−日記帳(N0.1426)2005年11月09日−
駿河路の旅を終えて
−日記帳(N0.1427)2005年11月10日−
化学に興味を持つ女子高生に思う


火山の大室山の山麓に広がる彼岸花

7時頃起床しました。昨日と同様に秋晴れでしたが、風が弱くなった分、とても気持ちいい朝でした。 早速、庭に出て朝日を浴びながら庭石を渡って離れにある浴場に出掛けました。浴場のドアは常に閉まっており、ドアに取り付けられたタッチパネルのボタンをある暗証番号どおり押すことで開くしくみになっておりました。その暗証番号を忘れてしまいましたので、浴場から出てくる人が開けるタイミングで入ることが出来ました。ここは専用の源泉から加熱することなくそのまま引いている掛け流しの本格的な温泉ですので気分よく浸かることが出来ました。

バイキング方式の朝食をとって9時頃チェックアウトしてから、送松川湖周辺散策グループ、近くのゴルフ場でゴルフをするグループ、天城山系に登山するU君と別れ解散することになりました。私は松川湖周辺散策のグループに加わって、送迎バスの運転手さんの案内で、春には3,000本の桜が花のトンネルを形作ると言われる有名な伊豆高原桜並木を通り過ぎて、松川湖にバスは到着しました。この湖は伊東の松川河口から6km上流に平成元年11月に竣工されたロックフィルダム湖でその周囲に一周4.8kmの歩行者専用の周遊道路が作られておりますので、その3/4ぐらいを待機中のバスのところまで歩きました。そこで飲んだ冷えたビールの味は歩いて汗ばみ喉が渇いていただけに格別に美味しく、その後で食べたお握りも美味しく、久しぶりの秋晴れの元伝お散策を楽しみました。

午後、バスで伊東駅まで送って頂いてから熱海まで出てここから新幹線で豊橋まで行き、そこから往路と同じコースで帰宅し、無事に駿河路の旅を終えました。両親、旧友、大学同級生たちとの1年ぶりの再会を楽しんできましたが母校の藤枝東が準決勝で負け高校サッカー静岡3連覇を果たせなかったのが残念でした。90歳以上の両親は相変わらず元気で、嫁と適度に対抗し、魚を中心に適度に食事を摂り、古い家のため居間から台所・トイレ・風呂場に行くのに履物に履き替えて段差を上がり下がりして適度に運動しているのが長寿の秘訣のようでした。来年もまたこうして旧友たちの元気な顔、両親の元気な顔が見れることを願って家路につきました。


大学の同窓会に参加して一昨日から昨日にかけて滞在した静岡県の伊東市の西隣に、伊豆の国市 と言う変わった名前の市があります。静岡県生まれの私でさえ知らなかったこの市が先日起こったある猟奇的な事件によって全国に知られるようになりました。この市に在住する県立高校に通う16才の女子高生が47才の母親に劇物のタリウム化合物を摂取させたとして、殺人未遂容疑で逮捕されるという事件が起こり、翌日のテレビで一斉に報道されたからです。

彼女と同じように、静岡県の高校に入学してから化学に興味を持つようになって高校の化学部に所属していた私にはショッキングな事件でした。私は、彼女のように毒物にはそれほど興味は持っておりませんでしたが爆薬に興味を持ち過ぎて校内で大変な事件を引き起こしたことが脳裏を過ぎったからです。以下、恥じを偲んでこの事件のことに触れてみたいと思います。

私は、彼女と同様に高校の教科書では飽き足らず、大学の教養課程で使う有機化学の専門書を購入して爆薬の製造方法を読み漁りました。まず、花火に使う火薬を硝酸カリウムを使って作り鉛筆用のアルミキャップに詰めて端を隙間を保持させながら閉じてその部分をマッチで加熱して中の火薬を爆燃させてキャップをロケットのように勢いよく飛ばす遊びをしたものでした。

次に猟銃の発射薬に使われる無煙火薬のニトロセルローズを、濃硫酸と濃硝酸からなる混酸に家から持ち出した布団綿の切れ端を浸漬して作りましたが、硝化度が低くて火薬にはならずセルロイドのレベルでとどまり失敗しました。そのうち、ダイナマイトの原料となるニトログリセリンを作りたい衝動にかられ、今度は浣腸に使われるグリセリンを家から持ち出して混酸と反応させることを試みましたが、反応による発熱を抑えきれず危険を感じましたので断念しました。

そして、校内の化学実験室で黒色火薬を作るべく塩素酸カリウムを使って乳鉢で調合しようとしたところ、閃光を伴って爆発が起こって顔と手に火傷を負い、閃光で一時的に視力が失われたため暗闇の中で呆然と立ちつくしていたところ、先輩の化学部の部長さんが爆発音を聞いて駆けつけて、火を消し止めて呆然と立ちつくしていた私を近くの医院に連れていってくれました。その際、部長さんが機転を利かして火傷部位に硝酸銀溶液を塗ってくれたお陰で相当酷い火傷を負いながらも跡を残さずに済みました。

医師の話では、硝酸銀が皮膚の表面で分解して超微粒の銀の粒子の皮膜を形成して化膿を防いだため本来は三度の火傷で跡が残るところを二度になったとのことでした。先輩の応急処置によって大火傷を負いながら1ケ月で火傷は殆んど跡を残さないまま綺麗に治りました。この事件で、塩素酸化合物を乳鉢で摺るという初歩的なミスを犯した無知を恥じ、周囲に迷惑を掛けたことを謝罪し、化学部を脱部し二度と危険な化学実験をすることはありませんでした。そして、東大理学部化学科に進学したその先輩を尊敬し、化学の道を歩むことを決意したのでした。

彼女の場合は私のように、作ることに興味を持ったのではなく、既存の化学物質の人間や動物に対する作用に興味を持ったことと思われます。彼女は英国の毒殺魔のグレアム・フレデリック・ヤングに心酔していたようですが、彼がタリウム化合物を毒薬として使用したことは無かったようですから、どうしてタリウム化合物を毒薬として使おうとしたのかが判りません。タリウム化合物は以前、鼠の駆除剤に使われましたが現在では、分析試薬、赤外線分析器の窓材に使われることが多く毒薬としての知名度は低くなっております。

タリウム化合物は毒薬としては青酸化合物のような即効性はなく、砒素化合物のような遅効性を有し、摂取すると体内に蓄積されて徐々に体を衰弱させやがては死に至らしめることが知られております。江戸時代に「石見銀山鼠とり」で鼠の駆除剤に使われ、古いフランス映画「ボリジア家の毒薬」で使われ、更に最近では和歌山の毒入りカレー事件で使われた毒薬は砒素化合物で、毒薬としての知名度が上がりすぎたため薬局から入手するのが難しいとの判断でタリウム化合物を選んだのではないかと思われます。

化学は「化ける学問」です。物を化けさせることで人の役に立てるのが狙いです。ノーベル・化学賞受賞された野衣名大名誉教授は、「幼少の頃、空気と水と石炭からナイロン(ポリアミド繊維)が出来ることに興味持ち、化学の道を選んだ」と述懐されておりました。人に害を与える毒薬で人体実験をするなどはまさに本末転倒の化学への興味でしかありません。子供たちに、マヨネーズを使って真珠を作る実験や濾紙を使ってビスコースレーヨン繊維を作る実験を見せたら彼等は眼を輝かせて興味を抱いてくれることでしょう。そして彼等の中から将来、ノーベル・化学賞受賞者が出てくるかも知れません。


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