−日記帳(N0.1412)2005年10月26日−
ロッテ、31年ぶりの優勝
−日記帳(N0.1413)2005年10月27日−
W・ソックス88年ぶりの優勝



ボビー・バレンタイン監督の体が3度宙を舞った時、彼の脳裏にはあの日のことが過ぎったことと思います。 1995年、彼は千葉ロッテ・マーリンズの広岡GMに請われて同球団の監督に就任し、最下位近辺をウロウロしていたチームは、明るいバレンタイン監督のもとで息を吹き返したように選手達はのびのびとプレーし、優勝争いまで演じるほどの快進撃を遂げ、当時パ・リーグ5連覇中の西武ライオンズを上回る2位に導く(チームとしても10年ぶりのAクラス)功績を残しました。

この年は、阪神大震災からの復興の象徴であったオリックス・ブルーウェーブの本拠地胴上げを阻止するためエースを惜しげもなく起用して3連戦に3連勝することで勝負の厳しさを教え込みチームカラーを一掃しました。ところが、ペナントレース後半になって、巨人V9時代の管理野球に拘る古色蒼然とした考え方を持つ広岡GM(当時)との衝突するようになり、結局、万年最下位候補のチームを2位まで引き上げた功績を残しながらオーナーから解任を告げられたあの日のことです。

結果的には、ロッテでの実績が米球界で評価されて、ニューヨーク・メッツの監督に就任し、2000年にはメッツをナ・リーグ優勝に導き、ヤンキースとのワールドシリーズでは4勝1敗で破れたものの地下鉄シリーズでのミラクルメッツの再来かと全米を沸かしたものでした。そして、2003年のシ−ズンオフに、選手、ファンの期待に応えるかのように、2004年からのボビー・バレンタインの千葉ロッテ・マーリンズ監督復帰が発表されました。この年は4位に留まったものの、千葉ロッテ・マーリンズには1995年の時のような活気が見られるようになり、そしてそれは今年歓喜に変わっていきました。

阪神は4連敗するような弱いチームでは有りませんが、ロッテより弱かったことは事実です。阪神の敗因を「16日間試合が無く間があき過ぎた」「審判の判定が阪神に不利だった」「霧による試合打ち切りがロッテに幸いした」「バレンタイン監督のの先発予告提案に同意したから」などと囃し立てる輩がおりましたが、いずれも言い訳でしかなく説得力がありません。「16日間試合が無く間があき過ぎた」と言いますが、昨年の中日も同じような立場にありながら西武をあと一歩のところまで追い込んでおります。裏返しに言えば、阪神の選手たちがこの間、タニマチに招待されて浮かれ、練習は室内練習場を中心に行なう程度で、練習に真剣味も臨場感もこめられていなかったと言うことです。

要は、一に監督の差、二に情報収拾力の差、三に選手の気の緩み これが阪神の敗因の全てです。 ペナントレース中に、二人で毎試合2打点に相当する272打点をたたき出した金本・今岡の4、5番コンビがこのシリ−ズでは今岡の僅か1打点、金本に至っては僅か1安打で、ロッテ投手陣に完全に封じ込められました。これは、ロッテ投手陣が優れていたということもありますが、情報収拾力の差だと思います。データの収集、分析時間は、阪神の方にたっぷり有ったのに岡田監督や有力選手がロッテのプレーオフを観戦したのは第2ステージに入ってからで、優勝が早く決まった有利な面を活用すておりませんでした。

ロッテには統計アナリストのポール・プポ氏が常に帯同しており、プレーオフ期間中から阪神の公式戦146試合を計100時間以上かけてテレビモニターで分析して阪神を丸裸にしました。その分析データにより金本・今岡は封じ込められ、井川、安藤、藤川等のボールになる変化球を見極める選球眼を養わせて投手を苛立たせ、走者を置いてクリーンアップを迎えると極端に二遊間を狭めて併殺網にかけるなど、徹底的にこのデータを活用しているのに、充分に時間が有った阪神はどこまで情報収拾したのでしょうか。

シリーズは4敗したら終わりの短期決戦なのに、岡田監督は普段着の野球、バレンタイン監督は外出着の野球をしたように思います。2連敗した時点で非常事態宣言をして、一度も登板させてなかったJFKをフルに使うべきなのに3戦目で、JFKの一角の藤川を初めて起用したものの3点取られるとまだ4点差なのに、ウイリアムスではなく敗戦処理投手の桟原を起用したため福浦に満塁本塁打を打たれてしまいました。

その点、バレンタイン監督の選手起用は実に見事でした。第一戦で4打数4安打と大活躍の2番今江を第二戦では何と8番に下げ、第三戦で7番、第四戦で6番にし、第二戦で本塁打の李承ヨプを第三戦ではベンチスタートさせ、第四戦では前日活躍したベニーを外して李承ヨプ先発させ全打点を叩き出させて見事に成功させております。バレンタイン監督は先発予告を活用して相手投手のクセと自軍選手の特徴を読みきってオーダーを臨機応変に変えていたのでした。

阪神の選手にとって岡田監督は「兄貴」的な存在だったように思われますが、果たしてチーム内に家族的な雰囲気が有ったでしょうか。しかし、ロッテにはそれが有りました。今季はサブロー、小林宏、李、黒木、今江らに子供が誕生すると、そんな時バレンタインは必ずナインを集めて「われわれのファミリーがまた1人増えた」と叫んで喜びを分かち合い、多忙な時間の合間を縫って自らデパートに足を運んで生まれた子供の名前を刺しゅうされたアルバムを選手達に手渡したと言われております。「チームは家族」がバレンタインの基本方針でした。このように、はっきりと監督の資質、考え方に差が有ったことを公に言ってもいいのではないでしょうか。

バレンタイン監督の日本での成果は米国でも評価され、彼が監督を務めたメッツのホーウィッツ広報担当副社長は「素晴らしい男だし、素晴らしい勝利者だ」と、ジャーナル・ニューズ紙のエーブラハム記者は「カリスマ性があるし、どの大リーグの監督よりも日本の野球や文化を理解しておりこの結果に驚くことはない」と分析し、ニューズデー紙のレノン記者は「すごい野球頭脳の持ち主」とそれぞれ絶賛しております。そして、デビルレイズ、マリナーズ、ドジャースが来期の監督としてボビー・バレンタインを招聘する動きが出てきました。このように、日米で監督候補として引っ張りだこになりそうです。



昨日の31年ぶりの千葉ロッテ・マーリンズの優勝に続いて、MLBでは88年ぶりのシカゴ・ホワイトソックスの 優勝が決りました。これで、今年の日米の野球は全て終了しました。野球ファンとしてはもう少し、阪神、アストロズに頑張って頂いて野球観戦を楽しみたかったのが本音でした。今年の日米のチャンピオンシリーズには次のように共通点が有ったように思います。

1.いずれも4連勝で最終戦が大接戦
2.いずれも監督が外人
3.本塁打が決め手となった

ホワイトソックスの場合は4試合とも1、2点差の接戦でしたが、いずれも4連勝して最終戦が接戦だったことで共通しております。ホワイトソックスのオジー・ギーエン監督はMLBでは2番目の若さの41歳でバレンタイン監督より10歳以上若いですが、ベネズエラ生まれの外国人と言う点で共通しております。ただ、バレンタイン監督は、選手としてはオールスターに選ばれるほどの輝かしい実績を持っておりませんが、オジー・ギーエン監督は85年にホワイトソックスでメジャーデビューし、名遊撃手として同年ア・リーグ新人王になり、その後、オリオールズ、ブレーブスを経て、2000年にデビルレイズに移籍して同年引退、メジャー通算16年で1993試合に出場し、打率・264、28本塁打、619打点を記録し、オールスターにも出場3度出場したスタープレーヤーでした。

ロッテ、ホワイトソックスとも本塁打がいいところで出て試合をきめました。一回戦では、今江の先制ソロが李、里崎、ベニーの本塁打を呼び、特に里崎の3ランが決め手となりました。二回戦では、サブロー の2ランが効き、フランコ、李の本塁打を呼んで試合を決めました。三回戦では福浦の満塁本塁打で決りました。ホワイトソックスも、一回戦でのダイがクレメンスから打ったソロが効果的だったし、二回戦でのコナーコの逆転満塁本塁打はこのシリーズを決めたと言っても過言ではないと思います。これが有ったからこそ、ポドセドニクのサヨナラ本塁打が出たわけで、その余韻が三回戦でのブラムの延長14回での決勝本塁打を呼び込んだと思います。 しかも、ポドセドニクはペナントレースでは1本の本塁打を打っていないし、ブラムも井口の代役でした。

井口はシリ−ズではさしたる活躍はで来ませんでしたが、守備、走塁の面では見るべきものが有り、また唯一の打点となった三回戦での大逆転の足がかりを作ったセンター前ヒットは値千金でした。


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