−日記帳(N0.1557)2006年03月22日−
釣り仲間の懇親会に出席
三河湾を望める三谷温泉にて
−日記帳(N0.1558)2006年03月23日−
メキシコの対米怨念が日本に神風
(サンディエゴの奇跡)


宿泊先のホテルの部屋かた望む三河湾と竹島

釣り仲間の親睦会が毎年の恒例行事となり、今年も一昨年と同じ三谷温泉のホテルで今日から明日にかけて行なわれました。この温泉は愛知県の豊橋市と岡崎市の間ある蒲郡市内にあり、1200年ほど前に僧行基によって発見されたと伝えられ、昭和30年頃から温泉街が形成されております。温泉街は海の近くの平地にありますが、三河湾を一望できる小高い丘の上にも ホテルが建てられており、我々が宿泊したホテルはその丘の上にあります。

今回泊まった部屋は2階だったため、見下ろせる三河湾の景色はやや迫力に欠けておりましたが、それでも上の画像のように、竹島が曇り空でぼやけてはおりますが三河湾にぽっかりと浮かんでいる風景が見られました。一見のどかな竹島風景ですが今から650年前の南北朝時代にこの付近で合戦が行われたことが最近になって静岡県史などの資料で確認されております。その資料によれば遠江国犬居城主・天野左京亮直景が足利2代将軍足利義詮から竹島合戦の功績により感謝状を受けたとされております。

また蒲郡に隣接する音羽町と御津町との境にある宮路山(標高362b)の頂上に女帝の持統天皇がお見えになったことを記念した石碑が建っております。58歳の高齢の身で晩秋の厳しい条件のもとで敢えてこの地まで赴かれた理由について最近いろいろな説が飛び交っておりますが波静かで風光明媚なこの三河湾界隈には人のこころを惹き付ける何かがあるのでしょう。三谷温泉の湯は、元湯の泉温が31.5度で美白泉と言われ、透明で塩分、カルシウムの少ないアルカリ性単純泉で 新陳代謝が活発になり身体の老廃物を出してくれるとの効能が有ると言われております。

今回は私を含めて7人でした。個室で宴会を終えてから今回のテーマのメバル仕掛けについて意見交換しました。メバル釣り我々釣り仲間では最も人気があり、釣り回数も最も多いことからこうして情報交換することでお互いに釣果を上げるのがその狙いとなっております。メバル釣りは水深5,6mのポイントを延べ竿で狙う場合と、水深10m以上のポイントをリール竿で狙う場合の二通りあります。

まず、メバル釣り名人のNMさんは、延べ竿とリール竿では仕掛けを根本的に変えるべきであると主張し、同じ仕掛けを使っているWさんやNさんの延べ竿での仕掛けはダメと一刀両断で切り捨てました。WさんやNさんの仕掛けはいわゆる胴付き仕掛けに近く、道糸と幹糸をスナップ付きサルカンで繋ぎ、幹糸をトリプルサルカンにこの図のようにに繋いでサルカンからハリスを結んでおります。すると金属のサルカン類が使われるため仕掛けが重くなるとNMさんは言うのです。そして、重くなると仕掛けが一気に海底に沈んでいくため下から餌に食いつこうとするメバルには不自然に見えるため食いが悪くなるとNMさんは説明しました。

実際に、NMさんの仕掛けを拝見したところ、道糸と幹糸、ハリスと幹糸、ハリスと仁丹オモリは全て直結びで金属製の連結金具は一切使っておりませんでした。そして、ハリスの太さは1.5号で2本針とし、ハリスの長さも10センチ程度にして出来るだけ絡まないようにし、針は金色のメバルの11号を使っているとのことでした。金色を使うのは目立たせるため、大きい11号を使うのは飲み込まれないようにするためと説明してくれました。このNMさんの説明で、日頃NMさんだけが快調に釣りまくる理由が判り、一同納得でした。

ただ、私の場合は10m以上の水深で釣るため、このような仕掛けでは海底近くのメバルのタナにいち早く落としこむことが出来ませんので、どうしてもオモリは5号以上が必要で、またタナ付近で竿を上下させて誘いをかける必要が有ることからハリスの数も3本が、また目立たせるためにも針の結び目に蛍光ビーズを付けることが好ましいと考えそのようにしております。しかし、夏になるとメバルが海面スレスレまで浮いてくることが有りますので、その時はNMさんの仕掛けに切り替える必要が有ると思います。こうして、釣り談義をしているうちに夜も更けてきましたので11時過ぎに就眠しました。


サンディエゴ・パドレスの本拠地のペトコ・パーク

WBCの準決勝、決勝戦の舞台となるカリフォルニア州サンディエゴにあるペトコ・パークは大塚晶則投手(現レンジャーズ)が昨年所属していたサンディエゴ・パドレスのホームグランドでしたから、ここで準決勝、決勝戦でセーブをあげた彼にとってはかって知ったマウンドで投げやすかったことと思います。パドレスは2003年までアメリカンフットボール兼用のクアルコム・スタジアムをサンディエゴ・チャージャーズとともにホームグランドにしており、2003年3月26日には日本対ウルグアイのサッカー国際試合が行なわれたことでも知られております。そして、サンディエゴ・パドレスの野球専用の球場として2004年4月にオープンしたのがこのペトコ・パークでした。

ペトコ・パークがあるサンディエゴはメキシコとの国境の街でもあります。したがって、スペインそしてメキシコ統治時代の名残りが残っているこの街に米国と戦うためにやってきたメキシコの選手たちにとって異境という感じはなく、自国の歴史を知るメキシコ人には、かってこの地がメキシコ領であったことに思いが及び、移民問題に端を発する米国のメキシコに対する強硬政策も相俟って米国への反感がつのってくるのも当然のことと思われます。特に、メジャーリーガーのメキシコ選手はいろいろな面で不当とも思える扱いを受けているだけにその思いは強かったようです。

世にいうメキシコと米国との戦争の「米墨戦争」はメキシコが仕掛けた戦争でその責任はメキシコにあるとの歴史観を見かけますが、それは太平洋戦争を日本が仕掛けた戦争であるからその責任は全て日本側に有るとの歴史観に似て米国の一方的な論理に過ぎず、そこに戦争を仕掛けざるを得なくなった事情をよく考える必要が有ると思います。デーヴィ・クロケット等が立て籠もるアラモの砦で180余名のテキサス人(実態は米国人)守備隊が2,400人のメキシコ軍によって全滅させられたことに端を発し、「アラモを忘れるな」の合言葉のもとでテキサス人が奮起して1836年のハシントの戦いでメキシコを破りテキサス共和国が独立したことが米国のメキシコ侵略の突破口になったとの歴史観に異論を唱える向きは少ないと思います。

1845年に米国はこのテキサス共和国を自国に併合してメキシコと対立して米墨戦争を起こし、テキサスに加えカリフォルニア、ネバダ、ユタ、アリゾナ、ニューメキシコ、ワイオミング、コロラドにテキサスと同様の管理権を1,825万ドルの対価で獲得し実質的にこれらの地域を支配し後のゴールドラッシュ、無尽蔵といわれた油田の発見により米国は莫大な利益を得た半面、メキシコは国土の1/3を失いしかも残りの2/3の自国領土からは実質的に米国領となった地域に匹敵するほどの油田に恵まれないまま今日に到り今日の両国の経済格差を生む遠因となっております。金銭の対価でメキシコの領有地を米国が獲得した裏には米国の無言の圧力とメキシコの無知が有ったことは言うまでもありません。

このように、このような歴史的背景からメキシコ人には米国に対して羨望、憎悪が入り混じった思いが有り、その後メキシコでも石油資源の開発が行なわれてはおりますが両国の経済格差に相当の格差が生じ、近年メキシコから米国への不法入国が相次ぎ、米国が国境線にフェンス建設をも辞さない強行手段を考えるほどに深刻な問題となっております。 そのような雰囲気の中で行なわれたWBCの米国、メキシコの一戦にはこうした両国の歴史的背景が影響しておりました。またメキシコ人メジャーリーガーには以前から不利な判定を受けているとの被害者意識が有り、この試合に例え勝ってもメキシコは2次リーグを突破できない事情が有ったにも関わらず、メキシコは異常な執念を燃やして戦い、辛うじて勝利することができ、日本に神風を送ったのでした。 メキシコよ 本当に有難う!


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