−日記帳(N0.1553)2006年03月18日−
イチロー選手のWBCにかける思い
−日記帳(N0.1554)2006年03月19日−
会社OB親睦会に出席


韓国に負けて意気消沈のダグアウト

3月15日に日本が韓国に2−1で破れた瞬間、イチロー選手がダグアウトの奥に向かって何やら叫ぶ様子がテレビカメラが捉えておりました。殆んどの他の選手がうなだれたり、うつむいたりしていただけに彼の姿は異様にに映りました。その真意のほどは、その後も明らかにしておりませんのでよく判りませんが、私には「お前たち、悔しくないのか!悔しかったらその思いを精一杯表わして雪辱を誓おうではないか」と言っているように思えました。

イチロー選手がこれほどまでにWBCに熱意を傾けたのは、彼の持つサムライ魂の他に彼のMLBでの経験を通して米国社会に巣食う有色人種に対する偏見を垣間見てきたからだと思います。彼はメジャーで黒人や中南米の選手たちが受ける理不尽な扱いに腹を立てていることはこれまでの彼の言動から間違いないことと思われます。そして、彼自身もストライク、ボールの判定で明らかに不利な判定をされるシーンをテレビでよく見かけます。

滅多なことでは審判に抗議しない彼が最近は日本語で審判にまくし立てるとのことで、その理由を日本語なら審判は理解できないからと語っております。米国では審判が絶対的な権力を持っており、クレームを付ければ即、退場になるのでこれが精一杯の彼の抵抗なのでしょう。5年連続3割の金字塔を建てたイチローも、米球界に隠然と残る格差に悩まされ続けていると言われております。

日本の野球がどのようなレベルにあり、素晴らしいかを野球大国と自認する米国に知らしめるその第一歩が、今回のWBCでアメリカ軍団を打破することににあり、アメリカを破って優勝すれば、彼らの日本野球に対する認識も少しは変わるでしょう。イチローはそのような命題を背負って今回に臨んでいることとと思います。それは、今後、続々と現れるメジャーを目指す日本人選手の環境作りのためにも役立つのですが、松井(秀)、井口、城島、田口等には自分のことを考えるのが精一杯でまだそんなことを考える余裕が無いのでしょう。


ビラ・マリン南知多からの知多湾の眺望


会社のOBを中心とした親睦会が愛知県の知多半島先端にある師崎港を見下ろす丘の上にある愛知県の保養施設「ビラ・マリン南知多」で2年ぶりに行なわれました。場所は名鉄・新名古屋駅から河和線終点の河和駅からバスにで30分ぐらいの師崎で降りて徒歩10分ぐらいの小高い丘の上です。車なら国道23号線から大高で南知多有料道路に入り終点の豊岡から20分ぐらいで着きます。

上の写真はここから窓越しに覗いた知多湾の風景です。この日は風が強く海上には白波が立っており釣り船や漁船などの小船の船影は全く見られませんでした。中央右に見えるこんもりとした林は羽豆岬の森で、この岬から伊勢湾と三河湾を一望のもとで見渡せることから古くから海上交通の要衝として岬に見張り所が築かれておりました。最も古い記録として、ここは日本武尊の東征の帰途、水軍を統率した建稲種命が水難に遭いその衣服がこの岬に漂着したことからその衣服を神として岬の上に祀ったのが羽豆神社でここに見張り所が築かれたとの言い伝えが残っております。

南北朝時代、東海道筋を足利勢に押さえられた南朝方は海上輸送に頼らざるを得なかったことから、南朝方の熱田神官大宮司・千秋昌能によってこの羽豆岬に築城された羽豆崎城は東国より吉野に入る中継地として利用され、義良親王(後村上天皇)、宗良親王、脇屋義助も羽豆崎城に泊まったとの記録が残っております。そして、南朝が衰えて足利一族の一色氏がここを支配するところとなり、一色氏の代官として佐治氏が入城しました。一方、渥美半島を中心に勢力を伸ばしてきた戸田氏も羽豆崎城の地の利に目をつけ、伊勢湾と三河湾の航海権を獲得することで航行する船舶から通行税を取ることで財政を豊かにし、佐治・戸田の両者が和解して交代で羽豆崎城に陣代を置くことにしました。そして佐治氏の陣代が千賀重親でした。

水軍を率いて家康に従ってきた千賀重親率いる千賀一族にとって志摩を追われて以来の仇敵の九鬼水軍が、家康が会津の上杉攻めをしている間に俄かに挙兵した石田三成に味方する動向を示しているのをみて千賀重親は仇討ちの絶好のチャンスと胸躍らせました。千賀重親率いる師崎水軍の何十艘もの船が九鬼水軍が勢力を張る伊勢の海目がけて出航していきました。虚を突かれた九鬼勢は慌てふためき船団を乱しそれを取り囲むように師崎水軍が攻撃を仕掛け見事なまでに統率された千賀勢に九鬼の船は次々と捕獲されてしまいました。

師崎水軍は大坂冬の陣と夏の陣で活躍し勇名を馳せ、中でも重臣の稲生猪右衛門重政の奮戦凄じく、大阪方の軍船大阪丸を捕獲する手柄をたて船中に大坂城落城に際して脱出したある姫君を帰還してから延命寺にて手厚くもてなしたもののこの姫はある夜のこと哀れにも自らの懐剣で喉を突き自害して果てたと言われております。その後、羽豆崎城は打壊され、その古材にて師崎の村落に千賀屋敷を築かれ徳川家康も何度か訪れ宿泊しております。大浴場からこの羽豆岬の森を見ながらその歴史に思いを巡らしておりました。

尚、羽豆岬の森の向こうに浮かんでいる島は、三島由紀夫の「潮騒」の舞台となった神島で、その右側に突き出ているのが島崎藤村の「椰子の実」で有名な渥美半島の先端に位置する伊良湖岬です。そして手前の港が師崎港で、細長いビルは昨年完成した師崎港公共駐車場で、師崎港の沖合いに浮かぶ日間賀島や篠島に渡る多くの釣り人や観光客に利用されております。この日はWBCで日本が韓国を破ったこともあって、その話題を中心に楽しい宴のひとときを過ごしました。


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