−日記帳(N0.1388)2005年09月30日−
清原選手よ!身のほどを知れ 
−日記帳(N0.1389)2005年10月01日−
ツタンカーメンの暗殺説に思う


巨人・清原選手(38)が巨人の来期の戦力構想から外れることから自由契約による退団が決りました。当然のことで、むしろ遅すぎた嫌いが有り、昨年、または一昨年でも巨人のためにはよかったように思います。清原選手の人気は凄いものがありますが、その人気は彼の成績に基づいたものではないように思われます。一度もタイトルを取ったこともなく、通算打率も3割には遠く及ばず、巨人に入団してからは、守れず走れずのホームランを打つだけの選手でした。

あれだけ怪我が多くい上、守備、走塁に難が有ったら普通の選手でしたらクビになって当然で、例えば元中日の山ア 武司選手(37)は1996年には当時巨人の松井選手を抑えて39本で本塁打王のタイトルを取ったもののその後は清原選手と同様、守れず走れずのホームランをまにた打つだけの選手との評価でオリックスにトレードされ、そこでもいい成績を残せず、今年楽天に拾われ頑張って4番を努め25本の本塁打を残しました。

もし、この山ア 武司でも、清原選手のように出場機会を与えられたら本塁打数で清原選手程度の成績は残せたと思うのです。これを本塁打数と打席数で実証してみます。清原選手の西武入団以来、 全7589打席で514本塁打を残す一方、山崎選手は全4069打席で236本塁打を残しております。もし、山崎選手が清原選手と同じ打席が与えられれば、数字上は440本の本塁打を残せたことになります。山崎選手は入団して5、6年は二軍におり大器晩成型の選手でしたが、もし清原選手のように最初から一軍で活躍していたら、440本はもう少し増えて金字塔を打ち立てた清原選手の500に迫った可能性は有るように思います。

言い換えれば、清原選手は山崎選手のように、年間25本程度の本塁打を打てる選手で、20年間第一線に居れたため500本以上の本塁打打てたのであり、山崎選手より少しい程度選手だと思います。従って、清原選手の500本塁打達成にはそれほど感激することは有りませんでした。清原選手が成績以上に人気が有るのは、難病の子どもたちを励ましたりするなど陰の善行も有りますが、あの独特のキャラクターだと思います。

しかし、さほどの意味もなくスキンヘッドにして、ピアスを付けてプレーし、監督の起用に公然と不満をぶっつけたりする光景を野球ファン、清原ファンの子どもたちにどのように見ているのでしょうか。そして、球団側が、12月2日公示の保留選手名簿から外して自由契約にする形にした上、「自由に交渉できるようにして欲しい」という清原選手の希望を尊重してそれ以前に他球団と交渉しても事前交渉とみなさないとの最大限の待遇をし、5日に予定されている巨人引退選手の引退試合への異例の出席を打診されたのに断っております。

揺れ動くこころが落ち着かないことは理解できますが、ここは長年、巨人の清原選手としての最後の姿をファンの前に見せるのはプロ選手としてつとめではないでしょうか。清原選手よ!身のほどを知れ と敢えて言いたい。


今夜、日本テレビ系列で特集番組「誰がツタンカーメンを殺したのか」が放映されました。古代エジプト特に最も華やかだったエジプト第18王朝に大きな興味を持つ私としては胸躍る思いで視聴しましたが、私でも知っている程度の情報に留まり、オーバーな司会者の解説がむしろ耳障りに聞こえました。

エジプト・ルクソールの王家の谷の地下の王墓の中で3300年間眠りについているツタンカーメンのミイラを1922年にハワード・カーターが発掘して以来、82年経過してはじめて王墓の外に運び出して、ツタンカーメンに纏わる謎を解くべく、CTスキャン、DNA鑑定、微量分析等の鑑定がエジプト考古庁最高評議会のZahi Hawass長官等、世界の専門家が召集されて行なわれた結果に基づいて、日本でのエジプト考古学の第一人者の吉村・早大教授がツタンカーメンの死の真相に迫るとのキャッチフレーズでこの特番が組まれたのですが残念ながら期待外れでした。

これは、吉村教授に責任が有るわけではなく、Zahi Hawass長官等の調査結果が期待外れだったため、吉村教授としては少ない手掛かりの中から精一杯推理を働かせており、その推理の組み立て方は流石でした。私が、調査結果に不満を持ったのは、ミイラのX線CTスキャン解析にのみ重点が置かれ、毒物検定のための微量分析、親子関係を追及するためのDNA鑑定などが行なわれた形跡が無いからです。

X線CTスキャン解析の結果、従来の頭部殴打暗殺説の根拠となっていた頭蓋骨骨折の痕跡が無いこと、新たに足の骨折の痕跡が発見されたこと、健康体で病死するような形跡は認められなかったことの3点が判明しました。特番では、この結果に基づいてツタンカーメン暗殺犯を推定しようとするのですが、最初から暗殺と決め付けるには説得力不足でした。ツタンカーメンが幼く実権を持たない傀儡のファラオであったこと、義理の兄のアメンヘテプ4世の宗教改革路線を踏襲されると周囲の実力者が不利にんまることからツタンカーメン暗殺の動機が周囲の実力者の間に有ったこと、その実力者で後にファラオになったホルエムヘプはツタンカーメンの存在をこの世から抹殺するために王名表からツタンカーメンの名を削除し、ツタンカーメンに纏わる建造物、壁画なども破壊したり削り取っていることなどが暗殺を裏付ける状況証拠が有るとの説明は有りましたが陳腐化された説で新鮮味は全く有りませんでした。

それでも、吉村教授は、足の骨折痕により、狩の途中馬に曳かせた二輪車から転げ落ちたとのZahi Hawass長官らの事故説には目もくれず、暗殺説をとり、容疑者として、ツタンカーメンの妻アンケセナーメン、老宰相アイ、将軍ホルエムヘプの3人をあげましたが、ツタンカーメンとアンケセナーメンの夫婦仲がよかったことを示す発掘品が有ることなどからアンケセナーメンを消去し、結局アイとホルエムヘプの共犯説をとり、後に共犯相手のアイをも暗殺してファラオになったホルエムヘプが主犯との推論をされました。

吉村教授は、妻アンケセナーメンの手によって夫のツタンカーメンのミイラの胸に置かれていた「矢車菊の花束」から、その開花時期が5月であること、ミイラにするのに70日かかることから逆算して、死亡時期がその年の最初のワインを神からの贈り物としてアメン神の祭りにファラオが飲む儀式がある頃と割り出しました。その場合、毒見をさせないで飲む習慣があったため、ワインを入れた壷は空になると割る習慣があったのにそのワイン壷は割られず現存していて今も博物館に陳列されていることに着目しました。

吉村教授は、そのワイン壷を触りながら、こ壷の中のワインに毒物が混入され、それを飲んで夫が毒殺されたことをアンケセナーメンは後世に、ダイイングメッセージとして伝えたかったのではないかと推理しておりました。面白い説ですが少し無理が有ると思います。まず、暗殺者は犯行に使ったワイン瓶は、それでなくても処分するはずで、残されているのを見逃すはずは無いからです。ミイラから、あるいはこのワイン壷から毒物が検出されればそれは決定的な証拠になるはずですが、Hawass長官たちは何故それを実行しなかったのでしょうか。

3年前に、Hawass長官たちの今回の調査に加えDNA鑑定を含めた調査を、吉村教授らと名大が共同でエジプト政府に申請し許可されたものの直前になって却下されたことが有りました。今回は、その吉村教授を招聘せずに調査が行なわれたことは、吉村教授の業績、また日本が観光客、ODAを含めいろいろな面でエジプトを援助してきた経緯からして極めて不満に思うのは私だけではないと思います。その意味でも、吉村教授のご活躍を期待したいと思います。


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