−日記帳(N0.1481)2006年01月03日−
正月三ケ日雑感(3)
−日記帳(N0.1482)2006年01月04日−
中日体育賞 浅田・山田師弟コンビへ


友人宅の庭に咲いているお正月の花の千両

今年の箱根駅伝は近来稀に見る激戦でかつ波乱万丈の逆転劇が有り、見ごたえがありました。第82回東京箱根間往復大学駅伝最終日は今日、3日、神奈川県箱根町から東京・大手町までの復路5区間、109・9kmに関東の19校とオープン参加の関東学連選抜の計20チームが参加して争われ、往路6位の亜細亜大が追い上げて逆転、11時間9分26秒で初の総合優勝を果たしまた。

往路を制した順天堂大は、復路に昨年の経験者3人を並べて2位駒大に30秒差をつけてスタートし、7区を終えて2位以下と2分53秒の差をつけてた時点で5年ぶりの優勝を予感させました。ところが、とんでもない事態が待ち受けていました。8区の15kmを過ぎたところで、昨年も同区を走った難波主将の足取りが怪しくなりだしたのです。昨日の雪混じりの天候と違い、今日は朝から快晴で気温が10度ちかくまで上がっていたために脱水症状を起したのでした。20kmを過ぎたところで、難波主将は意識朦朧となり左右にフラフラしはじめました。

たまりかねた仲村監督が伴走の運営管理車から飛び出して給水してやや持ち直したもののみる間に失速し、その横を駒大、亜細亜大、山梨学院大が駆け抜けていきました。中継点を目前にした時には殆んど歩くような状態になり、中継点にたどりついた時点では首位から1分39秒遅れの4位に転落しておりました。難波は襷を渡すと崩れ落ち一時は救急車騒ぎとなりましたが後に病院で診察を受けて幸い回復しました。

亜細亜大は往路優勝の順天堂大から2分51秒差の6位でスタートし6区では北条が区間14位で順位を一つ落としたものの、7区で綿引、8区で益田が力走して2位に浮上しました。駒大が8区で逆転で首位になったところで独走するものと思われたのですが、9区を走った駒大の平野が不調で、1分12秒遅れで襷を受け取った亜細亜大の山下が区間賞を獲得する快走で19km過ぎで駒大に追いついて21km手前でスパートをかけ粘る駒大を振り切って、逆に42秒差をつけてアンカーの10区の岡田に襷を渡しました。

ところが、その岡田は競歩の選手のように背筋を真っ直ぐたてて歩幅も少なめのフォームで走りだしましたので、直ぐ後を30秒前後で追ってくる駒大の糟谷に直ぐに抜かれるのではと思いましたし、解説の横沢さんも、このままでは抜かれるのは時間の問題として、岡田のフォームに苦言を呈しておりました。しかし、結果的にはこの岡田の堅実な走り方が功を奏して終わってみれば2位の山梨学院大に1分40秒の差をつける独走で大手町のゴールテープを切って初優勝しました。


大須の街中にある那古野二子山古墳跡

名古屋市に大須と言う街があります。東京の浅草、秋葉原のような感じの街で、大須観音、大須演芸場、アメ横などがありますが、その一角に名古屋スポーツセンターがあります。実はここに1947年12月に大須球場が建設され、その翌年から中日ドラゴンズの本拠地として公式戦が行われましたが、1949年に中日球場(のちのナゴヤ球場)が完成し、更にこの年にセ・パが分立したため大須球場で中日ドラゴンズの試合は行なわれなくなり、その後パの試合が19試合行なわれたのを最後に大須球場での公式試合は行なわれなくなってしまいました。

こうしてプロ野球の球場としての役目が終った大須球場は取り壊されその跡地に大須スポーツセンターが建設され今日にに至っております。しかし、大須球場が取壊される前の1952年に忌わしい事件がこの大須球場で起こりました。この年は、日本共産党が関与した騒乱事件が1月の白鳥事件を皮切りに、5月にメーデー事件、6月に吹田事件、そして7月7日に大須球場で大須事件が発生しました。そして、この大須球場界隈には、弥生時代後期の95mに及ぶ前方後円墳の那古野二子山古墳が有ったのですが、大須球場の建設、取壊し、名古屋スポーツセンターの建設によって精細な発掘調査がされないまま消失してしまいましたが、現在でも、その面影が高さ大須観音の東方、浅間神社の北に僅かに残っております。 (上の写真参照)

この名古屋スポーツセンターのスケートリンクは当時は名古屋唯一のスケートリンクとして人気を集めており、私も何回かここで滑ったことが有ります。私のような初心者はリンクサイドの手すりが頼りでとてもリンクの中には恐くては入れませんでした。リンクの中ではフィギュアスケートの練習をする選手の姿も時折みられました。このリンクで、伊東みどり、中野友加里、恩田美栄、浅田真央の日本を代表する選手たちが山田満知子コーチに育てられて世界のひのき舞台に舞い立っていきました。

そして今日、第20回中日体育賞が、その山田満知子コーチと浅田真央選手に与えられました。この賞の 受賞者には、鈴木大地、伊藤みどり、岩崎恭子、荻原健司、田村亮子、有森裕子、清水宏保、高橋尚子、北島康介、野口みずき等の錚々たるメダリストがおり、中学生でしかも五輪メダリストでもない浅田真央が受賞したのは初めてのことです。このニュースを聞いて、同じ名古屋出身で小学生の頃、この名古屋スポーツセンターのスケートリンクで練習をしいぇいた安藤美姫選手と村主、荒川選手のトリノトリオを育てた城田コーチ(現強化部長)の存在が脳裏を過ぎりました。そして、昨年の東京ドームでの開幕戦に始球式に臨んだ安藤美姫選手に対抗するかのように、浅田真央が今年のナゴヤドームの始球式に臨むことになりました。


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