−日記帳(N0.1454)2005年12月07日−
W杯のシード8チーム決定
−日記帳(N0.1455)2005年12月08日−
今日の開戦記念日に思うこと

            
地 区 名 国   名 国旗 回数 備  考 ランク
欧    州 ド イ ツ 16 14大会連続 15
欧    州 フ ラ ン ス 12 3大会連続 5
欧    州 イ タ リ ア 16 12大会連続 12
欧    州 イングランド 12 3大会連続 9
欧    州 ス ペ イ ン 12 8大会連続 8
南   米 アルゼンチン 14 9大会連続 4
南   米 ブ ラ ジ ル 18 18大会連続 1
北中米カリブ海 メ キ シ コ 13 4大会ぶり 6

日本機の攻撃を受けて真珠湾内で炎上する米・戦艦アリゾナ
(同艦は現在も真珠湾に沈んだままになっている)


サッカーW杯には32ケ国の代表32チームが出場し、4チームがA、B、C・・・Hの8組に分かれて1次リーグ戦を戦い各グループの1位チームが本戦のトーナメント戦に出場します。その8グループに1チームづつ分散されるシード8チームの第1ポッドが昨日決定しました。W杯の過去2大会の成績と過去3年間のFIFAランキングをもとにW杯組織委員会が決めました。その8チームを上表に示します。ドイツはAグループ、ブラジルはFグループに入ることが決定しております。

残りの24チームがアットランダムに、第1ポッドに割り当てられるのではなく、同一地域のチームが重複して割り当たられることのないように、同一地域のチームを主体に三つのグループ、第2、3、4ポッドに分けられますが、そのポッドも同時に次のように発表されました。

第1ポット:ドイツ、ブラジル、アルゼンチン、フランス、イタリア
      イングランド、スペイン、メキシコ
      (以上 シード国)
第2ポット:エクアドル、パラグアイ、トーゴ、ガーナ、コートジボワール
      アンゴラ、チュニジア、オーストラリア
       (以上 2強を除いた南米2ケ国、アフリカ5ケ国、32年ぶり
        出場のオーストラリア)
第3ポット:オランダ、チェコ、ウクライナ、ポルトガル、スイス
      ポーランド、クロアチア、スウェーデン
      (第1ポットから漏れた欧州の残りのチーム)
第4ポット:セルビア・モンテネグロ、アメリカ、コスタリカ
      トリニダード・トバゴ、サウジアラビア、韓国、日本、イラン
      (アジア4カ国、メキシコを除く北中米カリブ3カ国、欧州から
       セルビア・モンテネグロ
同一ポッドの国同士が同じグループに振り当てられることは有りませんので、有り得ないので、日本はアジア3ケ国とセルビア・モンテネグロ、アメリカ、コスタリカ、トリニダード・トバゴと同じグループに入ることは有り得ません。そこで、私が考える日本の「最善」と「最悪」の組み合わせは、以下の通りです。

「最善」のケース:メキシコ、ウクライナ、トーゴ、日本
「最悪」のケース:アルゼンチン、オランダ、エクアドル、日本

組み合わせは日本時間で9日早朝に決ります。最善の組み合わせになることを祈ります。


私は、8月15日の「終戦記念日」と今日の「開戦記念日」がくるたびに疑問に思うことが有りますので、今日はその思いを吐露させて頂きたいと思います。まず、開戦、終戦となる戦争の名称に疑問が有ります。その名称には、「太平洋戦争:Pacific War」「大東亜戦争:Southeast Asia War」「第二次世界大戦:World War U」の三つが有りますが、どれが正しい呼称でしょうか。

まず、正しくない呼称は「太平洋戦争」と考えられます。その理由は、この呼称は米国側の呼称で、第二次世界大戦を対独戦の「欧州戦争」と対日戦の「太平洋戦争」に分けて呼称しておりますので、日本と米国に限定された戦争を指し、日本と中国との戦争が含まれていないからです。次に「大東亜戦争」は、第二次世界大戦で1937年(昭和12年)8月13日(第二次上海事変)から1945年(昭和20年)8月15日(ポツダム宣言受諾)まで、日本が中心となって大東亜共栄圏の形成を目的として行われた日本と連合国との戦争の、閣議決定された日本側の正式呼称ですから少なくとも、「太平洋戦争」よりは正解に近いと思うのですが、「大東亜」という言葉が今や死語のようになっておりますので抵抗が有ります。

私は、やはり対戦国を米国、英国、オランダ、フランス、ソ連、中国まで包含させ、かつ開戦日を1937年(昭和12年)8月13日の第二次上海事変にまで遡らせる必要が有ることから、「第二次世界大戦」が正しい呼称と考えております。その場合は、開戦記念日は今日ではなくて、第二次上海事変の起こった昭和12年8月13日より8月13日と言うことになりますが、第二次上海事変では、「事変」と言う言葉から判るようにに、日中両国は正式に宣戦布告をしておりません。但し、米国との太平洋戦争開戦後に、時の蒋介石政権が日本に宣戦布告を行っており、日本側も「大東亜戦争には支那事変も含む」とておりますので、一連の日中の戦いを「戦争」と呼称するのは間違いでは有りません。 従って、開戦日は日中戦争を包含させた上で、1941年(昭和16年)12月8日とするのが妥当であると考えます。

次の疑問点は、日本が意図的に宣戦布告せずに真珠湾攻撃を仕掛けたとの論調が日本のメディアを含めて国際的にまかり通っていることです。確かに結果として宣戦布告できなかったまま真珠湾攻撃しておりますが、意図的に宣戦布告しなかったわけではなく真珠湾攻撃の30分前に正式に宣戦布告するようにとの日本政府の指令を外務省の失態で実行できなかったのが事実です。しかし、外務省のミスは日本国のミスですから、それをいくら否定しても所詮、言い訳に過ぎませんので声を大にして騒ぎ立てるには及びませんが、せめて教科書で触れてもいいのではないでしょうか。

次に、この日を国民の記念日とする意図が私には判りません。「憲法記念日」のように、その意義を祝福するために国民の休日にするのなら判りますが、国際的には卑怯な開戦の日とされているこの日は日本にとって屈辱的な日ですから記念する意味はないはずです。8月15日の終戦の日は国民が忌まわしい戦争から解放された日ですから、この日を「終戦記念日」とするのは意味の有ることと思います。果たして、こんなことに疑問を持つのは私ぐらいのものでしょうか。


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