−日記帳(N0.1396)2005年10月10日−
カメルーン「ヤウンデの悲劇」
−日記帳(N0.1397)2005年10月11日−
郵政民営化法案可決に思う


昨日までのW杯アフリカ予選3組の勝敗表

昨日、カメルーンの人たちは固唾を呑んでテレビ画面見守っていました。カメルーンの首都ヤウンデのオムニスタジアムで行なわれていたW杯アフリカ予選・最終戦のカメルーン対エジプト戦がテレビ中継されていたからです。この試合が始まる前までは上の勝敗表に示すようにW杯アフリカ予選3組のカメルーンは勝点、1点差でコートジボアールを押さえて首位に立っておりましたので、このエジプト戦に勝てば文句なく首位を確保して、アフリカ勢最多6度目の5大会連続のW杯出場が決ることからカメルーンは国を挙げて応援していたわけです。

試合は、前半21分にFWドゥアラが先制した時は、スタジアムは大歓声に包まれましたが、同点に追いつかれたものの、終盤は一方的に攻めまくりましたが、相手GKのファインセーブにも阻まれ1:1の同点のままロスタイムを迎えました。一方、2位のコートジボアールはスーダンを3:1で下したとの速報が入りましたので、このまま引き分けると、勝点、1点差でコートジボアールが逆転で首位に立ち、カメルーンの6度目の出場は果かなく消え去ることを知った大観衆は残り5分のロスタイムに一縷の望みをかけていました。

5分のロスタイムのうち4分が過ぎた、その時、カメルーンMFオレンベは、「やったあー」と倒れたまま両手を突き上げて叫びました。最後の力を振り絞って突破したペナルティーエリア内で、相手DFに足をかけられたてPK! コムラン主審の笛に、首都ヤウンデのオムニスタジアムが揺れました。ユニホームを頭にかぶって走り回るオレンベに、チームメートが次々と飛びついていきました。

キッカーはインテルのDFウォメ。15歳で代表デビューして10年、2度のW杯を経験し、シドニー五輪決勝のPK戦では、最後のキッカーとして金メダル獲得を決めており、誰もが外すことはないと信じていました。 11メートル先の幅7・32メートル、高さ2・44メートルのゴールにボールを蹴りこんだ瞬間にタイムアップしてカメルーンが勝利して6度目の出場が決るはずでした。

ウォメはためらわずに左足を振りました。GKも反応できないスピードでボールはゴール右へ。しかし、次の瞬間、鈍い音が。ボールは幅12センチのポストに当たってはね返って空しく転がっていきました。ノーゴール。静まり返るスタンドと逆に、ライバルのコートジボワールの大都市アビジャンは歓喜に包まれました。まさに、日本のド−ハの悲劇の再来でした。

スタンドからはブーイングが嵐のようにこだます中、数十秒ほどプレーが行なわれ、試合終了の笛が鳴ると、選手たちは次々とピッチに崩れ落ち、中にはエジプト選手に抱きかかえられる選手もおりました。しかし、収まらないのは一度は歓喜したスタンドのファンで、スタジアム周辺にあった車の窓ガラスを投石で割るなど暴走し、ロッカールームの外で響く罵声に、選手たちは2時間以上も缶詰め状態になりました。ファンの標的はPKを外したウォメで、命の危険さらされている彼の所在は暫くの間は明かされないようです。

先回のコンフェデレーションズカップ準決勝の試合中にフォエ選手が急死するという悲劇に見舞われたカメルーンチームは、その後、監督交代、政府介入、夜遊び選手追放、ボーナス闘争などの不祥事が続き「不屈のライオン」が「不らちなライオン」とまで揶揄されてきましたが、それでもアフリカサッカー界の王者として君臨しておりました。あまりにも劇的なミスは「ヤウンデの悲劇」として今後も語り継がれることと思います。 日本サッカー協会は昨日、、日本代表が11月16日に東京・国立競技場でコートジボワール代表と親善試合を行うと発表しました。キックオフは午後7時20分の予定。協会は、W杯アフリカ最終予選3組で競っていたカメルーンかどちらかとの対戦を決めておりましたが、図らずもタナボタでで出場が決ったコートジボワールと対戦することになった次第です。川淵キャプテンは「コートジボワールはW杯でも同組になる可能性がある。いいマッチメークができると思う」とコメントしております。


政府が今国会に再提出している郵政民営化関連法案が今日、
昼の衆院郵政特別委員会で可決後、衆院本会議に緊急上程
され賛成338票、反対138票で可決され、参院に送付されま
した。07年10月に日本郵政公社を4分社化し、日本郵政会
社(持ち株会社)の下に郵便局会社(窓口ネットワーク会社)
、郵便事業会社、郵便貯金銀行、郵便保険会社を設立する
などの内容で、郵貯の預け入れ限度額引き下げなどを柱と
する民主党の対案は否決されました。

先回は、自民党衆議院議員250名のうち、綿貫、亀井、平沼、
野田等37名が反対票、古賀、高村、小渕等14人が欠席・棄権
したため残りの 199名(249名−37−14名)と公明党の34名の
合計233名が賛成票を入れたのに対し、自民党造反議員のう
ち反対票組の37名、民主党の175名、共産党の9名、社民党の
6名、その他の1名の合計228名が反対票を投じたため僅かに
5俵差で賛成多数で可決されました。

ところが、今回の総選挙で、51名の造反組のうち反対票組の
37名は引退・落選で17名に、棄権・欠席の無投票組組の14名
は落選で11名に減ったため51名は28名になりました。そして
、昨日の投票ではこの28名のうち反対票を投じたのは、自民
党を離党して新党に参加した綿貫、亀井(静)、亀井(久)
滝、の4名と無所属の平沼の5名だけで、反対票組で無所属で
平沼と欠席した野呂田を除く11名と無投票組の11名全員の合
計22名は信念を覆して賛成票を投じました。以上の経過を纏
めて表にすると次のようになります。

         前回賛成票  今回賛成票  差
・自民党賛成組      199         285   +86 
・自民党反対票組      0           11   +11      
・自民党無投票組     0           11    +11 
・公明党       34           31    - 3
    計        233          338   +105

                 前回反対票 今回反対票

・自民党反対票組    37           5   -32  
・自民党無投票組       0            0      0
・民主党 全員    175          113    -62
・共産党 全員       9            9      0
・社民党 全員       6            7     +1
・その他        1          4     +3
    計      228         138   -90

        差       5          200     195   

反対票が228票から138票に90票減ったのに対し、賛成票が
233票から338票に105票増えたためその差が前回の5票差か
ら200票差に195票増えたことを上の表は物語っております。 

今回の投票で注目されましたのは、28名の元自民党造反議
員がどちらに投票するかでした。結果は、綿貫、亀井(静
)、亀井(久)滝の4名は信念を曲げずに反対票を投じまし
たが、野田、堀内、古賀、高村等の大物議員は選挙区での
民意を無視して全体の民意に従うのが政治家の義務である
との詭弁を弄して自らの信念をいとも簡単に捨て去り、
小泉総理に恭順に意を表しました。

政治家が自分の信念をこの程度の理由で曲げるようでは
政治家として失格です。むしろ、信念を曲げずに、反対
票を投じた4名の方が政治家としてはましです。ただ、
一寸先のことを読み切れずに私怨に走ったピエロ政治家
として力を失い消え去っていく運命にあると思います。      

前 頁 へ 目 次 へ 次 頁 へ
inserted by FC2 system