−日記帳(N0.1440)2005年11月23日− |
日本女帝物語(1) (女性・女系天皇容認の動き) |
−日記帳(N0.1441)2005年11月24日− |
日本女帝物語(2) (過去の女性天皇一覧) |
順位 | 殿下名 | 御名 | 御歳 | 御 父 上 | 御 母 上 |
2 | 内親王 | 愛子 | 3 | 皇太子親王殿下 | 皇太子妃殿下 |
4 | 内親王 | 真子 | 14 | 秋篠宮親王殿下 | 秋篠宮妃殿下 |
5 | 内親王 | 佳子 | 10 | 秋篠宮親王殿下 | 秋篠宮妃殿下 |
9 | 内親王 | 彬子 | 23 | 三笠宮寛仁親王殿下 | 三笠宮妃信子殿下 |
10 | 内親王 | 瑶子 | 22 | 三笠宮寛仁親王殿下 | 三笠宮妃信子殿下 |
12 | 女王 | 承子 | 19 | 高円宮憲仁親王殿下 | 高円宮妃久子殿下 |
13 | 女王 | 典子 | 17 | 高円宮憲仁親王殿下 | 高円宮妃久子殿下 |
14 | 女王 | 絢子 | 15 | 高円宮憲仁親王殿下 | 高円宮妃久子殿下 |
御代 | 時代 | 天皇御号 | 即位前の御名 | 御 父 上 | 御 母 上 |
33 | 飛鳥 | 推古天皇 | 額田部皇女 | 欽明天皇 | 蘇我堅塩媛 |
35 | 飛鳥 | 皇極天皇 | 宝皇女 | 茅渟王 | 吉備姫王 |
37 | 飛鳥 | 斉明天皇 | (重祚) | 茅渟王 | 吉備姫王 |
41 | 飛鳥 | 持統天皇 | ウ野讚良皇 | 天智天皇 | 蘇我遠智娘 |
43 | 飛鳥 | 元明天皇 | 阿閇皇女 | 天智天皇 | 蘇我姪娘 |
44 | 奈良 | 元正天皇 | 氷高皇女 | 草壁皇子 | 元明天皇 |
46 | 奈良 | 孝謙天皇 | 阿倍内親王 | 聖武天皇 | 光明皇后 |
48 | 奈良 | 称徳天皇 | (重祚) | 聖武天皇 | 光明皇后 |
109 | 江戸 | 明正天皇 | 興子内親王 | 後水尾天皇 | 源和子 |
117 | 江戸 | 後桜町天皇 | 智子内親王 | 桜町天皇 | 藤原舎子 |
政府の「皇室典範に関する有識者会議」(座長・吉川弘之元東大総長)は一昨日21日の会合で、女性・女系天皇を容認した場合の皇位継承順位について、男女を問わず長子(第一子)優先とすることで一致し、明日24日に最終報告書を小泉純一郎首相に提出することになり、政府はこれを受けて皇室典範改正案を来年の通常国会に提出するようです。これによって、これまでの皇室の歴史を塗り替える女性・女系天皇容認の動きがでてまいりました。 このような動きがでてきた背景には、上表に示しましたように男子出生の場合は皇位継承権が与えられる皇太子家と宮家のお子様たちが、三笠宮彬子内親王殿下以来、皇太子愛子内親王殿下まで8人全員が女性であり、今後男子出生を期待することはいろいろな点から問題が有るとの判断が有るように思われます。このことは8人の兄弟姉妹の一家に例えるならば、8人全員が男子または女子に偏って出生し続けたことと同じで、その確率は 1/2の8乗の1/256となり極めて稀れなケースと考えられます。 上表の順位は、女性・女系天皇を容認した場合の皇位継承順位です。これによって、秋篠宮さまは愛子さまと入れ替わって2位から3位に、常陸宮は眞子さまと入れ替わって3位から6位に、三笠宮さまは佳子さまと入れ替わって4位から7位に、更にこれらの影響を受けて三笠宮寛仁さまは5位から8位に、桂宮さまは6位から11位にそれぞれ順位が下がります。<このように、女性・女系天皇の容認は皇位継承順位の大幅な変更と内親王だけでなく天皇から3世以上離れた女王も、元清子内親王殿下のように皇籍離脱せずに宮家創設・継承が認められた上、皇位継承権が与えられますので、皇位継承権者は現在の6人から14人に増えることになります。 しかし、女性・女系天皇の容認は、世界にその例を見ない、2,600年有余に及ぶ(但し飛鳥時代以前は不明な点が多い)万世一系の男系の皇統が崩壊することに繋がることに最も大きな問題が潜んでいることを見逃してはならないと思います。かって、日本にも女性天皇が存在した事例が有るから女性天皇を容認しても画期的なことではないとの意見が有りますがそれは間違いです。確かに女性天皇はかって10人存在(うち2人は重祚しておりますので実際は8人)しましたが、その女性天皇と天皇以外の男性との間に生まれた子が後に天皇になったことはなく、全ての天皇は男性天皇の子が継承しております。その意味でも、女性・女系天皇の容認は皇族のみならず日本にとっても重大な転機を意味しますので今後この日記に恐れ多いことながら「女帝物語」として掲載することで過去の女性天皇について勉強していきたいと思います。 |
上表は、過去の女性天皇の一覧表です。これで判りますように過去には10代に渡って女性天皇が即位しておられますが、このうち2人は重祚(ちょうそ)と言って、一度は退位したものの事情が有って再び即位しておりますので実際には8人の女性が天皇になったことになります。(重祚した事情には後日、触れる予定です) 何故、女性が天皇として即位したかについては、今後それぞれの女性天皇ごとに触れていく予定ですが、一言で言うならばその当時の特殊事情によるものでその女性が自らの強い意思と権力をもって即位したわけではないと言うことです。天皇家以外の勢力と和を図るため、あるいは幼少の実子や実孫を後年即位させるために一時的に即位して人目をそらして時間稼ぎすると言ったようにスムースに皇位継承し辛かったことが、その特殊事情の共通の事情となっております。 この表ですぐ思いつくのは、女性天皇が、奈良時代以前に偏っていることです。この時代はまだプロの戦闘集団とも言うべき武士たちが台頭していなかったため天皇家や外戚の豪族の護衛兵士で権威を保持できたためと考えられます。そして、その権威を維持させるためには、天皇家が万世一系の権威ある皇譜を天下に示す必要が有りその手段として女性天皇をピンチヒッターとして登場させたものの、武士が台頭し更には彼らが幕府を作るようになると、天皇家の実権が喪失するとともに女性天皇をピンチヒッターとして登場させる必要性も無くなったのがその背景に有るように私には思えます。 |
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