−日記帳(N0.1517)2006年02月08日−
アメンヘテプ3世の石像発掘に感動
−日記帳(N0.1518)2006年02月09日−
ムハンマド風刺画で欧州騒然

ルクソール付近で発見されたアメンヘテプ3世の石像

私は古代史が好きで、特にエジプト古代史は現地まで旅をするほどに大好きです。そして3000年に及ぶエジプト古代史を自分なりに勉強してみましたが、その中でも栄光の500年と言われる新王国時代を築いた第18王朝が最も華やかで如何にもファラオとしての威厳と実力をそなえていたように思えてなりませんでした。そしてこの王朝の血統が若くして謎の死をとげたツタンカーメンで途絶えたことに哀れを感ずるのです。

この第18王朝を築いたのはイアフメスでした。イアフメスはその足跡を示す遺跡等が見つかっていないことから、彼をエジプト古代史を変えたファラオとすることに専門家は異論を唱えることと思いますが、拙い私の調査結果 からイアフメスはベストテンにはリストされる功績多大なファラオであると考え、雑感記の第31章として「エジプト古代史を変えた10人の男性たち」の中で4番目に採り上げております。

古代エジプトの王朝は日本の皇室のように建国以来続くとされる万世一系の王統によるものではなく、その時代で権力を握った者によって開かれており、3000年間に実に30余の王朝が存在しており、第18王朝を開いたイアフメスも外敵ヒクソスを打ち倒したテーベ地方の一豪族に過ぎませんでした。そしてイアフメスの息子のアメンヘテプ1世の後を継いだのは彼の息子ではなくて娘婿のトトメス1世でした。古代エジプトは母系社会ですので基本的に王女が王権を相続しその王女と結婚することによって王統が引き継がれるケースが多くトトメス1世もその1人でした。

そして、トトメス1世の後を継いだトトメス2世はその息子とはいえトトメス1世の下位の側室の子だったため 王位継承の正当性を高めるため、正室つまり第一王妃の子だった異母姉のハトシェプストと結婚したのが大間違いで、妻ハトシェプストは息子のトトメス3世にファラオを継がせるようにとの夫トトメス2世の遺言を無視して女でありながらファラオになる野望を抱き、甥のトトメス3世を無視して摂政の立場で女王として権勢を奮ったのでした。ハトシェプスト女王が謎の死を遂げるやトトメス3世はファラオとして即位し、義母ハトシェプスト女王を憎むあまり、彼女によって造られた数々の建造物を破壊し、彼女を描いた壁画を剥がし取るなどしてその足跡を絶とうとしました。

そして、トトメス3世を継いだのは息子のアメンヘテプ2世で、ここで第8王朝創始者イアフメスの息子のアメンヘテプのファラオ名が復活しましたが、アメンヘテプ2世を継いだ息子は再びトトメス4世として即位し、その後を継いだ息子は再びアメンヘテプを名乗りアメンヘテプ3世として即位しました。私は、このアメンヘテプ3世とその息子のアメンヘテプ4世の親子のファラオが何故か好きです。エジプト古代史を変えた10人のファラオには入れておりませんが、妙に人間っぽくて親しみを覚えるのです。そのアメンヘテプ3世の美しい石像がナイル川流域のルクソール付近で発掘作業を行っていたドイツの考古学チームによって発掘されたとのニュースが一昨日、エジプトのホスニ文化相によって発表され、感動を覚えましたのでここで採り上げてみました。頭部は長さ1メートルほどで、若干の亀裂がある以外は保存状態は良く、発掘チームの関係者は「これまで見つかったアメンヘテプ像の中で最も美しい」と話しております。

アメンヘテプ3世は無類の女好きで多くの側室を抱えておりましたが、自国内の女だけでは飽き足らず、かって敵国として争ったことのあるミタンニ王国(現在のシリア地域)を親善の目的で訪れた時、タドゥケパと言う名の9才の王女をみそめてしまいました。自分の側室に迎えたいと父親の国王に頼み込んだもののいろよい返事が得られないまま毎年のようにエジプト名産の黄金を届けて吉報を待ち続けたのでした。そして6年後に、ネフェル=美しい、ティティと=遠くから と言う意味でネフェルティティと名付けて第二王妃に迎い入れました。この王女こそ、雑感記の第24章として「エジプト古代史を彩る女性たち」の中で3番目に採り上げた悲運の美しき王妃ネフェルテイテイです。

しかし、このことがネフェルティティにとってまた第18王朝にとって悲劇の序章になるとは知る由もありませんでした。アメンヘテプ3世の息子のアメンヘテプ4世の腹違いの姉弟が結婚することでその悲劇の幕が開かれたのでした。それはとアメンヘテプ4世と正室のネフェルティティの間に生まれたアンケセナーメンとアメンヘテプ4世と側室の間に生まれたツタンカーメンでした。アンケセナーメンは実父のアメンヘテプ4世と結婚させられたことで実母のネフェルティティを悲劇の主人公に、そして自らも実父の死後再婚した最愛の夫ツタンカーメンと死に別れた後に祖父とも政略結婚をさせられることで悲運の生涯を送ることになったのでした。こんなことを思いながら上のアメンヘテプ3世の石像を見るのもまた一興です。

イスラム教徒の放火で燃え上がるシリアのデンマーク大使館

「国境なき記者団」(RSF、本部パリ)が、2005年10月20日に発表した言論自由指数はデンマーク、フィンランド、オランダ、スイスなど欧州諸国7ケ国 が並んで第1位、韓国がアジアで最高位の第34位、日本は昨年の42位から37位にランクアップされております。北朝鮮は「金正日体制は表現の自由に一切譲歩していない」とし、4年連続で最下位でした。米国は、中央情報局(CIA)秘密工作員の実名漏えい事件に関連したニューヨーク・タイムズ紙の ジュディス・ミラー記者の収監により、昨年の22位から44位に、RSFのおひざ元のフランスも一部報道機関への警察の家宅捜索が響き、昨年の19位から30位に後退しております。 下位グループには、中国(159位)、キューバ(161位)、ミャンマー(163位)、イラク (164位)などが名を連ねておりました。

このように、デンマークは世界一言論の自由な国です。そのデンマークで「ユランズ・ポステン」(Jyllands-Posten)紙が昨年9月30日付けで、イスラム教預言者ムハンマドの政治風刺画・漫画を掲載したことから国内の16のイスラム教団体が抗議声明を発表しました。声明文は、ユランズ・ポステン紙が、漫画の掲載を「イスラム教徒の感情、聖地、及び宗教上のシンボルを馬鹿にし軽蔑する目的で行いイスラム教の倫理上及びモラル上の価値観を故意に踏みつけた」としておりました。

問題の漫画は12あり、複数の漫画家が描いておりました。特に問題になったのは、ムハンマドが爆弾の形をしたターバンを被りそのターバンの先に導火線がついている漫画でした。イスラム教では、預言者ムハンマドの肖像を描くことは神に対する冒涜だとされ、例え尊敬の念をこめて作られた肖像でも、偶像崇拝に結びつく可能性があるため許されないのに、この漫画にあるようにムハンマドを中東地区で横行している自殺テロリストに仕立てておりますからイスラム教徒なら誰でも抗議するのは当然です。

このような抗議運動に対して、ユランズ・ポステン紙は、表現の自由の観点から、漫画を掲載したことに関して謝罪を行なっていないため、収拾がつかないところへ、今年1月10日にノルウエーのキリスト教系雑誌「マガジネット」(Magazinet)が、「表現の自由」を掲げて、同じ漫画を掲載したためイスラム教諸国の反発はエスカレートし、2月4日にシリアでデンマーク、ノルウエー大使館がイスラム教徒によって放火される事件が起こりました。

更に、その後仏独両国の新聞が漫画を転載したため、イスラム諸国対欧州各国の対立の構図になり、イラン、シリア及びインドネシア駐在のデンマーク大使が「具体的かつ深刻な脅迫」を受けたことを理由に、大使館員とともにそれぞれの国を出国するという深刻な事態に至っております。そのため、国連事務総長、ローマ法王、米・ブッシュ大統領が沈静化のために欧州諸国、イスラム諸国に自制を求める声明を発表しております。幸い、英米政府はイスラム教を尊重する姿勢を示しているのが救いですが、これを契機にイラクでの対英米テロ活動が沈静化すれば不幸中の幸いと思います。

尚、問題の風刺漫画をここで公開することは控えさせて頂きます。


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