・棄権組」でしたが、選挙に臨んで、両組の間には雲泥の差が生じました。

自民党本部が、造反議員のうち「欠席・棄権組」には罪一等を減じて公認を」与えたのに対し、「反対票組」には公認を与えないだけでなく、その選挙区に刺客を送り込んだからです。その結果、「欠席・棄権組」14名は3名が棄権・落選したものの11名が当選するという善戦を演じたのに対し、「反対票組」37名は、うち3名が引退を余儀なくされ、34名が無所属、新党から立候補したものの半分もの17名が落選するという惨敗を期しました。

当選した17名も足並みが揃わず、止む無く未練を残しながらも取り敢えず自民党に決別して新党を結成して統一会派を画策する綿貫民輔、亀井静香、亀井久興、滝実の4名と、復党に未練を残して、統一会派からの誘いを辞退している平沼赳夫、野田聖子、堀内光雄等13名の二派に分裂しております。そして、彼等には郵政民営化関連法案成立後には除名という厳しい処分が待ち構えております。勿論、「欠席・棄権組」にも、除名こそ免れることでしょうが役職停止などの処分が待ち構えていることと思います。

そのため、この無所属議員に節操の無い態度が目立ってきてマスコミ、国民から批判を浴びております。私も彼等には失望と怒りを感じざるを得ません。特に野田聖子議員は、一部の抵抗勢力から首相候補に祭り上げられたことに気を良くして、郵政民営化関連法案に反対するにだけ留まらず小泉総理の手法を酷評したのに一転して首班指名では小泉総理に投票し、あれほど反対していた郵政民営化関連法案に対しても、もう一度見直してみたいとコメントする有様で、その節操の無さには呆れるばかりです。

そして、平沼赳夫議員や、郵政民営化関連法案の賛否を巡って態度を保留していた自民党参議院議員を一気に反対に誘導した中曽根参議院議員たちは、衆院選で自民党が圧勝したのは民意であり、民意に従うのは政治家の信条であるとして首班指名では小泉総理に投票し、中曽根参議院議員は郵政民営化関連法案に賛成することを表明しております。それでは、彼等の郵政民営化関連法案反対を支持した選挙民たちの民意はどうなるのでしょう。選挙民の民意を尊重して最後まで郵政民営化に反対するのが政治家の信条ではないでしょうか。

特に、中曽根参議院議員は、信念に乏しい郵政民営化関連法案反対を表明したために、解散、総選挙を引き起こして同僚議員を路頭に迷わせた責任をどのように感じているのでしょうか。このような造反議員たちは、サラリーマンの世界ならば就業規則に相当する党議に違反したのですから、懲戒解雇に相当する除名処分は当然で、今後、選挙民、国民からそっぽ向かれても当然で場合によっては政治家生命すら危ぶまれることも有り得ると思われます。

その点、節操だけは曲げずに相変わらず強がりを言っている綿貫民輔、亀井静香の両議員の方がましだと思います。ただ、亀井静香議員の「これで間違いなく日本は潰れる」との発言は、さきほどとは逆に国民の選択が間違いであると指摘することに繋がり、また国民の実感とはかけ離れておりますので、これ以上言い続けていくと世間から疎んじられ、やがては消え行く運命を辿るような気がします。「解散なんか出来っこない」「これで大勝利」などの彼の語録は、一寸先すら読み切れなかったピエロ政治家としての名を残すことでしょう。

結局、これら造反議員の殆んどは、所詮、既得権益を維持するために改革に抵抗しただけで、国民のために信念を貫いて郵政民営化関連法案反対したのではないことが露見したことになります。今回の一連の解散、総選挙はこうした仮面を被った議員たちを検出し得たことだけをとっても小泉総理の功績のひとつと言えると思います。


閉会の挨拶をされる皇太子殿下

愛知万博入場者の累積グラフ(青線)(赤線は目標線)

自然の叡智をテーマに、121カ国・4国際機関が参加した愛・地球博(愛知万博)は万博名誉総裁・皇太子殿下、万博名誉会長・小泉首相、豊田章一郎・万博協会会長等関係者約2,250人の列席のもと、EXPOドームで閉会式が行なわれた後、同日午後10時に185日間の全日程を終了し幕を閉じました。

閉会に際して、皇太子殿下は「訪れた多くの人々の感動が全世界に広がり、地球規模の問題に立ち向かう大きな動きになることを希望します」とお言葉を述べられ、小泉首相は「愛・地球博をきっかけとして、モノを大切にする「もったいない」という心が世界中に広がり、人間と自然が共生する新しい社会が実現することを祈念してやみません」と、豊田章一郎会長は「子供たちは限りない夢と希望と感動を抱くことができたのではないか。博覧会が果たした役割は大きく、万博の歴史に新たな一ページが加わると確信いたします」と夫々挨拶した後、博覧会国際事務局(BIE)の旗が2008年と2010年に万博を開催するスペイン・サラゴサと中国・上海に引き継がれました。

開幕当初は1日の目標入場者数約8.1万人に達することがないまま推移し、目標入場者数を超えたのは開幕25日目の4月16日でした。その様子は、上の入場者累計グラフで読み取ることが出来ます。開幕当初の不入りが実際の入場者数を表す青線が目標の赤線の下になっていることから直ぐに読み 取ることが出来ます。

漸くGW以降になって目標を上回る日が多くなり、5月中旬に累計入場者数が目標値をクリアし、その後は目標線から上方に乖離しはじめ、7月4日に目標より約20日早く1,000万人を突破し、8月18日にはついに最終目標の1,500万を38日も早くクリアし、9月に入ってからは連日15万を越え、9月17日には予想も出来なかった2,000万を越え、結局、最終累計入場者数は目標を700万人以上も上回る22,049,544人でした。

愛知万博の道のりは険しいものが有りました。1997年6月13日未明、モナコのグリマルディ・フォーラム、博覧会国際事務局(BIE)総会のノゲス議長の「ジャパン」の声が高らかに会場に響き渡って歓喜したのも束の間、会場に予定していた海上(カイショ)の森に、「国内希少野生動植物種」に指定されているオオタカが発見されたことを契機に市民団体からの中止を求める声が日増しに強くなり開催すら危ぶまれる状態になってしまいました。

さらに、1999年11月にBIEから「国際博を利用した土地開発事業だ」と批判されたことも影響して、豊田章一郎・2005年日本国際博覧会会長が国や県との調整に孤軍奮闘し、海上の森から名古屋市中心部から東へ約20kmの長久手に変更し、テーマも産業振興から環境保護に転換することで、漸く平成12年12月15日にBIEに正式承認され、大阪万博など数々の国際博を成功させた実績を持つ堺屋太一氏を最高顧問にすることで本格的に愛知万博は動き出したのでした。

ところが、堺屋太一氏が環境博で1,500万を目標とする主催者側のこの案に反対し、産業博で2,000万を目標にすることを主張して主催者側と対立したため、苦渋の判断で主催者側は堺屋太一氏を下ろして予定通りの案でいくことにしたのでした。結果的にはこの決断が成功に繋がったと私は評価しております。堺屋太一氏は「愛知万博は偉大なる地方博として成功するでしょう」と痛烈に皮肉を言って去っていきました。散々苦労してやっと開幕に漕ぎ着けたところ、当初の不入りで関係者の脳裏に堺屋太一氏の皮肉が過ぎったことと思われます。

実は、テロ対策、食中毒防止などの理由で、万博会場には缶類・ビン類・ペットボトルの持ち込みが禁止され、入場者の不満が高まっていたことも不入りに拍車をかけておりました。しかし、愛知万博名誉会長でもある小泉首相の「不満はそのとおりだ」との鶴の一声を契機に持ち込みが一部緩和され、これを契機に主催者側の機敏で手早い対応が評価され入場者数は増えていきました。

こうして、愛知万博は世界博としてはハノーバー万博、国内博では筑波博を入場者数で追い抜き、環境重視の目標を達成し、大きな事故も無く、100億円の利益を確保して成功裏に閉幕しました。会場内で出たごみを利用した発電、有害物質を排出しない燃料電池ハイブリッドバスを運行するなど、会場全般を環境に配慮し、人類と自然が共生する持続可能な社会を実現しようというメッセージを発信した。NPO(非営利組織)、NGO(非政府組織)、市民ボランティアなど、多くの市民組織が参加したのも特徴で、草の根レベルで環境保護運動の機運が高まったことでも成功したと言えると思います。 しかし、「愛知万博の出場者は殆んど地元の人、それもリピーターが多かったことからやはり地方博の域を脱しない」との意見が有りましたので、これに以下の如く反論したいと思います。

入場者の地域別内訳は、愛知県が43.%は当然として、東海・北陸地方で60.6%、関東地方で15.2%%、関西地方から12.4%、その他が11.8%ですので、筑波博の関東地方54.5%、大阪花博の関西地方%と比較すれば、愛知万博の地元率は最も低く、地方博との批判は当たりません。全期間券は大阪花博の約8倍に当たる44万枚売れましたので、2,200万人の入場者のうちリピーターは440万人ですので、これを差し引いても、目標の1,500万人はクリアしており、リピーターで水増しされているとの批判も当たりません。 会場内の建物は年内には撤去され、会場跡地は元の公園に戻されます。


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