−日記帳(N0.1414)2005年10月28日−
自分自身の誕生日に寄せて
−日記帳(N0.1415)2005年10月29日−
造反議員の処分に思う


メルトモから送られてきたバースデーカード

今日は、私の誕生日です。私には誕生日が何故おめでたいのかがさっぱり判りません。 人は必ず死にますから、その年に誕生日を迎えることはその死ぬ日 Xデーに前の年の誕生日から1年近づいたことになり、おめでたいどころか悲しみ嘆いても不思議ではありません。ただ、昔のように乳幼児の死亡率が高かった頃、赤ちゃん歩き始める満1歳を祝ったのはそれなりに意味が有るように思います。

現に、日本では江戸時代までは、満1歳の初誕生日だけを祝っており明治以降、西洋文明とともにキリスト教の概念が入るにつれて毎年の誕生日を祝うようになりました。満1歳の初誕生日には餅をつき、氏神にお参りをして、盛大な祝宴を開くというのが一般的慣わしだったようです。また、誕生日以前に歩きだした子供には、一升餅を背おわせてわざと転ばせて家を早く出てしまわないように、反対に歩き出さなかった子供には、鏡餅を背おわせて健康を祈るという習慣が有りました。

戦前までは歳の数え方は現在のような満年齢ではなく数え年でした。数え年は、生まれた時を1歳として、お正月が来るごとに1歳づつ増えていくという年齢の表し方です。従って、極端な話、大晦日に生まれた子は翌日のお正月には2歳になるのにお正月に生まれた子は1歳のままになります。これは、お正月に歳神様をお迎えし、歳神様の御霊を頂くことによって1つ年をとると言う考え方 からです。「数え年」は神様への感謝の気持ちを込めた年齢の数え方で、自分を祝うというよりも神様に感謝する意味が有るようです。つまり、お正月が全ての日本人の誕生日のようなものでした。

政府は、1902年12月22日施行の「年齢計算ニ関スル法律」により、満年齢を使用することを定めたのですが、国民はこれに従わず、数え年が使われ続けたことから、1950年1月1日施行の「年齢のとなえ方に関する法律」により、満年齢によって年齢を「言い表わすのを常とするように心がけなければならない」と義務受けるたことで漸く年齢を満年齢で表すようになり、更にキリスト教の概念が入るにつれて誕生日を個人的に祝うようになって今日に至っているようです。

最近は、インターネットの発達でプロバイダーやメルトモからバースデーカードが届くようになり、「今日が誕生日だったのか」と気付くこともしばしばです。裏返せば、それだけ自分の誕生日が周囲の人たちから疎んじられてきている証拠でもあります。そんな時、これまでの自分のことを殆んど知らない人たちだけにお祝いの言葉が新鮮に感じられ、素直に「ありがとう」と言う気持ちになれます。誕生日は死出への一里塚などとネガティブに考えずにここまで生かされたことを感謝したいと思います。



郵政民営化に反対することで党則違反を犯した自民党・衆参議員
の処分が森山眞弓 党紀委員長から発表されました。
自民党の党則違反に対する処分は次の8段階に分かれており、八
の除名が最も厳しく、一の党則の遵守の勧告が最も軽い内容にな
っております。七の離党の勧告は復党の可能性の含みが残されて
いる分、除名より軽いものと考えられております。

一  党則の遵守の勧告 
二  戒告 
三  党の役職停止 
四  国会及び政府の役職の辞任勧告 
五  選挙における非公認 
六  党員資格の停止 
七  離党の勧告 
八  除名 

処分の焦点は、郵政民営化に反対票を投じた37名と棄権した14
名の計51名の衆院議員と反対票を投じた23名の参院議員の計74
名に焦点が絞られました。処分結果は次のとおりでした。

1.除  名:    10名
     衆院議員= 8名
     参院議員= 2名

2.離党勧告:    27名
     衆院議員=26名
     参院議員= 1名

3.戒  告:      13名
     衆院議員=12名
     参院議員= 1名

4.役職停止:   17名
     参院議員=17名

5.不  問:    7名

新党に参画した前議員は当落を問わず全員除名、更に無所属でも
首班指名で綿貫議員に投票した野呂田議員も除名したのは当然の
ことと思われます。

平沢議員が再度、郵政民営化に反対票を投じたのにもかかわらず
賛成票を投じた野田議員たちと同じ離党勧告で済んだのは、指名
で小泉総理に投票したことが評価されたものと思われます。
参院議員ではただ一人、亀井郁夫議員だけ離党勧告処分となった
のは、亀井静香議員を応援したからと思われます。しかし、亀井
郁夫議員は、静香氏の選挙区には自民公認候補はいなかったとし
て処分を不服として再審査請求をしております。 
 
棄権・欠席した議員たちが、戒告という軽い処分で済んだのは、
公認候補だったからで応分の処置と思われます。ただ、参院議員
の中でも反対を公表することで反対派議員の意思統一を図った、
筆頭格の中曽根議員の違反行為は重大で、離党勧告かと思ってお
りましたが全員、同じ役職停止という軽い処分で済んだのは意外
な気がしました。

引退議員や、自民党公認候補を妨害しなかった落選議員を不問
としたのは当然のことと思います。除名と思われた野田議員等
が離党勧告処分で済んだのは、次回の選挙で自民党が大敗した
時に、これら大物議員の復党を視野に入れての配慮が有ったも
のと思われます。各処分の詳細は次のとおりです。 

1・反対票を投じて除名 = 10名
綿貫民輔     反 対   当選 衆院 国民新党 除名
亀井静香    反 対   当選 衆院 国民新党 除名
亀井久興    反 対   比例  衆院 国民新党 除名 
滝    実    反 対  比例  衆院 新党日本 除名 
青山  丘   反 対   落選  衆院 新党日本 除名
小林興起    反 対   落選 衆院 新党日本 除名
野呂田芳成   反 対   当選 衆院 無所属  除名
津島恭一     反 対   落選 衆院 国民新党 除名
荒井広幸   反 対    -   参院 新党日本 除名
長谷川憲正  反 対    -   参院 新党日本  除名

2.反対票を投じて離党勧告= 27名
今村雅弘     反 対  当選 衆院 無所属   勧告   
江藤拓       反 対   当選 衆院 無所属   勧告  
武田良太   反 対  当選 衆院 無所属   勧告   
野田聖子   反 対  当選 衆院 無所属   勧告    
平沼赳夫   反 対  当選 衆院 無所属   勧告
古川禎久   反 対  当選 衆院 無所属   勧告
古屋圭司   反 対  当選 衆院 無所属   勧告
保坂武    反 対  当選 衆院 無所属   勧告
保利耕輔   反 対  当選 衆院 無所属   勧告
堀内光雄   反 対  当選 衆院 無所属   勧告
森山裕       反 対  当選 衆院 無所属   勧告
山口俊一     反 対  当選 衆院 無所属   勧告
亀井郁夫   反 対    -   参院 無所属   勧告 
藤井孝男     反 対  落選  衆院 無所属   勧告
八代英太     反 対  落選  衆院 無所属   勧告
城内実     反 対  落選  衆院 無所属   勧告
松宮勲       反 対  落選  衆院 無所属   勧告
松下忠洋     反 対  落選  衆院 無所属   勧告
森岡正宏     反 対  落選  衆院 無所属   勧告
山下貴史     反 対  落選  衆院 無所属   勧告
川上義博     反 対   落選  衆院 無所属   勧告
左藤章       反 対   落選  衆院 無所属   勧告
小泉龍司     反 対   落選  衆院 無所属   勧告
小西理       反 対   落選  衆院 無所属   勧告
自見庄三郎   反 対   落選  衆院 無所属   勧告
田中英夫     反 対   落選  衆院 無所属   勧告
衛藤晟一     反 対   落選  衆院 無所属   勧告

  
3.棄権・欠席して戒告 = 13名
高村正彦     棄・欠  当選 衆院 自民党   戒告
斉藤斗志二   棄・欠  当選 衆院 自民党   戒告  
梶山弘志     棄・欠  当選 衆院 自民党   戒告
小渕優子     棄・欠  当選 衆院 自民党   戒告
古賀誠    棄・欠  当選 衆院 自民党   戒告
佐藤信二   棄・欠  当選 衆院 自民党   戒告
北村直人   棄・欠  当選 衆院 自民党   戒告 
近藤基彦   棄・欠  当選 衆院 自民党   戒告
望月義夫   棄・欠  当選 衆院 自民党   戒告
福井照    棄・欠  当選 衆院 自民党   戒告
野田毅     棄・欠  比例  衆院 自民党   戒告
柳本卓治   棄・欠  比例 衆院 自民党   戒告
大仁田厚反  棄・欠    -   参院 自民党   戒告


4.反対票を投じて役職停止 =17名
 中曽根参院議員等  17名

 
5.反対票を投じて党員資格停止=2名
 田中直紀参院議員等 2名  




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