−日記帳(N0.1436)2005年11月19日−
W杯予選秘話あれこれ(1)
−日記帳(N0.1437)2005年11月20日−
W杯予選秘話あれこれ(2)


(1)32年ぶりの豪州のW杯出場を決めたPK戦の勝利
出場枠が0.5のため、豪州はオセアニア地区で毎回のように優勝するのですが、強国が目白押しの欧州や南米地区とのプレーオフで破れることが多く、1986年メキシコ大会で欧州のスコットランドに敗れて以降、実に4度もプレーオフの壁に泣かされ続けてきました。

しかし、今回は32年ぶりの本大会出場に向け、日韓W杯で韓国を4位に導いたオランダのPSVで指揮を執るヒディンク氏を新監督に招聘して悲願達成に並々ならぬ姿勢を見せ、今大会では2002年のプレーオフで夢を阻まれたウルグアイとの再戦で雪辱を期してプレーオフに臨みました。

対するウルグアイは、第1回大会の覇者として知られる南米の強豪で、イタリアのインテルでプレーするFWアルバロ・レコバら才能豊かな選手をそろえており、南米予選最終戦ではレコバの決勝点でアルゼンチンを破っており、リベンジに燃える豪州をを再び破って11度目のW杯出場を果たすべく意気盛んでした。

プレーオフ第1戦は1−0でウルグアイが勝ち、運命の第2戦が豪州のホームゲームとして、2000年シドニー五輪の舞台となった、8万人超の大観衆が詰め掛けた「スタジアム・オーストラリア」で行なわれ、1−0で豪州が勝って、2戦の合計で1−1となったため、PK戦で決着がつけられることになりました。そして、このPK戦を4−2で制し、史上初のPK戦勝利によるW杯出場を決め、74年西ドイツ大会以来、32年ぶり2度目となる悲願のW杯切符を勝ち取りました。

(2)幻のゴールでバーレーンのW杯初出場は幻に
ベネズエラの沖合に浮かぶトリニダッド島にあるトリニダード・トバコの首都、ポートオブスペインは、この日11月16日、歓喜の声が街角に響き渡りました。人口130万の小国ながらサッカーが盛んなこの国はこれまで北中米・カリブ海地区の2強の米国、メキシコに健闘してきましたが、W杯出場まで至らずW杯出場は国民の長年の悲願でした。

今回の北中米・カリブ地区予選で5位を確保してアジア地区のバーレーンとともに初出場を賭けてプレーオフの権利を得て11月12日、首都、ポートオブスペインで行なわれたホームでの第1戦で1点リードされながら同点に持ち込み引き分け、この日11月16日バーレーンの首都マナマで行なわれていたアウエーでの第2戦を、トリニダード・トバコの人たちが固唾を呑んでテレビを見守っていたのでした。

後半5分、ローレンスがゴールを決め1点先制した時、敵地マナマのスタジアムは悲鳴に包まれましたが、試合終了直前にはハサンが相手GKからボールを奪ってゴールを決めた時、今度は大歓声が沸き起こりましたが、次の瞬間それは再び悲鳴に変わりスタジアムはブーイングの嵐と化しました。キックの動作に入ったGKへの危険なプレーとみなされてゴールは認められず幻となってしまったからです。こうして、殆んどその瞬間、トリニダード・トバコの悲願の初出場が決り国を挙げて大騒ぎとなったのです。


(3)PK失敗でカメルーンの5大会連続W杯出場を逸す:
10月9日、カメルーンの人たちは固唾を呑んでテレビ画面見守っていました。カメルーンの首都ヤウンデのオムニスタジアムで行なわれていたW杯アフリカ予選・最終戦のカメルーン対エジプト戦がテレビ中継されていたからです。この試合が始まる前までは、W杯アフリカ予選3組のカメルーンは勝点、1点差でコートジボアールを押さえて首位に立っておりましたので、このエジプト戦に勝てば文句なく首位で通過しアフリカ勢最多6度目の5大会連続のW杯出場が決ることからカメルーンは国を挙げて応援していたわけです。

試合は、前半21分にFWドゥアラが先制した時は、スタジアムは大歓声に包まれましたが、同点に追いつかれたものの、終盤は一方的に攻めまくりましたが、相手GKのファインセーブにも阻まれ1:1の同点のままロスタイムを迎えました。一方、2位のコートジボアールはスーダンを3:1で下したとの速報が入りましたので、このまま引き分けると、勝点、1点差でコートジボアールが逆転で首位に立ち、カメルーンの6度目の出場は果かなく消え去ることを知った大観衆は残り5分のロスタイムに一縷の望みをかけていました。

5分のロスタイムのうち4分が過ぎた、その時、カメルーンMFオレンベは、「やったあー」と倒れたまま両手を突き上げて叫びました。最後の力を振り絞って突破したペナルティーエリア内で、相手DFに足をかけられたてPK! コムラン主審の笛に、首都ヤウンデのオムニスタジアムが揺れました。ユニホームを頭にかぶって走り回るオレンベに、チームメートが次々と飛びついていきました。

キッカーはインテルのDFウォメ。15歳で代表デビューして10年、2度のW杯を経験し、シドニー五輪決勝のPK戦では、最後のキッカーとして金メダル獲得を決めており、誰もが外すことはないと信じていました。11m先の幅7.32m、高さ2.44mのゴールにボールを蹴りこんだ瞬間にタイムアップしてカメルーンが勝利して6度目の出場が決るはずでした。ウォメはためらわずに左足を振りました。GKも反応できないスピードでボールはゴール右へ。しかし、次の瞬間、鈍い音が。ボールは幅12cmのポストに当たってはね返って空しく転がっていきました。ノーゴール。静まり返るスタンドと逆に、ライバルのコートジボワールの大都市アビジャンは歓喜に包まれました。まさに、日本のド−ハの悲劇の再来とも言うべき、ヤウンデの悲劇でした。 スタンドからはブーイングが嵐のようにこだます中、数十秒ほどプレーが行なわれ、試合終了の笛が鳴ると、選手たちは次々とピッチに崩れ落ち、中にはエジプト選手に抱きかかえられる選手もおりました。しかし、収まらないのは一度は歓喜したスタンドのファンで、スタジアム周辺にあった車の窓ガラスを投石で割るなど暴走し、ロッカールームの外で響く罵声に、選手たちは2時間以上も缶詰め状態になりました。ファンの標的はPKを外したウォメで、命の危険さらされている彼の所在は暫くの間は明かされないようです


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