−日記帳(N0.1635)2006年06月08日−
今日、梅雨入り
−日記帳(N0.1636)2006年06月09日−
殺人エレベーター(1)


今日、我々が住む東海地方が梅雨入りしました。 これで、今日現在梅雨入りしていないのは関東甲信、北陸、東北北部だけになりました。東海地方の平年の梅雨入りは6月8日ですので平年どおりということになります。また、昨年は6月11日でしたので昨年より3日早いことになります。また、東海地方の平年の梅雨明けは7月20日ですので、今日から42日間鬱陶しい梅雨の期間を過ごすことになります。

ところで、正確には「梅雨入りしたと思われます」です。 確か、以前は日付を特定して「○月○日に梅雨入りしました」と宣言されておりましたが、宣言してから空梅雨が続いたり、逆に梅雨空に戻ったりして気象庁にクレームが相次いだため気象庁は、何時の間にか責任逃れのように「○月○日ごろ梅雨入りしたものとみられる」の表現に変えて事実上宣言を廃止しているようです。「・・・ようです」との表現を用いたのは気象庁は正式には宣言を廃止したとは言っていなういからです。そこで、気象庁に問い合わせたところ次のような経緯が有ることが」判りました。

・昭和60年以前:
 梅雨入り、明けを非公式の「お知らせ」として発表していました。
 これがいわゆる「梅雨入り・明け宣言」と一般に呼ばれていました。
 そして秋になってから正式な時期を確定しておりました。

・昭和61年〜平成6年:
 梅雨入り、明けが正式な気象情報として採用され、日付を特定して
 発表されておりました。但し状況に応じて修正さておりれました。

・平成7年〜平成8年:
 「日付を特定することに無理があった」として梅雨入り、明けの発表
を「上旬のはじめ」「下旬の半ば」という旬単位での発表に変更し
事後発表に変更しておりました。

・平成9年〜現在:
この表現では分かりにくいとの指摘が相次いだため
「○月○日ごろ梅雨入りしたものとみられる」と日付
を特定したものの含みを持たせた発表に変更されております。

梅雨入り、明けの明確な定義が無い以上、このような気象庁の表現は止むを得ないものと私は思っております。 一応の目安として 「曇り、又は雨が1週間以上続くと予想された時、梅雨入りとなり、梅雨明けは晴れが1週間以上続くと予想された時」があるようです。また別の表現では「梅雨明けは梅雨前線が北上、南下、消滅のいずれかにより、その地域に戻ってこないと判断された時、梅雨入りは逆に梅雨前線が北上、南下のいずれかにより、その地域に停滞すると予想された時」となります。

気象庁が、このように、梅雨明け梅雨入りを事後発表するのは、この梅雨前線の動きを予想することが如何にコンピューターを駆使しても難しいことによります。


海外旅行では大きなホテルに泊まる機会が多いので当然、エレベーターにはよく乗ります。好奇心の強い私は海外旅行の度に飛行機のメーカー名と機種そしてエレベーターのメーカー名に興味を持ち必ずチェックすることにしております。特にボーングとエアバスは後部尾翼の形状で識別できますので乗る前に推測して乗ってからそれを確かめることをささやかな楽しみにしております。一方、エレベーターは乗って室内に入らない限りメーカー名を知ることは出来ません。

日本製のエレベーターは、私が勝手に付けた3S(昇降の速さ=Speed、昇降時の静かさ=Silence、停止位置の正確さ=Sureness)の性能で世界的に優れていると思っておりましたので、車、家電製品、カメラと同様に海外でも日本製のエレベーターを見かけることが出来るものと期待していたのですが、見事に裏切られました。日本製は東南アジアで僅かに見かけた程度でヨーロッパでは見かけた覚えがないのです。海外で見かけるエレベータのメーカー名は圧倒的に「Otis」と「Shindler」が多かったように記憶しております。

ところで、時は幕末、安政元年(1854年)のことでした。ニューヨークのクリスタルパレスで大勢の人々の頭上に一人の男性が乗ったエレベーターのカゴがレールに沿って設置されておりました。男性が乗っているカゴはロープだけで吊り下げられていました。命綱のそのロープ切断された瞬間、人々は悲鳴をあげました。エレベーターのカゴがレールに沿って急落下して地上に叩きつけられるものと想像したからです。

しかし、カゴはわずかに降下しましたが、次の瞬間にぴたりと停止しました。そして、その男は大勢の見物人に向かって叫びました。「安全です!皆さん、まったく安全です」 このカゴには前年のニューヨーク博覧会でその男が発表した「カゴ落下防止装置」が装着されていたのです。この装置は逆転止め歯形による落下防止装置(調速機、ガバナマシンとも呼ばれる)で、ある一定の速度以上でカゴが落下するとレールの歯型に沿って動いて歯車に逆転止めがかかり停止する仕掛けになっていたのです。実はこの男が後世に「エレベーター王」と言われたエリシャ・グレーブス・オーチスでした。

オーチスは彼の発明でによる落下防止装置を採用してエレベーターの製造・販売を開始したところ、ニューヨークなど大都市の高層建築ブームにも乗って会社は成長をとげ、今や年間売上68億ドル(約7,000億円)の企業に発展しました。その会社はオーチスの名前を採って「Otis」ブランドのエレベーターとして世界ナンバーワンのシェアを確保しております。そして、あの映画「シンドラーのリスト」で有名になったオスカー・シンドラーの遠縁にあたるロバート・シンドラーがオーチスに遅れること 20年後の明治7年(1874年)に「Shindler」ブランドで「エレベーターの製造・販売を手がけ現在では、「Otis」に次ぐ世界第二位のシェアを確保しております。

その「Shindler」ブランドのエレベーターが日本で死亡事故を引き起こし、その事故に関するシンドラー社の対応の悪さから、日本では「殺人エレベーター」とさえ言われるようになりました。私もシンドラー社の対応を厳しく糾弾する主旨から敢えて今日の日記のタイトルを「殺人エレベーター」とさせて頂きました。そしてシンドラー社と今回の事故については明日の日記で触れたいと思います。


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