−日記帳(N0.1424)2005年11月07日−
本田美奈子さんの急逝を惜しむ
−日記帳(N0.1425)2005年11月08日−
大学同窓会で伊東温泉へ


天使のような声でアメージング・グレースを歌う美奈子さん

この曲を始めて耳にしたのは、娘の結婚披露宴で流れてきたBGMでした。その時は美しいメロディーだなと思っただけで、直ぐに忘れてしまいました。そして2003年10月より放送のフジテレビ開局45周年記念ドラマ「白い巨塔」で若きニュージーランドの歌姫 Hayley Westenaによるエンディングメロディーが彼女の美しい声に乗って流れてきた時、思わず聞きほれてしまいました。その時、この曲が「アメージング・グレース」と言う古い英国の賛美歌であり、米国に渡って黒人霊歌にもなっていることを知りました。

従って、原曲は古い英国の民謡のため作曲者は不明ですが、Hayley Westena が歌った下の作詞は、若い頃、奴隷商人としてアフリカ大陸から黒人を捕まえて英国、米国にに売り飛ばし財をなし、晩年そのことを悔いて神に救いを求めて牧師に転向したジョン・ニュートン(John Newton, 1725-1807)によって18世紀後半に作られたものです。

     Amazing grace, how sweet the sound,
      That saved a wreck like me.
     I once was lost but now I'm found,
        Was blind but now I see.


そして、たまたまテレビで本田美奈子さんが、この「アメージング・グレース」を歌っているのを聞いて、その透き通ったような綺麗な声に聞き惚れてしまい、早速CDを購入し、夜釣りでの帰りの車の中で、夏川りみさんの「涙そうそう」とともに聞いておりました。彼女たちの歌を聴いていると心身ともに癒される思いでした。以来、本田美奈子さんのファンになりました。

ところが、今年1月に彼女は急性骨髄性白血病で入院し、出演予定だった「レ・ミゼラブル」のファンティーヌ役を降板して以来、公の場で彼女を見ることが出来なくなり心配しておりました。しかし、今年8月19日の「誰ピカ」で、本田美奈子さんがたけしに病床から近々退院できそうだと電話してきたことから、彼女の歌声を聞けるのは近いと確信し、その日を楽しみにしておりました。

そして、昨日の朝、本田美奈子さんが6日午前4時38分、急性骨髄性白血病のため東京都内の病院で亡くなられたことをテレビのニュースで知り、愕然としました。下記のメッセージは、彼女の公式サイトの冒頭に表示されている事務所からの挨拶です。所属事務所の高杉氏を中心に、故人の遺志を継いで白血病患者の支援プロジェクト「LIVE FOR LIFE」主催によるチャリティーコンサートが来春行なわれるとのことですので、そこで再び彼女の歌声を聞きたいと思っております。

      ファンの皆様、報道者各位の方々へ

                       平成17年11月6日

 本田美奈子.(本名:工藤美奈子)が急性骨髄性白血病と宣告され、
 10ヵ月の闘病生活を送っていましたが、11月6日午前4時38分に
    永眠いたしましたことをご報告申し上げます。
 平成17年1月12日に入院、3度の化学療法の治療と5月12日の
造血幹細胞移植(臍帯血移植)で7月30日に一時退院、7月31日
に自宅で誕生日を迎え、とても幸せな日々でした<が8月24日
の定期検診骨髄検査を行い、8月31日の検査結果にて 染色体
に異常が発見され、9月7日に再び入院、検査結果で再発が判明、
9月24日アメリカから到着した新薬の抗がん剤を投与し、結果が
良好とのことで10月に2度の帰宅が出来、食欲も旺盛で本人は
          大変喜んでおりました。
 10月21日の骨髄検査で再び染色体の異常が発見され治療を開始、
   大変な時を過ごし、明日は治るという希望のもと勇気ある戦いをし
 ていましたが残念なことに本日、急性骨髄性白血病のため永眠
 いたしました。

 本田美奈子.の生前、本当にいろいろなご支援ご協力をいただき
         ましたことを深く感謝いたします。


東海道線・富士駅付近で車窓から撮影した富士山

大学の同窓会を日本のほぼ中央に位置する中部地方で一泊二日で行なおうと提案し、自ら幹事を買ってでてその第一回を松本の温泉で開催したのが6年前のことでした。それまでは、中部地方で不定期の日帰りの同窓会でしたが、関東や関西・中国地方から参加者は帰りの新幹線を気にしながらの2次会だったことから、宿泊を望む意見もあり、私がそれを集約した形になりました。特に会員の殆んどが囲碁の有段者でしたので宿泊することで囲碁を楽しめることが決定的な理由となって以後、宿泊同窓会は年間の恒例行事となりました。

以来幹事をアイウエオ順に申し送って、伊豆、氷見、浜名湖、諏訪湖と開催し、今年は再び伊豆の温泉で開催されることになりました。今年は会員の58%の出席率に相当する過去最高の21名が参加しました。開催地の伊東温泉には、実家から東海道線でも2時間半ぐらいで行けますので、新幹線を利用せずに、実家を9時過ぎに出発して熱海経由伊東に12時半頃着きました。久しぶりに清水、蒲原、富士と鈍行に揺られて行くほどに、左側の車窓に富士山が見えてきました。新幹線やバスだったら、乗客が歓声をあげる場面ですが、普段より朝な夕なに見飽きている鈍行の乗客たちはその壮大な景色を見ようともせずに、携帯に、新聞に、仮眠に時間を費やしておりました。

伊東駅からお迎えバスに乗り込んで宿泊先まで30分ほどで着きましたが、その道中のバスの車窓から景色は素晴らしいものでした。JR伊東駅から国道135号線を登っていくとやがて左手にコバルトブルーの相模湾が見えてきました。湾内の手石島、屋根などの島影が見えなくなると川奈湾が見えてきました。あの有名な川奈ゴルフ場の芝コースが時折車窓から見えるほどに、伊豆急富戸駅近くの小高い岡の上のペガサスハウスの正面玄関に着きました。ここは丘陵の起伏を立体的に生かして緑の木立の中に南欧風の白亜のコテージが散在しておりました。

我々は割り当てられた二人部屋の和室に持ち物を置いてから会議室で囲碁を楽しむことにしました。会員の殆んどが有段者の上、今回は大学時代に囲碁部で鳴らした9段の腕前を持つI君が久しぶりに参加したため活況を呈しました。これまで向かうところ敵なしだった淡路9段門下生で7段のT君が何十年ぶりかでI君と対戦するとあって全員、横で観戦することになりました。4年に渡る闘病生活を経た病み上がりのI君でしたが流石に読みは鋭く、熱戦を繰り広げましたが結局I君の中押し勝ちとなりました。私も、一応初段ですので敬意を表して9目置いて対戦しましたが勝てませんでした。

夕食は、食堂で椅子席で摂りましたが、相模湾で採れた新鮮な魚介類が皿盛りなどが出され美味しく頂きました。そして再び会議室に戻って自己紹介をして当日の予定を全て終了して就眠しましたが、囲碁好きの会員たちの何人かは自分の部屋に碁盤を持ち込み、囲碁の第二ラウンドを夜の更けるのも忘れて楽しみました。私もその一人でした。


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