−日記帳(N0.1561)2006年03月26日−
逓信会館で開催の同級会へ
−日記帳(N0.1562)2006年03月27日−
7000年前の中国の絵文字発見


高層ビルが林立しつつある名古屋駅周辺

毎年、名古屋で開催される大学の教養部時代の同窓会が名古屋逓信会館で開催されましたので出席しました。これまで、この同窓会は名古屋駅周辺のホテルで開催されており、過去3回は名古屋市内では最高クラスと評判の高い名古屋駅ツインタワー内の名古屋マリオットアソシアで開催されておりました。年に一度、超豪華なホテルの雰囲気に浸るのもいいものだと思っておりましたので、会場が逓信会館に変わったことで少し失望しましたがたまには変わったところもいいのではと思い直して案内図を頼りに始めての逓信会館へと急ぎました。

「逓信」という古めかしい名前のこの施設は、私にとっては「日教組」と同様に大嫌いな日本郵政公社労働組合の「全逓」がその経営母体ですので期待していなかったのですが、やはりその通りでした。恐らく若い人には「逓信」という言葉の意味が判らないのではないかと思います。年配の方なら戦後、現在の郵政省が逓信省と名乗っていましたので郵政関係の意味だとお判りになることと思います。このような死語に近い言葉を堂々と使っているところにも「全逓」の体質が窺われるように思えてなりません。辞書を引くと、「逓」は「物を宿つぎして伝え送る」とあり、まさに電報・電話・郵便・郵送事業そのものを表わす言葉であります。

電報・電話事業がいち早く電電公社を経て完全民営化されて現在のNTTグループに再編されて成功しているのに、遅ればせながら郵便・郵送事業も民営化が決定しているというのに、「全逓」が以前として「逓」の字にこだわり続けているのも、空しい郵政一族の抵抗のように思えました。「期待してなかったのにその通りでした」と言い切ったのは、名古屋マリオットアソシアとは総合的に比較にならない低いレベルだったのは予想どおりでしたが、従業員のサービス振りが官僚的だろうと思っていたらやはりその通りだったという意味です。

結婚披露宴が郵政関係以外の人たちにもよく利用されているだけあって、玄関のロビーは広く明るく好感が持てましたし、従業員の言動にも丁寧がこもっており料理も美味しく頂けました。ただ、会場の部屋が会議室のように簡素で華やかさに欠けていたのはやや不満でした。そして、困ったのはテーブル上に置かれるビールや日本酒が少かったことでした。6、7人座るテーブル席に中ビンのビールと1合入りの日本酒のお銚子が2,3本しか置いてありませんので直ぐに途切れてしまい追加オーダーを何回もせざるを得ませんでした。名古屋マリオットアソシアの場合は後方に待機している方がお酌にきますので手酌で飲むことも殆んど無く、またテーブル上の酒類が途切れれば補充してくれるので追加オーダーすることは有りませんでした。

更に、困ったのは日本酒のお銚子を追加オーダーしても、それから燗つけするのか時間が掛かることと1本しか持ってこないことでした。また、後方に待機している方も時々、思いついたようにお酌にきてくれますが、テーブル上の酒類が途切れていることに気付く様子は見受けられませんでした。このようなお酒に関する苦情は、私のような酒好きだけかもしれませんがこんな官僚的なサービスを改善すれば、もっと人気がでるのではと思いました。いずれ郵政民営化されれば、いい意味でこの名古屋逓信会館も生まれ変わっていくものと期待して会場を後にしました。




7,000年前の新石器時代の遺跡から発見された絵文字

古代史ファンの私にとって嬉しいニュースが昨日、全国紙で伝えられました。新華社が26日までに、中国安徽省蚌埠市で約7,000年前の新石器時代の遺跡から風景や人々の生活などを表現した文字のような絵や記号を刻んだ陶器片が大量に発見されたことを報道したからです。それは上の写真に示すようなもので、中国の専門家は3,000年年以上前の中国最古の文字とされる甲骨文字(下の写真参照)を遥か昔に遡る漢字のルーツの一つとみているようです。

同省考古研究所の研究者らによると、陶器片は600点以上あり甲骨文字と同様に、山や川、太陽、動植物、狩猟、養蚕など多様な事物や風景をを描写しておりますので、当時の衣食住の状況、宗教、信仰などの事情が判るとしております。面白いことに、これらの絵文字は主に陶器の外側の底の見えにくい部分に刻まれており、装飾ではなく、何かを伝える特別な意味や目的が有ったのではないかと推測され、研究者は「簡潔で生き生きとし、文字としての特徴を備えている」と指摘しております。

竜骨に刻まれた甲骨文字

ところで、甲骨文字は北京に在住していた王懿栄という学者とその弟子の劉鉄雲によって1899年に偶然発見されたものです。マラリアの持病持ちの王懿栄が服用していた脊椎動物の骨の化石からなる漢方薬の「竜骨」を何気なく見た劉鉄雲が竜骨の表面にナイフで刻んだような小さい文字らしいものが見えたことから師の王懿栄に報告し二人で調べたところ、それまで知られていた文字よりもさらに古い文字らしいということが判明したのでした。

そしてその竜骨が河南省安陽県の小屯という村で、農民が畑を耕すと出てくるということが突きとめられ、1928年以来、中央研究院によって発掘が行われた結果、大量の奴隷の殉葬をともなう大墓が出現して世紀の大発見と騒がれました。 竜骨は牛の肩こう骨と亀の甲羅で、殷王朝の卜師がその裏を火であぶって表面にでた割れ目によって吉凶を占い、そのそばに占いの内容を彫りつけたものが甲骨文字で漢字の原形であるとともに、中国最古の王朝としての殷王朝の存在を証明することになりました。

この中国の絵文字とよく比較されるのが古代エジプトの絵文字のヒエログリフです。ヒエログリフも1799年にナポレオン・ボナパルトがエジプト遠征を行った際、フランス軍のピエール=フランソワ・ブシャールによって、エジプトのロゼッタ地方で偶然発見されたロゼッタ・ストーンを手掛かりに1822年に若きフランスの学者ジャン・フランソワ・シャンポリオンが、クレオパトラとプトレマイオスの名前を示すことが判っている王名のカルトゥーシュの中に同じ絵文字が共通に使われていることをヒントに解読に成功したことで知られております。

つまり、ヒエログリフには表音文字と表意文字の二つの意味が有ることからあたかもローマ字のように書かれたり、読まれたりすることができるのですが、このような画期的な文字が甲骨文字より以前の4000年以上も前に使われていたことは驚きです。そして、ヒエログリフがエジプト王朝最後のクレオパトラ王朝まで4000年以上も前からそのまま使われ続けたこと、今回発見された中国の絵文字が4000年後の甲骨文字と殆んど変わっていないことにも共通点を感じます。また、文字を持たなかった古代インカ文明と比較するのにも興味を感じます。

古代エジプトで使われていた絵文字のヒエログリフ

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