−日記帳(N0.1513)2006年02月04日−
メッカ巡礼物語(1)
(命がけで巡礼の旅をする事情)
−日記帳(N0.1514)2006年02月05日−
メッカ巡礼物語(2)
(毎年、数百人もの死者がでる事情)


巡礼者で埋まったメッカへの道路巡礼の車で大渋滞の道路

ミナの谷で中央の石塔目がけて投石する巡礼者たち


イスラム教徒のメッカ巡礼にかける熱い思いは、宗教心希薄な日本人だけでなくキリスト教、ヒンズー教などの他の宗教の熱心な信者でも理解出来ないほど凄まじいものがあります。その理由は、メッカ巡礼がイスラム教徒に義務付けられていることとメッカ巡礼を終えた人たちには家の外壁に巡礼した証拠となる絵を描くことが許されて周囲の人々から尊敬されるからではないかと思われます。

そのために、毎年12月の巡礼の月に、メッカのあるサウジアラビアだけでなく、近くはイラン、イラク、UAE等の近隣のイスラム諸国、遠くはアフガニスタン、インドネシア等から毎年200万人ものイスラム教徒たちが身の危険をも省みずに灼熱のメッカを目指して飛行機、バス、マイカー、船で移動してきますから大変なことになります。上の写真はその凄まじい交通渋滞の様子を示しております。サウジアラビア政府は、毎年あまりにも多くの巡礼者が自国内に押しかけるのに悲鳴を上げて、最近は各国に巡礼者数を割り当てて合計200万人以内に収まるようにしているのですが、この割り当てを巡って毎年もめております。

イスラム教徒は次の6項目を信ずる「6信」と、

1.アラーが唯一絶対の神、万物の創造者であること
2.天使がアラーと人間との世界を媒介していること
3.コーランが最も純粋に神の言葉を示していること
4.ムハンマドは最後にして最大の預言者であること
5.ムハンマドは最後にして最大の預言者であること
6.アラーにより寿命、幸福度合が定められてること

次の5項目からなる「5行」実行し、その他イスラム法によって規定されている禁忌事項を守ることが課せられておりますが、メッカ巡礼はこの5行のうちの最後の1行によるものです。

1.神とムハマドを信仰しカリマを日に5度の礼拝で唱える
2.夜明け、正午、午後、日没、夜半1日に5度礼拝を行う
3.イスラム歴9月、1ケ月間、日昇から日没まで断食する
4.財産に応じ、貧・病弱・老齢・改宗・布教.旅行者に施す
5.余裕が有れば一生に一度 メッカのカアバ神殿に巡礼する

「六信」を信じ、「五行」を実行し、その他イスラム法によって規定されている禁忌事項を守ることが課せられておりますが、大巡礼はこの5行のうちの1行によるものです。そして、全世界のイスラム教徒が「五行」による1日5度の礼拝ではこのカーバ神殿に向けてお祈りをすることになります。カーバ神殿の方向はイスラム教徒にとっては常に知っておく必要が有るので、例えば中東のホテルでは部屋の引き出しに矢印が貼られておりますし、サウジアラビア国営航空機の二階席天井には、羅針盤が取りつけてあり常にカーバ神殿の方向に矢印が向くようになっております。

巡礼での最大の行事は、偶像崇拝を禁止するイスラム教らしく飾りが無い正方形の巨大な箱の形をしたカーバ神殿の周囲を左回りに巡回することです。まさしくこのカーバ神殿がイスラム教徒にとって信仰の原点となっているわけです。古代アラビアの伝説によれば、アダムとイヴが楽園を追放された後、アダムはスリランカに、イヴはアラビアに落ち延び二人が最後にメッカ近郊で再会したところで、ヤファエの神はアダムに神殿を持つことを許しましたと言われております。

その後神殿は崩れ落ちましたが、アダムの子孫のアブラハムとその子イシュマイルが再建してカーバ神殿と命名し、その際に天使ガブリエルから与えられた聖石を神殿内に納めたと言われております その後、メッカで生まれ育った預言者ムハンマドが40歳の時、突然アラーの神の啓示を受けて、唯一の神アラーに服従することを使命と信じて人々を説教したものの、多神教を信ずるメッカの有力者の迫害を受けてやむなく、西暦622年(イスラム暦元年)にメッカからメディナに移住(聖遷)したものの630年に最初のジハードとも言うべき大軍を率いてメッカを占領し、カーバ神殿の多神教の300以上の偶像を破壊してアラーの神のみを祀る神殿として今日に至っているわけです。


巡礼先はメッカだけでなく、ムハンマドが西暦622年(イスラム暦元年)にメッカから移住(聖遷)したメディナもメッカに次ぐ巡礼先となっておりますが、それでも12月の巡例月のうちのある5日間にメッカに巡礼することを大巡礼(ハッジ)と称して特別扱いされ最も人気が高くなっております。今回の巡例月は昨年の12月22日から1月19日までの29日間でそのうち1月8日から1月12日までの5日間が大巡礼の期間になっており、その最終日の12日に400人以上の巡礼者が死亡する大災害が発生しております。

大巡礼に参加した巡礼者たちはメッカになんとか辿り着くと息つく間もなく、次の行事を行わなくてはなりません。

・1日 メッカ市内のカーバ神殿巡回(7度)とサファーとマルワの丘行進:
・2日 21キロ先のアラファト山にタルビアを唱えて登り谷で罪を悔悟:
・3日 来る途中のミナの谷に引き返し石塔に投石して悪魔払い:
・4日 羊、山羊などを犠牲に捧げカーバ神殿を再度7度巡回:

このうち、毎年のように死者が多数でるのは、3日目のメッカとアラファト山のほぼ中間にあるミナの谷での石投げ行事で、今回もここで345人が将棋倒しとなって圧死するという悲惨な事故が昨年、一昨年に続いて発生しております。この行事はイスラム民族の始祖イシュマエルの家族が彼等を誘惑しようとした悪魔に石を投げて追い払ったとの故事にならってミナの谷のジャムラーと呼ばれる石塔目がけて投石するのですが、日没前に見晴らしのいい狭いジャマラート橋に押し掛けるためここで将棋倒しが起こって圧死する事故が絶えないのです。

一昨年も244人もの圧死者が出て日本でも大きく報道されましたが、1994年は270人、1990年にはメッカ郊外のトンネルで1400人の圧死者が出ております。上の写真は空いている時の様子ですが、。ここに数十万人もの巡礼者が押し掛けたら将棋倒しの事故が起こるのは容易に想像できます。投げる石の数は全部で70個で、うち7個をこの石塔に投げ、投げられた石はすり鉢状の底の穴に落ちて回収されるので高く積み上げられることはありません。また、コントロールよく石塔内に届けばいいのですが暴投すると、下にいる巡礼者に当たって怪我をすることも有るそうですから、この投石行事そのものが危険な行為であるにもかかわらず、サウジアラビア政府はさしたる対策も取ってないことに問題が有るようです。

200万人の巡礼者を受け入れることにより、サウジアラビアには巡礼者たちは石だけではなくお金も落としていくわけですからサウジアラビア側としても相当な恩恵に預かるわけです。隣国のUAEの割り当ては3万人ですが、多くの裕福な人は空路を利用したパッケージツアーに参加します。その料金は今年はDh25,000(約75万円)で、ファーストクラス航空券、ミナの谷での5泊の宿泊、巡礼後のマディナにある預言者モスクへの8日間の訪問が含まれております。一般の人たちは陸路によるパッケージツアーに参加しますが、その料金でも往復のバス代、25日間の宿泊代込みでDh7,000(約21万円)ですから相当の金額になります。

このように恵まれた人たちは余裕をもって行動しますので、危険な目に遭うことは滅多ないのですが、アフガニスタン、バングラディッシュ、イラク等の人たちは経済的に恵まれないため遠路はるばる陸路を利用して限られた期間内に疲れた身体に鞭打って行動する場合が多く、危険な目に遭う確率が高くなるわけです。サウジアラビア政府は、巡礼による外貨獲得に対するお返しの意味でも、巡礼者の安全にもっと金を使うべきでしょう。5行のひとつに「財産に応じ、貧・病弱・老齢・改宗・布教.旅行者に施す」とありますから、サウジアラビア政府みずからこれを実行すべきです。


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